「八重山上布」
Description / 特徴・産地
八重山上布とは?
八重山上布(やえやまじょうふ)は、沖縄県八重山郡周辺で作られている織物です。苧麻(ちょま/からむし)の手紡ぎ糸を使って織られ、古くは琉球王朝時代に貢布としても利用されてきました。
沖縄地方の織り物の中で唯一「刷込捺染技法」(すりこみなっせんぎほう)を用いて作られる織物で、焦げ茶色の絣模様が浮かび上がる清涼感あふれる白上布は、主に夏用の着物として用いられます。
八重山上布の糸や染料に用いられるのは、八重山の自然から得られる草木です。主原料は苧麻から作られる繊維で、染料にはヤマイモ科の「紅露」(クール)が使われます。織り上げられた後、八重山地方の強い日差しのもとで日晒しを行うことで深い色合いへと変化し、さらに海水につけることで地色が白く晒され絣模様がより鮮やかになります。
八重山上布の特徴は、苧麻手紡ぎ糸のさらっとした風合いと風通しが良いこと、白地に浮かび上がる大らかな絣模様です。苧麻から一反の着尺を織るための糸を作るには、経糸(たていと)が約50日、緯糸(よこいと)が約40日かかります。非常に根気のいる作業であるため、近年ではラミー糸(手紡ぎではない苧麻の糸)を経糸に使用したものも増えています。
History / 歴史
八重山地方ではかなり古くから苧麻(ちょま)を使った織物が用いられていたことが、『李朝実録』の記述などからわかっています。琉球王朝時代には琉球王府の御用布として、お抱えの絵師が作った図案をもとに上質の麻布がつくられるようになりました。
1609年(慶長14年)に薩摩藩が琉球に侵攻し、人頭税が課せられるようになると、八重山上布は貢布としても利用されるようになります。島の女性達は織物に従事することになり、琉球王府の監視下で織り柄も精緻なものへと発展して、現在の八重山上布が完成されたと言われています。この時代の八重山上布は貴重品として、ごく一部の人しか身につけることはできませんでした。
1886年(明治19年)、人頭税が廃止されたことで、八重山上布はこの地方の産業として発展をはじめます。この頃「短機」と言われる織機が考案され、機織りに従事する男性も増えていきます。
大正時代になると改良された織機が使用されるようになり、糸の張りむらがなくなって経絣のずれのない更に品質の高い織物が作られるようになりました。
現在は沖縄県や石垣市が一丸となって、後継者育成のための事業を立ち上げています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yaeyamajofu/ より
熱帯の自然に育まれた繊細な美しさ
手紡ぎの麻糸で織られる八重山上布は、サラッとした手触りと涼やかな色柄が身上。夏の着物として人気が高い。優れた作品でいくつもの賞を受賞している新垣幸子さんに、八重山の自然と上布についてうかがった。
琉球王府の時代、八重山は染料の供給地だった
新垣さんの作品には、若葉をわたる風のような清々しさと、自然をいつくしむやさしさが感じられる。たとえば、沖縄の美術工芸家が集う「沖展」の今年の出品作。緑色の濃淡の地に白の絣がなんともさわやかな一枚だった。
「こちらは、1月下旬から2月いっぱいが山が美しいんです。若葉で明るくなります。一番好きな木は相思樹。葉が細くて木漏れ日がとってもきれい。よく木漏れ日を見にでかけましたよ」
山を歩くのが好きという新垣さんは、上布は八重山の自然の産物だということを、控えめな口調で語ってくれた。
八重山は、植物の分布で見ると熱帯の北限なのだという。だから、沖縄本島や宮古島にはない染料植物が手に入る。たとえばクール(紅露、和名はソメモノイモ)。芋のようなもので、刻んだりおろしたりして、絞った汁で染める。ほかの染料のように煮出す手間がいらない。琉球王国の時代には、王府の指令で久米島に出荷していたそうだ。
植物で染めた色には、いやな色がないんです。
ほかの染料も豊富で、山や庭にあるものを無理なく使っている。新垣さんは、フクギという木の皮を煮出した黄色と、藍を重ねて染めて緑色を出す。
「緑の作品が多いので、好きなんですかと、よく聞かれるんですけどね、とくに好きというわけではなくて、たまたまフクギがたくさん手に入ったから染めたんです。」
フクギは屋敷の防風林としてあちこちに植えられている。百年、二百年のものは、抱えきれないほどの大木になる。家を建て替えるときなどに、切り倒されるという話を聞きつけると、その家に皮をもらいにいく。幹は器を作る人たちが使う。見事なリサイクルである。庭のクチナシの実がいっぱい取れたときは、それを染料にする。台風のあと山にいったら大きなシイの木が倒れていて、染めてみたらきれいな銀鼠(ぎんねず)が出た。新垣さんは、「植物で染めた色はいやな色がないんです。みんな美しい色なんですよ。」という。
コバルトブルーの海と太陽が布を白くする
染料以外の条件もそろっている。石垣島は水がいい。これも染織には大切なこと。道具の面では、山があって材木が切り出せるので、昔から指物大工さんが多かったことが役に立った。機が改良されて、沖縄県で初めて高機ができたのがこの地域だったという。
おしまいはコバルトブルーの海。織りあがった布は海水と天日にさらされて白さを増す。八重山上布特有のやわらかな白は、この「海ざらし」から生まれるのである。どこまでも透明な海に白い布が揺れる光景は、南の島ならではのものだ。
古典をふまえつつ、顔の見える作品を
八重山上布は個性豊かだ。図案から、染め、織り、仕上げまでを一人が担当する。
「一人一人が顔の見える作品を作っています。自分の体を動かせば、ひとつのものが出来上がるという喜びがあります」
難しい括りや、単調な作業を乗り越えて完成したものは、苦労を帳消しにしてくれるという。新垣さんに今後の抱負を聞かせてもらった。
「古典柄を見るとホッとするんですね。不思議な力があるんです。古典柄を復元していきたいですし、沖縄らしさをうまく取り入れた作品ができたらいいなと思っています」糸と向き合って30年。まだまだやりたいことがつきない様子だった。
職人プロフィール
新垣幸子 (あらかきさちこ)
1945年生まれ。
途絶えていた括染の八重山上布を、研究の末、見事に復活させた。作品は高く評価されている。
こぼれ話
失われた「括染」を復活させるまで
「茶と白しかなかったところに、色が入ってきました。みんな色を使いたいから、括染をやる人がどんどん増えていったわけです。」
捺染のほうも、海ざらしを復活させたことで品質がよくなりました。「ミリ単位の柄など、括染ではできないものが捺染ではできるんです」と松竹さん。今では絣の細かい繊細なものが作られています。白地に茶絣の捺染と、色とりどりの括染。二つの上布は今、個性を競いあっています。
*https://kougeihin.jp/craft/0135/ より
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