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<経産大臣指定伝統的工芸品> 沖縄 喜如嘉の芭蕉布

2021-08-24 21:11:49 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「喜如嘉の芭蕉布」

 Description / 特徴・産地

 喜如嘉の芭蕉布とは?
 喜如嘉の芭蕉布(きじょかのばしょうふ)は、沖縄県北部の大宜味村(おおぎみそん)喜如嘉で作られている織物です。芭蕉と呼ばれる大きな植物から繊維を取り出し織られたもので、沖縄では古くから着物の生地として親しまれてきました。
 喜如嘉の芭蕉布の特徴は、風通しのよいさらりとした生地であることです。薄く張りがある布は「トンボの羽」とも形容され、体に張り付きにくく、湿気の多い沖縄で珍重されました。沖縄では自生している芭蕉ですが、喜如嘉ではより良質な糸を採るために栽培を行い、剪定を行うなどして糸を採取するまでに3年を要します。
 収穫された芭蕉は手作業で下処理を行い、糸に加工します。一反の芭蕉布を織るのに掛かる時間は芭蕉の採取から約3ヶ月、必要な芭蕉の木は60本にも及びます。こうして糸芭蕉の栽培から染め織りまで、地元の素材を使い一貫した手作業で行われる織物は国内でも少なく、喜如嘉の芭蕉布が幻の織物と呼ばれる所以となっています。

 History / 歴史
 喜如嘉の芭蕉布 - 歴史
 芭蕉布は古くから沖縄で作られてきた織物で、一説では13世紀頃から作られていたと言われています。琉球王朝時代には王族や貴族が上質の芭蕉布を身に付けるため、王府内に「芭蕉当職(ばしょうとうしょく)」という役職を設け、王府専用の芭蕉園を管理していました。
 時代が進むにつれ、芭蕉布は庶民も身に付けるようになり、沖縄の各地の家庭で自家用に生産されるようになります。1895年(明治28年)には、喜如嘉の女性が無地や縞模様がほとんどだった芭蕉布に絣模様(かすりもよう)を取り入れたことをきっかけとなり、工芸品として発展するようになります。
 喜如嘉では農業の副業として芭蕉布の生産が盛んとなり、品評会でも優秀な成績を収めるようになりました。1939年(昭和14年)には東京三越で特産品即売会に出品し、喜如嘉の芭蕉布は注目を浴び、広くその名を知られることとなります。戦時中は生産中止を余儀なくされましたが、終戦した1945年(昭和20年)には直ちに生産を再開し、意欲的に芭蕉布の復興に取り組みました。
 1972年(昭和47年)に芭蕉布は国の無形文化財に指定され、喜如嘉は芭蕉布の里として貴重な織物を現在に継承し続けています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kijokanobashofu/ より

 土に触れる喜びから始まる芭蕉布作り
 生成りの地に茶色の絣が入った芭蕉布は、女性ならだれでも一枚は手に入れたいと思うのではないだろうか。カリッと軽く風通しのいいこの布は、芭蕉を育てるところから、手間と時間をたっぷりかけて作られている。

 
 「今時こんな美しい布はめったにないのです」
 那覇から車で2時間、左手にコバルトブルーの海を見ながら、名護からさらに北上すると、右側に点々と芭蕉の畑が見えてくる。芭蕉布の糸の原料になる糸芭蕉だ。バナナによく似た木で、幹を切り倒して繊維を取る。
 喜如嘉の芭蕉布会館を訪ねると、人間国宝の平良敏子さんが糸枠を手に、他の人にまじって黙々と仕事をしていた。広い部屋を歩き回る小柄な姿は若々しく、とても81歳にはみえない。
 芭蕉布は出来上るまでの工程が長く、信じられないほどの手間と熟練を要する布である。芭蕉を育て、繊維を取り、糸を績んで、染めて、織る。経験による勘が必要なので、単調な作業を何年も繰り返さないと技を身につけることができない。苦労の末に完成した布は軽くしなやかで、ためいきが出るような美しさだ。
 芭蕉布の魅力を広く世に伝えたのは柳宗悦だった。「今時こんな美しい布はめったにないのです。」という一文で『芭蕉布物語』を始めている。現代では、敏子さんの作品を見てとりこになる人が多い。天然の色も、乾いた布の風合いも、素朴な絣の柄も、より自然なものを求める今の人の感覚にしっくりくるのかもしれない。


 糸に触れているだけで楽しい
 敏子さんのもとで芭蕉布を作って14年になる平良京子さんにお話をきかせてもらった。京子さんは、母やおばが織物をしていたので昔から道具にはなじみがあった、という。手仕事が好きで、保母として働きながら手芸や土いじりをしていたが、もっと深くやってみたくて芭蕉布の道に入った。
小声で控えめに語る京子さんは、芭蕉にすっかり心を奪われている様子だった。
 「入って1週間は糸繰りをしました。糸に触れているだけで楽しくて、いい気分になりました。芭蕉の繊維に魅力があるのでしょうか。そのせいか、これまで苦しかった記憶はありません」
 織り始めて2年たったころ、初めてツバメの柄の絣ができたときは、とてもうれしかったという。

 織りは全体の100分の1、それまでが長い
 「畑から始められるところにもひかれます。土から布になるまでを、通して見ることができますから。土地の自然の恵にいつも触れていられる喜びがあります。」
 1反分の糸を取るには200本もの芭蕉の木が必要になる。いい糸はいい畑からと言われるだけに、糸芭蕉の栽培は大切な最初の段階。肥料を入れたり、葉や芯を切り落とすといった作業が欠かせない。ときには工房の人たち全員が畑に出て一日中農作業をする。
 刈り取って糸にするまではさらにたいへんだ。皮をはいだり、大鍋で煮込んだりと、手間のかかる作業が何工程もある。織りより、その準備のほうがずっと長い。京子さんは敏子さんに「織りは全体の100分の1」と教えられたという。
 「ひとつひとつの段階が次に響いてくるので手が抜けません。次の仕事のことを考えてやるといい製品になります」
 高温多湿を好む芭蕉は、南国にしかない植物。糸を触らせてもらうと、乾いているのになめらかな感触が心地よかった。風土にあった素材を使った沖縄独特の織りを、これからもずっと大切にしていきたいと京子さんは思っている。
 「今日中に仕上げてしまいたいんです」
 とつぶやきながら、足早に絣結びの作業に戻っていった。

 職人プロフィール

 平良京子 (たいらきょうこ)

 1952年生まれ。後継者育成事業に応募し、平良敏子さんのもとで14年の経験を積む。

 こぼれ話

 素朴でユニークな絣の柄

 芭蕉布の絣の柄は、暮らしや自然の中からモチーフが選ばれています。ひとつひとつ見ていくのは楽しいものです。喜如嘉芭蕉布事業協同組合理事長の平良美恵子さんに、呼び名の由来などを教えてもらいました。
 「麦の穂」は帯地に使い、お太鼓に柄がくるように結びます。「ゴーマーイ」は、回りを囲むもののことで、がに股で歩く人のことをこう呼ぶことから名付けられたのでは、ということでした。「クワ(小さいワ)ンカキー」は「環掛」と書き、鎖のような連なっていく模様です。「ハチジョー」は八丈島の絣の柄からきたものではないかといわれています。
 ほかにも、トゥイグワー(小鳥)、ジンダマー(銭玉)など、たくさんの種類があります。どれもシンプルなものですが、いくつか組み合せて、より複雑な模様にすることもあります。

*https://kougeihin.jp/craft/0133/ より


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