ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・6

2012-03-12 | 2章 ブラック・アウト
 
 
 ホテルへ戻る途中、馴染みのジュース・ショップに立ち寄る。ヴィベックの手前が映画館でその真向かいにある。店の中と向き合うように備え付けのカウンターがあり、背の高い二つの椅子が置いてある。それに座って通りを見ながらジュースを飲むのが日課だ。髪を金髪に染めたマスターが目の前でジューサーを回しジュースを作ってくれる。一切添加物なしの果汁100パーセントのジュースだ。オレンジやリンゴはジューサーを回した後、木綿布で搾ってもらう。人参ジュースは少しどろ々しているが搾らずそのままで飲む、フルーツのような甘さで植物繊維が身体に良いと思っている。ジュース屋の椅子に座っていると、通りすがりのアフリカンが声を掛けてくる。
「マナリ(北インドの地名)の良いチャラスが手に入った。どうだ、トミー」
「ありがとう、今は間に合っている」
「必要な時はいつでも声を掛けてくれ」
 子供の乞食が背を屈め近寄り、小さな手を出しバクシシを要求する。カウンターが高いので店の中からは見えない、マスターに見つかると商売の邪魔になると怒鳴られ追い払らわれる。ぼくが「チョロ」と言ったくらいで諦めるようでは乞食は務まらない。マスターに見つからないように「バブー(旦那)・バクシシ」と悲しそうな声で奴は粘る。ぼくの足に触った手を口に当てその手をぼくに向けて出す。何も食べていない「バブー・バクシシ」と真に迫った演技を子供乞食がする。お互いの根比べだ。短期滞在の場合は気分次第で出すこともあるが、長期だと一度バクシシすると毎回狙われる。ぼくが無視し続けると奴は次の獲物を捜しに行った。
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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・5

2012-03-11 | 2章 ブラック・アウト
 マリーと暮らした生活から自立した毎日、そこには変化があり精神的には楽になっている。朝、スタッフを一服するとバザールの中心部へ向かう。途中、左へ道は分かれるがこの通りが家庭の台所を賄う通称べジ・バザール(野菜市場)へと続く。べジ・バザールを進んで行くと、左側に日本人旅行者が良く利用するレストラン、ゴールデン・カフェがあり、その右斜め前に郵便局がある。バザールの本通りを真直ぐ進むと右からの通りが突き当たりT字路となる。この右の通り沿いにぼくが逮捕されたウパハルGHがある。近くにアフリカンの溜まり場グリーンGHがあるのだが、1人で探して行くとどこにあるのか行き着いたことがない。迷路が続くこの奥のどこかで一時期、二ナとフレッドは身を隠していた。T字路の向こう角に評判の良いヴィベック・レストランがある。この辺り一帯にGH、レストラン、ジュースショップと食料や日用品店等が集中し、朝から夜中まで多くの旅行者がたむろする。左に入る路地がある。誰でもが知っているアジャイとハレラマ2軒のGHが向かい合わせに建っている。シーズンになるとこの辺りのGHは満室で泊まる事が出来ても碌な部屋はない。この路地を先へ進むと左側に気の良い夫婦がやっているチャイ屋があり右側は床屋だ。ぼくは毎朝ここでチャイとバタートーストの朝食をとる。床屋には鏡と椅子が一つだけある。居眠りをしていても兄ちゃんはちゃんと散髪をやってくれる。流しの床屋より料金は少し高い。この路地はベジ・バザールへと繋がっていて郵便局やゴールデン・カフェへ行くには便利な路地だ。朝食が終ると路地をメインバザールの通りへと戻る。左折し商店街を抜けるとぼくの高級レストラン・メトロポリスが右側に見える。その手前の通りを右へ進むとすぐ右に映画館があり向かい側に鉄板焼きそばとアイスクリームの店がある、ここもアフリカンの溜まり場だ。彼らは食材を持って来て勝手に自分達で調理し2階へ上がって行く。焼きそばもアイスクリームも美味しい。この通りの先にピクニックGHがあるのだがちょっと分かり難い。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・35

2012-03-09 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 病室から出て行くドクターの後姿を見てぼく達は肩の力を抜いた。何故こんなに早いのだろうか往診ではない、アユミに大切な話しがあって来られたのかもしれない。
「私に話しって何かしら?」
「アユミの退院についてじゃないかな?」
暫らくするとアユミは戻って来た。
「タバコ、貰っていい?」
タバコを一服する間合いが欲しかったのだろう。
「3日後、退院したら日本へ帰ることになったの」
彼女はタバコをぼくに渡した。渡されたタバコの煙を見ながら、ゆっくりと吸った。
「う~ん、そうなの」
言葉の先は消した。慰めの言葉なんてアユミには必要ない。旅の終章をアユミは決断した。ひとりの旅人であったとぼくの心の記憶に残す、それ以外ぼくに出来ることは何もない。
「おやすみ」
アユミが去った足音とタバコの煙だけが残った。
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・35

2012-03-08 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 

 ラウラシカの食事の準備が遅れた。遅くなるのが当り前のようになり、ここ数日それが続いている。寒い病室でアユミと遅い夕食をとり、1本のタバコに火を点け2人で吸った。食後の一服は美味しい。病院では一応、禁止されている。シスターが何時、病室に入ってくるか分からない。1本のタバコを2人で吸えば終わりは早い。ドクターの往診は夕食後にあるが毎日というわけではないし時間も遅い。ドアをノックして病室に入って来るのはドクターだけだ。
今、ドアがノックされた。ぼくとアユミは目を見合わせ
「どうして、こんなに早いの?」
そんな顔をして、2人は慌ててタバコの煙を窓の外へ出していたがドクターに見られてしまった。ドクターはタバコを吸われない。臭いですぐ分かるだろうがタバコの件について注意はされなかった。
「調子はどうかな、トミー」
「順調に回復しています。ドクター、お願いがあります。薬を少しずつ減らして頂けませんか?」
「検討してみよう、返事は少し待って下さい」
「アユミ、後で事務室に来て下さい。君には少し話しがあります」
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・34

2012-03-07 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
 鬱陶しい介護師が居なくなると、今度は病院の使用人が勝手にぼくの病室に出入りするようになった。初めは気晴らしで良いかと思っていたが、テレビを見ては一時間が過ぎても動こうとしない。人気番組でも始まると患者までが勝手にぼくの病室に入ってきて大騒ぎをする。たまったもんじゃない。特別個室は3部屋しかない、テレビが備え付けられているのもその3部屋だけだ。他の2部屋は高カーストのインド人と女性のアユミの病室でそこには入って行けない。大部屋の患者が団体で来てヒンディー語で騒ぎ出したらぼくは外へ逃げるしかない。インド人が集まると何を話しているのか分からないがとにかく煩い。ぼくだってかなり頭のネジやら配線の修復が必要なんだ。配線回路の迷路が無茶苦茶になっている奴が来て、ごちゃごちゃとやられたら堪忍してよと言いたくなる。この厄介者のテレビを大部屋に持って行ってくれとシスターに頼んだら
「それは院長がお決めになることです」と言いやがった。
頭のネジが逆戻りしてもえ~~ん~~か~~?おぉ~こら、ねぇ~ちゃん。ふ~~~頭にきた。 
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ジャンキーの旅      薬物後遺症と心の傷・・・33

2012-03-06 | 3章 デリー中央精神病院・入院記録
  

 今日は何だか気分が重い。毎日、変化のない病院生活だ、入院して2週間が過ぎようとしている。症状は下半身の衰えが特に酷いが他はまあ々順調に回復している。一時、中断したとはいえ通算4年間のドラッグ生活による体力の衰えは著しいものがある。気分も時々激しく苛立ちどうしようもないそんな自分に苦しむ。長期にわたるスタッフの常用は脳に作用して精神的異常をきたすのかもしれない。特に脳の記憶部分を破壊しているように思える。精神病院で治療を受けながら毎日こうしてノートを書いている。漢字が全く書けない。日本から送って貰った和英中辞典の漢字を頼りにして書いている。人名や地名、それにいろんな日常生活に使う物や道具の名前が、アユミとの会話の中で言葉が詰まって出てこない。確かにスタッフはダウナーだし心身に良いわけがないのは分っている。それでも止められない、恐ろしいドラックだ。
 二ナの頭の中はどうなっているのか。彼女は20年間もスタッフを吸い続けていると言っていた、二ナも若くして死ぬのだろう。将来とか希望とかそんなものとは無関係に、その日々を粉に酔っていれば良いのだ。苦しい事など何もない。眠りたければ眠り、食べたい時に食べる、まるで動物のような生き方だ。
 保釈されて1年振りに会ったフレッドは小さくなっていた、ぼくは別人だと思った。強靭な肉体を持っていたアフリカン・フレッド。粉が日々、彼の身体に侵食し肉体も精神も食い潰していた。それはぼく自身にも言える。粉を止めてぼくは心身の平安を得ることが出来るのだろうか、そんな事を考えているとまた生きる事が面倒臭くなってくる。
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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・4

2012-03-03 | 2章 ブラック・アウト
 今ぼくにとって最も重要な仕事は週1回の裁判所出頭だ。出頭日は今までマリーに任せ切っていたが、これからは自分でやらなければならない。出頭日のミスは許されない。まずカレンダーを作って日付の管理を確実にやっていく。次に毎日ホテル代を払ってマネージャーから日付を書いた領収書を貰う。それでぼくのカレンダーにチェックを入れる。3番目は日記だが毎日書いている。不安はあるがこの3点で何とか日付の管理は出来るだろう。出頭日をキャンセルすると刑務所に収監されると聞いている。これは非常にまずい。
 夜はピクニックGHの二ナやフレッドと過ごすことが多くなった。フレッドは本来ジャンキーなのだがプッシャーの顔をするときがあり、そのせいでぼくは客の欧米人と顔見知りになる、が彼らは旅で移動をする。ぼくにとってビザは必要ない、しかし移動はできない。2人はチェーシングをやらない、いつもスニッフだ。一服するとチャラスのジョイントはぼくが作って回す。流れる曲はいつもボブ・マーレーのレジェンドだ。ホテルへの帰りが遅くなってもメインバザールの通りに危険はない。あるとすれば野良犬にしつこく吠えられことぐらいだ。それでもぼくは夜十時頃までには自分のホテルへ戻ることにしている。やはり最後は一人の方が良い。ローソクの灯が優しい、何するでもなく時間は過ぎる。気が付くと朝になっていたこともある。
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ジャンキーの旅              ブラック・アウト・・・3

2012-03-01 | 2章 ブラック・アウト
 
 4・5畳程の狭い部屋だがぼくにとってはちょうど良い広さだ。ドアを開けると左側がトイレと水場だ、窓から右壁に沿ってベッドが置いてある。テーブルは左壁とベッドの間に寸法良く収まっていた。夜中にトイレで目が覚めてもベッドの足元に起き上がり壁を探ればすぐスイッチがある、もうテーブルを倒してベッドから落ちる事はないだろう。テーブルの上に辞典や本等を整理して並べた。移動中はホテルにチェックインしても必要な荷物以外は出さないが、今回のように長期の滞在を予定している場合は、洗濯物を干すロープを張ったり、使い易いように洗面用具の配置を決めたり何かと準備が必要だ。スタッフは椅子の破れたラバークッションの中に隠した。もしポリの手入れがあり部屋の中からスタッフが発見されたとしても、ぼくの荷物の中から出た物でなければ逮捕は出来ない、ホテルは不特定多数の人間が利用する。
 買物リスト。中国製の鍵と爪切り、小鏡、ロープ、ステンレス製コップ、スプーン、それとライターのガスチャージをする事。日本では使い捨てライターだが、インドやネパールではガスがなくなるとライター売価の半値でガスをチャージしてくれる。割安だ、ついでに石の交換もやってくれる。チェーシングをするぼくは常時5個くらいのライターが必要だ。
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