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 潟沼誠二氏

潟沼誠二著「そこが知りたい 日本のキリスト教の今」は、著者の長年の研究と実践から出たもので、テーマは多岐にわたり、ダイナミックな語りが読者にいろいろな点で再考を促す。大所高所から見る視点は明快であるが、縦横に用いられる古今東西の文学的修辞は読者を圧倒し、難解に感じられる箇所が少なくない。

アメリカで元マサチューセッツ州知事ミット・ロムニーが共和党大統領候補に指名されるにいたって、メディアから問い合わせがあったりして、少々の説明では理解してもらえないため、誤解や中傷による先入観を払しょくするためにも執筆を決意したという。従って、書名は日本のキリスト教とあるが、絶えず補助線としてモルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)が引かれていて、論点の中心はむしろそちらにある。

著者は執筆の目的を果たすべく、人々が今日いだくキリスト教像をほぐすため、キリスト教史を俯瞰することから始める。この壮大な仕事を原始キリスト教会から使徒教父時代、公会議(複数)、ルネサンスと宗教改革と追ってたどっていく。初めの部分はエウセビオスの「教会史」を引いて展開している。そして、絶えず論争、異端排除と教会同志が抗争し、相手を負かすためには「銅藍」(どうらん)を体に塗りつけた俳優のように、政治的権力と結びついて汚れきってしまう(ルターやカルヴァンを含めて)。争いの連続は論争好きのキリスト教という印象を与えることになる。人間の頭で作り上げた教理を神学者が討論してきた、これは預言者の不在によるもの、とみる。

トインビー、トクヴィル、トレルチを引いて、アメリカは謂わば、それまでの歴史を後にした新しい実験場とも言える社会でその地に新しいタイプのキリスト教、すなわちモルモン教を含めた宗派が誕生することになると説明し、モルモン教の紹介が4、5,6、7章と続く。ここではジョセフ・スミスが大統領候補に立候補した時の公約に詳しく触れていること(これは意外であった)、ヒンクレー大管長が著名なキャスターからインタビューを受けた時のことが扱われていること以外、省略する。

日本との関連では、いくつかの要因でキリスト教像が歪められていることを指摘。一つは17世紀以降ヨーロッパ列強の植民地戦略が、宗教や魂の支配にも及んだことがあげられる。それで著者は幕府がキリスト教の布教を禁止したこともいちがいに否定的に見ることはできないと理解を示す。また、日本社会の「ムラ」的閉鎖性、個が確立できていない、などの批判がキリスト教の独断、優越感につらなり、キリスト教を毛嫌いさせた、と見る。

しかし、神は聖書の伝統を受け継いできた欧米だけではなく、「この囲いに入っていないほかの羊」(ヨハネ10:16)も導かれる。日本人はその一つで、昨年3月11日大地震と津波が東北を襲った時、被災者が秩序正しく、無私の精神で助けあった姿は聖書の愛の教えを実践し、神に喜ばれる行いを示したことにほかならない。日本人には「超越的なものの存在を信じてはいないが、あからさまに否定する人も少ない」(竹内靖雄)など、宗教を受け入れる優れた潜在性があり、西側が「一段と高いところから見下ろして」(エラスムス「痴愚神礼讃」)押し付け気味に伝道するとすればそれは当たらない、と著者の持論を展開する。このあたりは、遠藤周作が「留学」の一節で、フランス人が日本のために祈りましょう、キリストの光が当たるようにと語りかけたのに対し、主人公が辟易し日本を全然理解していない、日本はそれほど単純な国ではない、と心中抵抗している件(くだり)と重なって読める。

北海道で札幌ステーク会長、地域幹部を務めた著者潟沼誠二氏は、日本の末日聖徒の知識層の代表者でもある。ダイナミックに本質をつき、時に意表をつき、モルモニズムを説明し弁明している。しかし、同時にキリスト教界が力を合わせて協力することを謙虚かつ大胆に呼びかけている。そして、もう一面では日本人論を展開し、日本人としての誇りを伝えている。この書の大きな特色である。

内容で注目したことに次のようなことがある。一つは、教会の日本における伝道についてで、バプテスマの基準を厳しく守るべきである、候補者の決意の確認をしっかりするように、彼らの行ないによって明らかにされたことを見届けるべきである、問題がある時は延期すべきである、と記している。さらに、日本人は思いやりや相手を気遣うことから、断りきれないでバプテスマを受けることが少なくないが、理解できない、信じられないと思ったら、はっきりNoと言える日本人になるべきである、とさえ書いている(pp. 195-200)。それからBYUのVan Gessel教授が遠藤周作の作品を英訳していて、遠藤と交流があったということは私にとって新しい知識であった。そして、BYUがイスラム文書を翻訳する事業を行っていて、イスラム理解に努めていることに触れている。

さて、大局的な見地から扱う対象の幅が時空ともに長大になると、専門領域を越えた部分も手掛けることにならざるを得ない。その時、大先輩を前に失礼を敢えて顧みずに言うと、たどたどしさや細部における緻密さの欠如が生じることがある。幾ばくかの事実誤認や誤訳が散見されたことを付記させていただきます。(新共同訳聖書も口語訳も共に日本聖書協会によること、billionは10億、固有名詞 [ダニエル・C・ピーターソン] のファーストネームの取り違えなど。)

それはともかく、この時期末日聖徒イエス・キリスト教会について、教会員による重厚な情報提供がなされ、日本の教会員を代表してこの本が上梓されたことは誠に喜ばしいことである。

[付記] 書名の書き出し「そこが知りたい」は、昔1982-1997年TBS系列のチャンネルで15年間放送されたテレビ番組の名前に同じ。

参考
本ブログ 2012/09/03 潟沼誠二氏、モルモン教について本を出版
同、2008/04/27 潟沼長老、広島で楽しい説教
同、2005/05/08 ブリガムヤング大学のイスラム文化への取り組み(1)


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