劇場で見るべき映像と上質な紙に適度な余白を持って描かれたメッセージを携えた美しい映画だった。余白には十人十色いろいろな思いが描かれることだろう。
その一色としての感想。
大手広告代理店、大手衣料メーカー、著名建築家、東京オリンピックが絡み、役所広司を主役に設定したうえでヴェンダースにオファーを出した、という制作背景を知ってしまうと少し鼻じらんでしまう。(ネット情報なので、もし違っていたら教えてください)
公衆トイレはあちこちにあるのにどうして渋谷区なの? オリンピックが開催される場所で外国人が多く訪れるから?渋谷区は税収が豊かで維持できるから?
などと素朴な疑問も湧き上がるが、映画はそういう俗な問題を打ち消してしまうほどの深みを湛えていた。
トイレ清掃を仕事とする主人公ヒラヤマの住む崩れそうな住居は浅草に、仕事場所の公共トイレは渋谷にある。浅草と渋谷は地下鉄銀座線の始点と終点である。浅草にも裕福な人はいるだろうが、渋谷の方が所得階層の高い人が多い。今の日本の格差社会の反映を見るような気がする。そしてヒラヤマの住居には存在しないであろう最新システムの贅沢なトイレを磨き上げる姿には、高級車を作りながら生涯それを購入することのない人々の姿が映る。
彼の妹はその高級車に運転手をつけて乗るような生活をしている。
では、ヒラヤマは不幸で妹は幸福なのか。この映画のメッセージの一つがここにある。
わずかに残されている美しい自然と立ち並ぶ高層ビルと道路、東京の様々な
顔をみる味わい深い作品だった。
かつて慣れ親しんでいた浅草の地下街が意外に変わっていなくてちょっと嬉しかったのでした。
ヒラヤマさんは、ルーティンな生活に満足していますね。あの境地にあこがれる人は多いと感じました。