フェイスブックやニューヨークタイムズ、米国西部の地元メディアさえ、モルモン教の信仰がどのようなものであるかを論じていて、教会幹部の説教や発言以上に影響力を持つようになっている。その影響は多くの堅固な信徒にも及んでいる。
15世紀半ば印刷技術の出現により聖書が一般信徒の目に触れるようになって、カトリック教会の僧侶たちの手中にあった、聖書解釈を始め教会統治を取り巻く環境は一変した。同様にインターネットの普及により、教会幹部の説教や発言の権威は失墜しているように見える。平信徒たちが情報を得て相互に交換し始めたからである。(以上シェット・バーバー、ユタ州在住教会員の記事より)。表題の比較はグラント・パルマ―が述べた言葉の引用である。
… from a post by Chet Barber to Mormon Stories Podcast Community 2014/10/07
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教会員は、教会が神に導かれているという固い信仰は持つべきであるが、教会や教会幹部は決して間違わないし失敗しないと信じ込むことは不適切(恐らく主の目にも不適切)であって、カルトでしょう。
つまり、この教会や幹部は確実に神に導かれているが、時には間違うこともあるという、かなり世間体の悪い残念な事実(旧約のノアやモーセ、ヨナ、新約のペテロなどの聖人もパーフェクトマンではなかったし、末日のジョセフスミスやブリガムヤングも聖人でありながらパーフェクトマンではなかった)をいかに自分で消化して受け入れてゆくかが問われているものと思っています。
ネットの情報が増えることは害もあるが、そのことにより早く気づく機会を増やすことであって、間違った信念がより正しい方向に進む分には、ネットの革命も好ましい発明品であると考えています。