
[画像は男女間格差]
アメリカの大統領選挙の様子を見ていて、所得格差の問題が深刻で選挙の結果にも反映していることを世界の人々が知った。貧しい所得の低い白人層が、体制側(establishment)に反発してクリントン候補を嫌ったと聞く。関連して最近、ふと感じたことが二つある。
ひとつは、最近教会に出席する人たちの間に、比較的平穏無事にあるいは順調に過ごしているように見える人たちと、他方それほど恵まれないでいるのではないかと思われる人たちがいることである。前者の順調に、と言っても著しく成功した人や大金持ち、有名な人士が指折り数えるほどいるというわけではない。後者の、それほど・・と思われる人々には、夫婦が別居している人、ほぼ別居状態にある夫婦、教育を終えても普通の就職ができないでいる人、結婚できない人(これは教会に女性が多く、ある意味不可抗力な面がある)、また、時おり、壮年期の男性で失業中という話を聞くことがある。実に多難な時代に突入している。世相を反映し、教会内にも見えない二つの層が形成されつつあるのだろうか。
もう一つは、11/12日、BYU-Hawaii全国高校生英語スピーチコンテストを見ていて、出場者ではなく(教会員はゼロ)、審査員や運営側の様子から、いかにもアメリカの教会という印象を受けるのはさておき、モルモン教徒は日本でも比較的恵まれた、順調な暮らしをしているひとたちがある程度いて、彼らが教会を率いているのではないか、という思いが頭をよぎった。記念撮影後、壇上で賓客の一団と審査員、運営者が談笑している姿を見てふと思ったことであった。(余談ながら、年々出場者の発表水準が向上し、この催しが高等学校や後援者の間で評価が高まっていることが感じられた。)
参考
当ブログ記事 2013.01.20 日本のモルモン教会の特徴:最近気づいたこと
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高齢会員が増え、独身の中高年が増え、生活保護受給者も目につきます、若くて定職に就けない人も多く、「勤勉で家庭を大切にする」と言うモルモン理想像が現実には崩れています。
今、世の中の安定した所得が有る家庭の人は、極端に仕事が忙しく、まずモルモンには成れないと思います。
一昔前は、特に優秀でなくても、コツコツと働けば、車や家が買えたのですが、今は、ただコツコツと働いても、非正規労働者としてしか存在できないのが現実かと思います。
安定した収入で、家族を養い、モルモンの生活を続けるなら、公務員しかないと思うほどです。
先進国の指導者や経済界のトップが目指してきた「グローバル化」は、確かに経済の枠を広げ、多くの富をもたらしたのですが、どの国の中間的階層の労働者にも恩恵をもたらすことは無かった。
今回のアメリカ大統領選挙でも、その点が問題になったのかと思います。
移民の受け入れは、低賃金の労働力を確保でき、経済界にとっては、利益を上げる良い方法なのですが、それまで、中間層として存在できていた、国内の労働者が職を奪われ、移民と同じ低賃金で働くことを余儀なくされました。
日本でも、大手の企業が、安い労働力の中国やアジア諸国に生産拠点を移したために、仕事が無くなり、中国やアジア諸国の労働者と同じ労働条件で働く必要に迫られてきています。
アジや諸国は、賃金が安い分、物価や税金も安いのですが、日本は、物価も税金も、その他の社会的な保障にかかわる支出も高いままです。
それどころか、政府は経済成長の為にさらに物価を上昇させようと躍起になっています。
そんな中で、モルモン教会は、会員が増えないのを、「伝道の方法が悪い」「会員の努力が足りない」と言う、旧来ずっと続けてきた思考に固執しています。
社会の情勢が変わっているのに、教会の運営を変えようとしないのは、自滅の道を進むだけです。
聖餐会を金曜日の夜にもするとか、神殿機能を各地域に分散するとか、「信仰を持とうとする人が、受け入れる事のできる、信仰生活」をもう一度作り直すべきですね。
教会がアメリカ開拓時代の昔話をして、信仰を見せなさいというならば、教会は温情を示してせめて裏方でその分くらいは永続的に断食献金が戻る仕組みにしておけばいいのにと思うこのごろです。
まぁモルモンの救いの教義は格差があるわけですが、
基本は働かざるもの食うべからず、自らの環境で最善を尽くせば互いに分かち合えれば良いのかと。タラントの喩えの通りです。
問題は格差よりも底上げだと思います。
いわゆる低所得者層の生活が憲法にある、
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
となればいいわけで、頑張ればより良い生活が得られるという希望の格差であって欲しいです。
日本人は世界一の財産保有国であるにも関わらず世界一心配性な国民。
周りと比べず、貪らなければ幸福な現状に気がつくのではないでしょうか。
そこで,イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた,「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは,さいせん箱に投げ入れている人たちの中で,だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが,あの婦人はその乏しい中から,あらゆる持ち物,その生活費全部を入れたからである。(マルコ12:41-44)
これはたぶん什分の一献金の話じゃないと思います。
オムナイさんは、教会に自分の貯金を全部を寄付してスッテンテンになれるでしょうか、私は弱いからとてもできません。 什分の一で精一杯です。
さて極端な例として、貯金がなくて収入が低すぎて節約してても月末には必ずスッテンテンになる姉妹がいて、さらに什分の一を払うべきということは、本人は「あなたはレプタ2つを捧げなさい。私たちはできないけれど」と言われているのに等しくならないだろうか。
…という問題に帰結してくるわけで、人生によって貧富の格差もあって当然ですけど、大きすぎたら真の教会の教えも本末転倒になってくるかもしれませんよね。
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=tithing%20edward%20partridge
深く考えた方がよろしいのではないでしょうか?
イエス様は自殺や自殺のような
行為はしてはならないとまことの預言者を
通してはっきりと語っておられます。全部の持ち物、
生活費全部を入れたら当然死を意味します。
ではどういうことなのか。これは私個人の意見なのですが、あの貧しい女性は肉体の重病か何かで死が近かったのでは無いでしょうか。だから、あの女性はキリストがお褒めになられたマザーテレサの「私たちは自分が
痛いと思うまで出さなければなりません(義捐金を)」
という言葉以上の様な事が出来たのではないでしょうか。この仮説が違うならもしくはあの女性は托鉢修道士の様な生活を覚悟してあの施しをしたか、当時有った
落ち穂拾いの生活を覚悟してやったのではないでしょうか?今の時代日本や北米などの国ではあの貧しいやもめ
が行ったキリストにほめられる行為は難しいのではないでしょうか?
それでイエスは婦人の庭の賽銭箱の近くでやもめをひそかに待っていて、身の回りのものを売って得た(100円くらい)レプタを2つとも賽銭箱に投入してしまったのをイエスが見たから、「あの貧しいやもめは~あらゆる持ち物,その生活費全部を入れたからである。」 と褒めたのでしょう。
献金の絶対額がいくらかというのは問題ではないと弟子に福音の原則を教えた後に、破産した彼女はイエスの教団に迎え入れられ、手厚く保護されたと信じたい。
貧しいものはそれで由とされたのです。
羊がベストですが、山鳩でもOKです。
教会指導者は羊だけを捧げるように指導していないでしょうか?
神は恩情があるはずです。
求められるものは個々の能力によって違ってきます。
律法というものもみんな同じではなく、能力に応じて個々が最善を決めるものと考えます。
最善は人によって過程も結果も違うことを指導者は理解する必要があると思います。
それはかなり事実だと感じます。
やはり社会的弱者と呼ばれる方はこの教会では生き辛いものを感じます。
イエスの時代のターゲットは社会的弱者だったと思いますが、あの時代も福音に耐えられずに去って行った人が多かったと思います。
残った人が安定した暮らしをしていたとは限りませんが、いずれの時代も犠牲を求めるものであれば、気持ちだけで信仰を維持できないものがあったと思います。
犠牲というものが、救いに必要不可欠なものなのかいまだに理解できませんが、時期が来ればできなかったことができるようになることもあります。
モルモンの場合、律法主義が前面にあるので、チャレンジに応えられなかった人は比較的早い段階で罪悪感を持ち、教会に集いにくくなるのではないでしょうか?
福音に従いきれない人を受け入れる=裁かない。
という気風が必要だと感じます。
それは年月を経ないとわからないことなのでしょう。
教会は組織です。
成長を考えないといけません。
そのためには社会的に成功した人の知恵や経験が必要だと思います。
必然的に指導者は社会的強者が選ばれます。
弱者が住み辛い教会は、構造的な問題に起因します。
弱者に合わせると運営ができなくなるので、この教会の方針は弱者を強くするところにあります。
それは本人にとっても良い結果を生み出すことも多々ありますが、強くなれなかった人は以前より大きな絶望を感じることもあるでしょう。
律法主義、成果主義というものが、教会には必要であると同時にそれらが教会の内的・福音的な真の成長を阻害していると感じます。
難しいところです。
少なくとも弱者が弱者のままで受けれられることは、この福音には存在しないように思います。
プロテスタントでは、イエスは弱いままの自分を受け入れると学びました。
モルモニズムは、実践的な福音であり、それは評価に値しますが、漏れた人のことを考えていない気がするので結果的に強者の福音・できた人の教会になっている気がします。
指導者だってどん底から這い上がった人もいることでしょうが、這い上がれず、福音から離れた善人が多くいると感じています。
この教えゆえに、多くの良心を持つ人がイエスを諦めたことが残念です。
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/danger
それでビショップがタイジングの面接はいつにされますか? と言い難そうに尋ねて姉妹は予定が立ったらまた連絡しますと言って、やんわりと実質面接を拒否してしまうのね。
中央幹部は、経済弱者度が極端すぎて福音の原則にあわないさまざまなケースについて、どう解決していったのかあんまり証しませんから、それが残念です。
Rさん、落伍者さんの観察・指摘に同感です。得難い補足に感謝しております。
あるワードに貧しい兄弟(男性会員)が居た、自分の軽トラックで自営業の運送屋をしていたが、高齢の上仕事が減って、食べるものにも事欠くようになった。
その兄弟は監督に呼ばれ、什分の一の面接を受けた。
「私はもう什分の一を納める余裕が有りません」と監督に言うと、監督は「ひとりの貧しいやもめがきて,レプタ二つを入れた・・」と言う聖書の話をして、こう言った「兄弟、あなたは、持って居るお金をすべて献金しなさい。軽トラックも売りなさい、そしてそれを献金しなさい、きっと主は助けてくれます。」
その兄弟は迷ったが、監督の言う事に従った。
一文無しになった兄弟に、監督が声を掛けて、「今から私の行くところに付いてきてください」と言った。
男が付いていくと、そこは市役所だった、窓口で、監督の言うままに、生活保護の申請をした。
しばらくして、申請は認められ、兄弟は生活保護を受けて、仕事もしなくてよくなり、食うに困ることは無くなって、以前より楽に生活ができるようになった。
監督は、また兄弟を呼んで、こう言った。
「生活保護費の中から、什分の一を納めなさい。」
”38 あなたがたがこれらの最も小さい者にするのは、すなわち、わたしにするのである。”(42章)これは奉献の律法に関しての章ですかぁぁ。
現今のシステム下では、やはり”しなかった”人が出てくるであろうという感じかなぁぁ・・・・
>オムナイさんは、教会に自分の貯金を全部を寄付してスッテンテンになれるでしょうか、私は弱いからとてもできません。 什分の一で精一杯です。
例えば私がレプタ二つしか持っていなかったら容易いでしょうね。
もし、貯蓄が普通にあれば什分の一と断食献金が妥当であり、全部を寄付してしまうのは現在の教会の体制では誤った選択と思えます。
使徒・予言者でさえ自分の財産は確保しているわけですから。
>本人は「あなたはレプタ2つを捧げなさい。私たちはできないけれど」と言われているのに等しくならないだろうか。
損して得取れですかね。
モルモンに限らず教会には多くの生活困窮者が集まりがちです。
限られた献金の中でより多くの人を救うには戒めを守っている人を優先しなければならない。
払った什分の一よりも多くの断食献金が「本人」にもたらされることが期待できます。
状況によって「あなたはレプタ2つを捧げなさい。」と言うことも正しいと言えます。
(52章)
たまWEB、教会の指導的召しとかって経験ゼロなわけですが、召されてる・た人たちしっかり霊感受けてよい判断してるんでしょうか??人からの指示やら手引き・ハンドブックやら教会上の地位の人から指示やら、そっちを優先してないだろうか・・・
断食献金とか地元にプールしてさぁ、余らないように使い切るようにしてさぁ、どうしてもなら教会外にも困窮者への支援として寄付するとかぁぁ・・・
右の手がしているのを左手がわからないようにとかってたまWEBは好きじゃないんですよねぇぇ・・・・しっかりやってるというのがわかるようにしたら、援助受けてる人もさぁ、知られても、そのような助け合いの社会が普通なんだという意識チェンジが必要・・・
地元還元、地元中心のほうが、えぇのだよ、サトラップ制とかって揶揄される現今の方式は改めてさぁ・・・
米国ではビショップの倉庫とか物が豊富にあったりとか、極端な例かもですが、ビショップリック一員は家のローンに断食献金から援助受けたとか・・・・
一般教会員にもどう使われてるのか知らなかったら、弟子としてどの程度なのか、わからないまま、人任せのまま、教会人生終わっちゃうわけだな・・・まずは、情報公開・共有みたいなとかろからさぁぁ・・・
そうなの?キリストの教えって、そうなの?
>地元還元、地元中心のほうが、えぇのだよ、サトラップ制とかって揶揄される現今の方式は改めてさぁ・・・
もうそこまで言うのであれば、左手どころかPBO本部にもわからないように独自に施して、自己責任で面接時に什分の1の律法は完璧ですと答えたらどうですか?
いつだったか、”生活経費を除いた中から十分の一やってます”というの、神権会だったかでの発言聞いたことあります。教会は税務署のように書類提出求めないし、献金額の決定は、本人の責任に任せてるんでは・・・十分の一行うということ自体、尊い信仰のあらわれなわけで・・・ブリガムがトップになって使徒たちは十分の一免除にしたのは如何なる信仰だったものやら・・・
右の手の云々は、教会は献金の使い道など全部公開したらいいのではという意見に対しての指導者的立場の方が言ったんでした。
サトラップというのは言い得て妙という感じか、今、グローバル化とかTPPとかいいますが、教会はブリガムの時からグローバル化だったんでしょうかね??
つい最近ですが、6つのワード・支部が併合されて3つになると聞きました。同じ地域だと思いますが。
嫌々収めているようでは、捧げ物のはならないので、喜びもなく何もやってないのと同じことなので…
あまり本気にしてもらっても困るのですが、収入の10%の内で貧困者に対して、個人的に隠れた支援を行った支援金を差し引いた残りを教会に献金して、ビショップに完納したと告げてはいかがですかというくらいの意味でした。
そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。 (マタイ25)
プール期間だったらワードに3ヶ月、ステークにさらに3ヶ月、んで、サトラップ越えで、いくつかのステークをまとめて3ヶ月とかって(現金よりも情報)・・・するうちに困窮者に使われる仕組みになるんではと。
たまWEBのところで、最近改宗者バプテスマありました。改宗者のは今年二人目くらいでしょうかぁぁ。
教会員による仕事上での知己としての紹介で、その教会員の方、他県からバプテスマ会に来ましてお話してました。3~40代の女性で、仕事はネットワーク関係かな。教会員となって十数年かな。その間60人くらい、教会を紹介、改宗へとお手伝い、10人ほどバプテスマということでした。すっごい信仰だなとたまげましたぁ。
「36 わたしは、あなたがたが心を高慢にして歩くことを知っている。心を高慢にして高ぶることをしない者はわずかしかいない。高慢な者は、非常に華やかな衣服を着て、ねたみや争い、悪意、迫害、またあらゆる罪悪に染まる。また、あなたがたの教会、まことにすべての教会は、あなたがたの心が高慢なために汚れたものになってしまった。
37 見よ、あなたがたは、貧しい人と乏しい人、病人と苦しんでいる人を愛する以上に、金銭や財産、華やかな衣服を愛し、あなたがたの教会を飾ることを大切にする。
38 おお、腐食するもののために自分自身を売る汚れた者たちよ、偽善者たちよ、教師たちよ、・・・」
この警告されている”あなたがた”なんだが、最後に出てくるところの9章30節、「30 見よ、わたしは今、死者の中から語っているかのようにあなたがたに述べている。わたしはあなたがたが将来、わたしの言葉を手に入れることを知っているからである。」にあるように、末日のモルモン教徒をも含めているように見えるが、これはどういうことなんだろうか?
第4ニーファイに、「24 ところが、この第201年には、高価な衣服を着て、あらゆる見事な真珠と世の美しいものを身に着けるなどして、高慢になった者たちが彼らの中に現れ始めた。
25 そのときから、彼らはもはや自分たちの所有物と持ち物を共有しなくなった。」にあるわけで、モロナイが、高慢でない教会は、すべての物を共有している教会であると見ていたなら、モルモンは共同制度下で生活することに失敗したわけで(教会歴史)、その意味ではモルモン教会も含めてモロナイは警告していたことになりましょう。
モルモン 共同制度 http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%20%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%88%B6%E5%BA%A6
共同制度 united order http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%88%B6%E5%BA%A6%20%22united%20order%22
あぁぁ、ブログで2年半前、何か書いてたっすかぁぁ。
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/0f20cf325729a95bf2ff93b009051e38
世の縮図ということであれば、日本の教会内も植民地支配経営下と同類ということでは・・・
郵政民営化 植民地 http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E2%80%9D%E9%83%B5%E6%94%BF%E6%B0%91%E5%96%B6%E5%8C%96%E2%80%9D%20%20%20%22%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%22
モロナイは、穢れていない、高慢でない教会とは、すべての物を共有していることであると理解していたというのが事実であってほしい、というのが、植民地側の日本人教会員にとっての最後に残された希望でしょうか・・・
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201612010000/
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%94%E3%83%8E%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%88%20%20cia
http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=pinochet%20%20spencer%20kimball
まぁ、アメリカ世界支配に沿って伝道できたことに・・
そういう中でさ、植民地人日本人教会員に何が出来るんだべ??
日本の犯罪史に残るような強奪事件とモルモン教会がどう絡むのでしょうか? 立派に教会に対する名誉毀損になっていますし、荒唐無稽ではないと名言されるならば、論理的な説明をお願いします。
まさかK氏を何が何でも社会的に嵌めてやろうという教会を破門された反モルの口車(警察は告発証言に矛盾があって全然信憑性がないと取り合わなかったそうですが)に乗ってるだけとかじゃないですよね?
追求すべきはとことん追及したらよいのですが、手段を選ばず嵌めて当然というのでは、たまWEBさんも反モルと同じになりますよ。
さあ、投稿した以上は、第三者にもわかるように論理的に説明責任を果たしてください。
個々人の信仰上の理解を壊すようであってはなぁぁ。
氏が教会幹部を’社会的にはめる’ことを目的にしていたということですかぁぁ??当時、他の教会員は彼をそんなふうに見てたんでしょうか??『長い府中の雨:府中三億円事件』(東竜(これはペンネーム)創栄出版 1987)をチラ読みした記憶では、彼なりの何らかの霊感があってそのへんがモチベーションで、貶めようとかってなかったでしょう。
何といっても諜報の世界だから、警察とかって越えてますかぁぁ。論理的に??そのへんは、スパイ小説家でもない限り・・・何の本だったか、松川、三鷹、帝銀などの事件に米国謀略がからんでるという系ので、その年表に三億事件も入れてたのがあったですねぇぇ・・・斎藤充功著の陸軍中野学校関連のルポで、戦後、情報提供かなんかでアメリカ国籍となった卒業生を訪ねたところ、何も話すことない、何か書いたらこのネット時代、すぐに見つけれる、懲罰的訴訟起こせると脅されたような話があって、週刊読売での同じく懲罰的訴訟をすると発言してたの思い出したですねぇぇ・・・
日本教会員の中には見てくれ主義?で、名誉毀損だなんて言いますが、これがアメリカ教会員だったら、まぁ、すべてではないにしても、イラク戦争支持でも見れるように、日本人教会員に面と向かっては言わないでしょうが、モルモンとして大いに誇りに思う、当然、やったかぁぁとほくそえむみたいなケースがあるんだということに・・・これもまた戦後GHQの陰謀??ギルバート氏に言わせれば??
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E5%84%84%E5%86%86
越本
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%E8%B6%8A%E6%9C%AC
https://www.youtube.com/watch?v=SnqvMgyhgYI
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11183270633.html
https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC
越本氏は最初の追及は正当かつまともであったが、破門されてからやり方がおかしくなって(破門は気の毒に思いますが)、方法を誤ってしまった方だと思います。
とにかく警察が相手にしなかったが霊感によって事件の真相を究明したではお話しになりません。 これを荒唐無稽と言うのです。
『長い府中の雨:府中三億円事件』はあくまでもフィクションですし、モルモンともモルモン教会とも名指しはないわけですし、肝心な作者は不明ですよね。
個人にしろ団体にせよ、犯罪者だとするには、第三者が検証できるだけの根拠が必要であり、そういうものなしに、「3億円事件も、モルモンがからんでた。 荒唐無稽ではない。」などと軽々しく書き込むべきではないのではないかと申しあげているのです。
より正確には、たまWEBは、からんでいたと信じれるですかね。
著者が越本氏というのは、旧モルモンの泉掲示版で、NJさんあたりからの書き込みだったか、他にも・・・
これが、もしunknown氏のブログなら消されるということに、コメントの意見感想の可否は、ブログ主が決めることに。UNKNOWN氏も、ぜひ自分でブログ持ってそこで意見表明したらいいんではないかと・・・
たまWEBのは、http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno
(モーサヤ29)
真相はねぇ、福千年になって白い石?ウリムとトンミムのぞかせてもらうまでは、本当のところはわからんというような信仰が必要なんでは・・・
「32 このようにして、主なる神は道を備えて、残りの人々もキリストを信じる信仰を持ち、聖霊がその力によって彼らの心の中に宿られるようにされるのである。このような方法で、御父は人の子らに立てられた聖約を果たされる。
33 キリストは言われた。『あなたがたはわたしを信じるならば、わたしの心にかなうことを何事でも行う力を持つであろう』と。
」(モロナイ7)
越本、東竜 http://blog.goo.ne.jp/numano_2004/s/%E8%B6%8A%E6%9C%AC
「個人にしろ団体にせよ、犯罪者だとするには、第三者が検証できるだけの」・・・裁判官や警察への苦情ということに。
「方法を誤ってしまった方だと思います。」・・・そのへん、詳細をば期待。
http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/1241805.html
人権 推定無罪https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E4%BA%BA%E6%A8%A9%20%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E7%84%A1%E7%BD%AA
警察が取り扱わなかったという理由には、神奈川県警がからんでいたためとも考えられます。
「「
: Re: 孤独な告発者『壊れた真相』
記事No : 2148
投稿日 : 2004/06/19(Sat) 15:08:11
投稿者 : るう@世話人
URL : http://garyo.yi-web.com/mormon.htm
つまり、三億円事件の真相を裏付けるものは、証拠、証人という事実の
積み重ねではなくて、「霊的な確信」なのです。しかし、科学の新説の
証明でもそうですが、インスピレーションが先にあってそこから、仮説
→立証と演繹的に進む場合もあります。E氏は立証に力を注ぐのですが
、それは事件発生時にYがKの会社に所属していたと言う点に絞られま
す。
E氏にとっては、その他週刊読売が指摘した諸問題は取るに足りない
ものであると判断されたのです。それは、Iは頼りない点はあるが、嘘
をついたり人をだますような人格ではないので、Iの説明には全幅の信
頼を置くと言うことなのです。
E氏の執念は実ってもう一人のYが発見されます。その人物は当時
神奈川県警の警官であったSと言う人物でした。彼はYの名を借りて
事件のあったころにKの会社に勤務していたと言うのです。しかし、
これが発覚した時、既に時効が成立してしまっていたと言います。
つまり、KはSをYの名前を借りて社員として雇用し、実行犯を任せ
たわけです。そして事件後、Sは消え、なにも知らない本当のYが社員
となる。巧みなアリバイ工作でIさえも出し抜いたと言うわけです。E
氏にすればようやく『真相』は明らかになった(立証された)が既に時
効の壁でどうしようもなかったと言うことになったわけです。
しかし、この『真相』には相当な無理があります。
IがSを目撃することを
」http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/3aa60f8ed3f901515676f078ab611a21
”目的は、三億円事件現場周辺にたくさんあった学生運動のアジトを徹底的に洗い出す ため。実際にたくさんの学生がローラー作戦で被疑者とされています”
”犯人は白バイに乗る警察官を装っていたとされるが、大量の証拠を残しておくことで逆に捜査の目をくらませる等、警察の捜査の仕方を熟知していた点、三億円という史上空前の規模であるにもかかわらず東芝府中工場の被害は保険金で補われ、保険会社も外国へ再保険を掛けており、結局日本国内では誰も損をしていない点等から、犯人は公安警察の者ではないのかと疑われている。
実際、三億円事件直後から犯人捜査でローラー作戦が展開されたが、この作戦の中で警察は新左翼や学生運動のアジトを一斉検挙し、これを一網打尽にしており安保闘争は壊滅してしまった。これと同機するかのように1970年、「三億円事件」の捜査陣の規模は役目を終えたように大幅に縮小されている。”
http://blogs.yahoo.co.jp/hoshiyandajp/28176374.html
三億円 ローラー https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%22%E4%B8%89%E5%84%84%E5%86%86%22%20%20%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC