まあ、ですから、結局は
「せっかく楽しいことしてるんだから、罪悪感なんて感情を選択しないで、シアワセ感の方を
選択しなさいよ。」
ということです。
自分の体が自分のものであるように、自分の心、気持ち、感情も自分のものです。
「右手を上げよう。」
と思ったら、左手ではなく右手を上げることができるように、
「この感情を感じよう。」
と思ったら、その感情を感じるのです。
誰かに、無理やり右手を上げさせられているのではないように、誰かのせいで、
無理やり、その感情を感じさせられているわけではありません。
体も心も、自分のものですから。
だから、
「やっぱり、右手じゃなくて左手を上げよう。」
と思えば、左手を上げますし、
「やっぱり、罪悪感の感情じゃなくて、喜びの感情を感じよう。」
と思えば、喜びを感じるわけです。
ただ、早さが違うのよね。
心の方が、うんと早く動いてしまいます。
だから、自分の意志とは無関係にそうなるって、思ってしまうのが、難しいところですね。
ただ、「自分の感情は、自由自在に選択できる」とわかっているだけで、ずいぶん
違うんです。
自分の感情に振り回されて疲れ切ってしまったり、変に誰かを逆恨みしないですみますから。
もちろん
「わかりました。じゃ、いい感情を選択し続けます。」
なんていうほど、甘くないことは、ワタクシ、よ~く知っています。
長年にわたる、心のクセがしっかりありますからね。
だから、私も「練習中」なんです。
「せっかく楽しいことしてるんだから、罪悪感なんて感情を選択しないで、シアワセ感の方を
選択しなさいよ。」
ということです。
自分の体が自分のものであるように、自分の心、気持ち、感情も自分のものです。
「右手を上げよう。」
と思ったら、左手ではなく右手を上げることができるように、
「この感情を感じよう。」
と思ったら、その感情を感じるのです。
誰かに、無理やり右手を上げさせられているのではないように、誰かのせいで、
無理やり、その感情を感じさせられているわけではありません。
体も心も、自分のものですから。
だから、
「やっぱり、右手じゃなくて左手を上げよう。」
と思えば、左手を上げますし、
「やっぱり、罪悪感の感情じゃなくて、喜びの感情を感じよう。」
と思えば、喜びを感じるわけです。
ただ、早さが違うのよね。
心の方が、うんと早く動いてしまいます。
だから、自分の意志とは無関係にそうなるって、思ってしまうのが、難しいところですね。
ただ、「自分の感情は、自由自在に選択できる」とわかっているだけで、ずいぶん
違うんです。
自分の感情に振り回されて疲れ切ってしまったり、変に誰かを逆恨みしないですみますから。
もちろん
「わかりました。じゃ、いい感情を選択し続けます。」
なんていうほど、甘くないことは、ワタクシ、よ~く知っています。
長年にわたる、心のクセがしっかりありますからね。
だから、私も「練習中」なんです。