「土佐和紙」
Description / 特徴・産地
土佐和紙とは?
土佐和紙(とさわし)は、高知県土佐市や、いの町周辺で作られている和紙です。過去には、財布や薬入れ、提灯などに使われていましたが、現在ではふすまやちぎり絵、お菓子の包装など幅広い用途で使用されています。さらには、日本の書籍や世界の絵画の修正に使用されるなど国内だけでなく、海外でも評価の高い和紙です。
土佐和紙の特徴は、種類が豊富であるということと、他の和紙と比べて薄くて丈夫であるということです。土佐典具帖紙など厚さわずか0.03mmの手漉き和紙は、世界でも類を見ません。その薄さと強度は、土佐特有の楮(こうぞ)と美しい仁淀川の水流の恵みによって作られたものです。まさに自然が生み出した工芸品と言えます。
日本各地に残る和紙の産地では多くの種類を生産することが少なくなりました。しかし、土佐和紙は現在でも300種類ほどの様々な種類の和紙を生産し続けています。
History / 歴史
土佐和紙の歴史にはいくつかの説があり、はっきりとはわかっていませんが、930年(延長8年)、紀貫之が伝えたとされる説が有力とされています。
平安時代の歌人であり百人一首でも知られる紀貫之が、土佐の国司に着任した際に、製紙業の奨励を行ったためです。少なくとも、土佐和紙は1000年以上の歴史を持った伝統工芸品だということが分かります。平安時代には天皇家へ献上品として納められるなど当時から質の良い和紙が土佐周辺で作られていたことが分かる文献も残されています。
当時、和紙は貴重なものとして貴族の遊びに使われる貝合わせなどに使われていました。時代は変革を遂げ、武士の着物や人形、藩札に使われるなど、用途も様々に変化していきます。
土佐和紙は、江戸時代になってからも幕府の献上品とされるなど重要な特産品であり、土佐藩からも保護を受けていました。その特産品としての伝統は現代でも、いの町や土佐市を中心に受け継がれています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tosawashi/ より
世界で一番薄くて強い手漉き和紙
豊かな自然とうつくしい清流・仁淀川(によどがわ)に恵まれた伊野町は、日本紙業界の恩人、吉井源太(よしいげんた)の故郷である。彼は江戸末期から明治初年にかけて製紙用具を改良し、世界一の強度と薄さを誇る「土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)」を考案し、日本国内はもとより世界に手漉き和紙を広めた人である。
土佐典具帖紙の伝統を消してはならない
厚さ0.03ミリという世界一薄くて強い手漉き和紙「土佐典具帖紙」は、かつてタイプライターの原紙として重用され、広く海外に輸出されていた。しかし度重なる事務機器の変革、洋紙の台頭と機械化の波に押されて手漉き和紙の需要が激減。やむなく工場を閉鎖し職を離れざるを得なくなった人たちの多い中で、ただ一人、もくもくと伝統を守りつづけた職人さんに話を聞くことができた。
祖父の代からの紙漉き職人
「ちょうど20歳の時にこの道に入って50年経ちました。当時家には4~5人の職人がいましたが、親父を初めとしてだれひとり手を取って教えてはくれんかったです。」一人前になるには、俗に紙漉き三年といわれるそうだが、特に土佐の典具帖紙は極薄のため均等に紙を漉く技術は最もむつかしいと言われている。「見よう見まねで盗むようにして技術を覚えましたが、他人の真似はいっさいしたくなかったので、私なりに水の流れを工夫し、動きを改良して人より強度の強い紙を漉ける技を自己流で編み出しました。」
和紙のちぎり絵との出会い
OA機器の急速な普及と共にコピー紙やパソコン用紙などの輸入洋紙の需要が急増する中で、手漉き和紙、特に「典具帖紙」の需要はゼロに近くなった。「その頃が一番苦しかったです。しかし私は、祖父の代から受け継いだ手漉きの技術を守るために、日雇い労働をしながらでも和紙を漉こうと決心したんです。」そんなとき京都のある問屋さんから、典具帖紙に色をつけてみないかと薦められたという。苦しい生活の中で一年半ほど試行錯誤をくりかえし、やっと思い通りの美しい染色典具帖紙ができあがった。ちょうどその頃、ちぎり絵ブームがおこり、日本中からこの「幻の手漉き和紙」を求めてちぎり絵の作家たちが伊野町を訪れだした。
手漉き和紙「土佐典具帖紙」の特徴
「まあ、ためしに私の漉いた紙をみてください。」そういって一枚の羽のように薄い和紙を私の手のひらに載せてくれた。「ほら、がいにもしゃぐっても(どんなにもんでも)破れんし粉もでん(破れず粉もでない)、広げるとまた元どうりになる。」手でちぎってみると繊維が長くからんでいるのがよくわかる。水につけると、繊維がもとどおりきれいに溶けてバラバラになり再生もできる。これが土佐の典具帖紙の特徴だ。実際に手のひらでくしゃくしゃにもんでみたが、薄いガーゼのようなやさしい風合いでやわからく温かい感触。まるで天女の羽衣のようなしなやかな肌触りがする。ちぎり絵の作家たちがこの紙を捜し求めてやってくるはずだ。
次世代へ伝統をつなぐ後継者の誕生
極細の竹ひごを絹糸で編んだ簀桁(すげた・枠のついたすのこ)に薄絹をひいて紙を漉いて典具帖紙を漉いているところはもうここだけである。原料は楮(こうぞ)100パーセント。アクを完全に取り除くため、最後に使えるのは4パーセントにも満たないという。一日中立ちっぱなしの作業で約百枚ほどの超極薄の典具帖紙が漉きあがる。「一年半ほど前、孫が『僕がおじいさんの後を継ぐ』と言ってくれました。私は何も口出ししませんが、どうやら本腰をいれて漉いているようです。」土佐典具帖紙の伝統の火は確かに次世代に受け継がれているようだ。
個人の名前は出さないという約束で取材させていただきましたが、ご本人は現代の名工としてテレビ、新聞でも取り上げられた有名な方で、勲六等瑞宝章を受章されています。
職人プロフィール
こぼれ話
三位一体(原料生産・用具製作・技術の豊かさ)の和紙王国
紀元前にはじまる製紙の歴史のなかで、技術の進展とともに、その用具も時代のニーズにあわせて改良されてきました。高知県は日本紙業会の恩人である「吉井源太(よしいげんた)に代表されるように、用具製作においても他県にぬきんでた職人たちを輩出しています。
特にきわめて精妙な極薄の紙を漉くための竹ひご、萱ひご、編み糸、絹紗織りなどの基本素材の職人は高知県だけにしかいなかったそうです。また、豊かな山林資源にも恵まれ原料も豊富に手に入り、原料生産、用具製作、技術の三位一体がそろった、まさに和紙王国といえます。
*https://kougeihin.jp/craft/0909/ より
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