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<経産大臣指定伝統的工芸品> 沖縄 壺屋焼

2021-08-25 10:19:35 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「壺屋焼」

 Description / 特徴・産地

 壺屋焼とは?
 壺屋焼(つぼややき)は沖縄県那覇市壺屋で主に生産されている陶器です。焼物(やちむん)とも呼ばれ、沖縄を代表する陶器の一つとなっています。
 壺屋焼の特徴は、沖縄特有の釉薬を用いた色とりどりの力強い絵付けです。庶民が用いる器でありながら装飾性に豊み、様々な技法を駆使した意匠は、大正時代の民芸運動家である柳宗悦(やなぎむねよし)らによって広く紹介され世に知られるようになりました。
 壺屋焼は荒焼(あらやち)、上焼(じょうやち)と呼ばれる2種類に分かれ、主に酒や水の瓶などに使われた簡素な荒焼に比べ、上焼は様々な種類の釉薬を使い分け1200度の高温で焼締めます。こうして焼かれた壺屋焼はどっしりとした重量感と風格があり、沖縄の豊かな自然風土を写し取った焼物と称されます。
 使用される釉薬の中でも特に白釉は、消石灰とモミ灰に沖縄の土である具志頭白土と喜瀬粘土を混ぜた壺屋焼特有のもので、壺屋焼の特徴である温かみの表現に重要な役割を担っています。

 History / 歴史
 壺屋焼 - 歴史
 沖縄の焼物(やちむん)の起源は、14世紀~16世紀頃に大陸からもたらされた高麗瓦が由来とされています。この頃、琉球王朝は中国や東南アジア諸国と盛んに交易を行っており、壺屋焼の一種である荒焼(あらやち)もこの頃に技術が伝えられたと言われています。
 17世紀に入って琉球王朝は江戸幕府薩摩藩の支配下となり、それまで盛んに行われていた外国との貿易も影を潜めるようになりました。そこで当時の琉球王、尚寧王(しょうねいおう)は朝鮮から陶工を呼び寄せ窯を開き、朝鮮の作陶技術を積極的に取り入れた焼物を作るように推奨しました。こうして、壺屋焼の元となる上焼(じょうやち)が沖縄で焼かれるようになりました。
 やがて1682年(天和2年)、王府内にあった首里、知花、湧田の窯が、牧志村の隣、現在の壺屋に統合され、これが現在へ続く壺屋焼の始まりとなりました。
 明治以降になると、いったん壺屋焼は安価な焼物の大量生産に押されて生産が下火となります。しかし大正時代に入ると民芸運動の高まりとともに注目されるようになり、遂には1985年(昭和60年)、陶芸家の金城次郎が沖縄県で初めて人間国宝に認定され、壺屋焼は沖縄を代表する伝統工芸品として広く知られるようになりました。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tsuboyayaki/ より

 心なごむ、人と焼物の力強いあたたかさ
 琉球王国の時代から300年余り、那覇の壷屋の町で、陶工から陶工へ受け継がれてきたのが壺屋焼である。素朴なあたたかさは、沖縄を訪れる多くの人を魅了している。窯元の7代目、新垣勲さんにお話をきいた。

 
 やさしい白がなごやかな雰囲気を演出する
 琉球の人々は、海を越えて中国、タイ、ベトナムなどアジアの国々と盛んな交易を繰り広げてきた。南国の風土もあいまって、琉球王国では大和(日本)とは異なるのびのびと豊かな文化が花開いた。そのひとつが、地元の言葉で「やちむん」と呼ばれる焼物、壺屋焼である。壺屋焼の皿にチャンプルー(炒めもの)や刺身を盛ると、食卓はなごやかな雰囲気に包まれる。秘密は、生成りのようなやさしい白色。化粧がけといって、白土を溶いたものをかけた、壺屋焼ならではの色だ。人間国宝、金城次郎さんの作品をはじめ、魚の絵を大胆な線で彫った皿や壷が知られている。


 壺屋焼は大きく二つにわけられる。このように化粧がけに線彫りや赤絵をほどこしたものを上焼(じょうやち)、上薬をかけない素朴で力強いものを荒焼(あらやち)と呼ぶ。どちらも赤土がベース。魚、エビ、花など、モチーフにも南国らしさが感じられる。新垣勲さんは、魚や鳥を描いた躍動感あふれる作品をたくさん生み出している。工房を訪ねると、おばあちゃん、奥さんと一家総出で、絵付や線彫りの最中だった。新垣さんは、民芸運動の柳宗悦、浜田庄司らと交友のあった栄徳を祖父に、名陶工と呼ばれる栄三郎を父に持つ。焼物を始めたのは高校生のときだった。最初の一年はようじ入れにじっくり取り組んだ。次に湯飲み、花瓶、壷と、だんだん大きなものを習得していった。

 いいものは残り、悪いものは消えていく
 「苦しかったこと?ないです。普通ですよ。当たり前のことですから。」苦労を苦労と思わずに通りすぎてしまうような、気持ちのゆったりしたところが沖縄の人にはある。大胆な絵柄やほっこりした形は、そんな大らかさから生まれるのかもしれない。
 新垣さんは早くも二年目には、ほぼ思い通りの物が作れるようになったという。さまざまな工程の中でも好きなのはろくろびき。
 「なんでかねー。得意といえば得意なのかねえ。」
 今、新しい花瓶の形を模索中だ。
 「形が違えば花を生ける人の発想も変ってくるでしょう。思いついたらすぐ作ってみる。だめならやめてまた別のものを考える。いいものは残っていくし、悪いものは消えていく。」
 私たちが選ぶときは、どんなところに気をつければいいのだろうか。
 「焼物は使ってみないとわからん。実際に使ってから次を買ってほしい。」
 たとえば、ご飯茶碗の内側に線彫りの絵があるものは、食べるときに、はしが溝にひっかかることがある。店で見ているだけでは、こういうことは気付きにくい。
 酒を注ぐカラカラや、底が三日月型をした携帯用酒器の抱瓶(だちびん)は、沖縄らしいおみやげとして喜ばれている。泡盛を酌み交わすのにうってつけだし、インテリアとして飾っても力強さがある。シーサー(獅子像)も老若男女に人気が高い。新垣さんは、「伝統的なものは作り続ける。それとともに自分だけの作品、残るような作品を作っていきたい。」と話していた。


 職人プロフィール

 新垣勲 (あらかきいさお)

 窯元、新垣製陶所の7代目。高校生のときに仕事を始めて40年になる。壷屋陶器事業協同組合元理事長。

 こぼれ話

 災いから守ってくれるシーサー

 土は赤土がベースです。小さいものは手びねりで、大きいものはろくろも使います。手や足をろくろで作るのです。素焼きのものと釉薬をかけたものがあります。忠さんの父親の高江洲育男さんは、手びねりのシーサーで名高い「現代の名工」でした。忠さんはろくろの名手として、また勢いのある魚の絵などでも知られていますが、育男さんが亡くなってからはシーサーにも積極的に取り組んでいます。「うちの親父のシーサーはハンサムなんだよ。親父がやるのを見ていて、簡単そうに見えていたところがむずかしいね。」
 彫刻のように動きがあるので、作っていておもしろいそうです。

*https://kougeihin.jp/craft/0431/ より


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