お気楽忍者のブログ 弐の巻

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あの世の入り口 六道珍皇寺

2021年02月12日 12時00分00秒 | 行楽・旅行記3

臨済宗建仁寺派 大椿山 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)(京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町)にやってきました。

創建は延暦年間(782-805年)とされ、開基は奈良大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊とされています。

平安京の墓地だった鳥辺野に至る道だったことから、この周辺は六道の辻と云われていました。

六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六種の冥界を指し、人は因果応報により死後はこの六道を輪廻転生するという仏教の教義です。

そう、まさにここは現世と冥界の境(辻)と考えられていた場所でした。

境内にある閻魔堂(篁堂)はこの寺に伝わる不思議な伝説に関連したお堂です。

中には迫力のある閻魔王像が安置されていました。

そして、小野篁(おののたかむら)の像。

小野篁は平安時代初期、嵯峨天皇の朝廷に仕えた役人で、文武両道に優れた人物だったそうですが、かなり自由奔放な性格だったようで奇行も多かったとされてます。

また、小野篁は閻魔王宮の役人とも云われ、昼は朝廷役人、夜は閻魔庁で閻魔王の助手を務めていたという伝説があります。今で言う副業サラリーマンですね(笑)

毎年、盂蘭盆に精霊を迎えるために撞かれる鐘(迎鐘)のある鐘楼。

古来よりその音が十萬億土の冥土にまで届くと信じられいたそうです。

本尊の薬師如来像を祀る本堂。

「閻魔王宮の臣 小野篁卿旧跡」や「あの世への入口 六道の辻」と書かれた提灯がなんとも言えませんね。

本堂裏手の庭園には小野篁が冥界の閻魔庁へ出勤するのに使ったという井戸(冥土通いの井戸)がありました。

また、2011年には隣接する民有地(旧境内)で井戸が見つかり、伝説にある篁が冥界から帰ってくる時に使ったと云われる黄泉がえりの井戸ではないかと考えられてます。

つづく

過去記事<京都写ん歩  清水の坂を歩く

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