いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<経産大臣指定伝統的工芸品> 高知 土佐打刃物

2021-08-22 18:37:59 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「土佐打刃物」

 Description / 特徴・産地

 土佐打刃物とは?
 土佐打刃物(とさうちはもの)は、高知県の香美市・南国市・土佐市・いの町・須崎市といった高知県東部から中部にかけての一帯で作られている金工品です。
 高知県は旧土佐国であったことから「土佐打刃物」と呼ばれてきました。ただし、定められた工程で作られた刃物しか「土佐打刃物」を名乗ることはできません。
 土佐打刃物の特徴は、高温に熱した金属材料をたんねんに叩いて延ばし広げることによって自由自在に形を作る「自由鍛造」です。鍛冶師は、原寸と形を書いた注文書だけで注文品を造ることができます。したがって、用途に応じた少量多品種聖堂が可能です。その代わり、決まった型がないため、鍛冶師には熟練が求められます。また、土佐打刃物は、山林用・農業用の実用的な道具に端を発しているため、切れ味だけでなく、耐久性や手入れのしやすさも特徴の一つです。主な製品には、包丁、鎌、鉈(なた)、斧(おの)、鍬(くわ)などがあります。

 History / 歴史
 土佐の国・高知県は良質の木材に恵まれ、古くから木の伐採に必要な打刃物が造られました。また、刀鍛冶の技術は、農具・山林用の打刃物の技術にも影響を与え、多くの鍛冶屋が土佐国内に存在していました。
 鎌倉時代後期の1306年(徳治元年)、大和国(奈良県)から土佐に移り住んだ刀鍛冶・五郎左衛門吉光派が1580年(天正8年)まで活躍し、戦乱が続く時代に武具刀剣類を供給していました。1590年(天正18年)の記録によると、土佐国には399軒の鍛冶屋がいたことが記載されています。
 土佐打刃物の本格的な発展は、江戸時代初期、1621年(元和7年)の土佐藩による元和改革に始まります。財政が逼迫した土佐藩は新田開発や森林資源活用に乗り出した結果、農業・林業用打刃物の需要が増え、打刃物の生産量と品質が飛躍的に向上しました。このときの鍛冶師の研鑚が「土佐打刃物」を生み出しました。
 江戸時代から続く土佐打刃物の技術と伝統は、進化を遂げながら現代まで受け継がれています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tosauchihamono/ より

 鉄と火と水の芸術、古式鍛造(こしきたんぞう)の魅力
 高知県は全国でも屈指の湿暖多雨地であり、古くから良木に恵まれ、多くの木材を搬出してきた。それにともなう山林伐採用の打刃物が古くから造られていた。また、鎌倉時代に刀鍛冶の技術が移入され、その古式鍛造(こしきたんぞう)の伝統は現代にも受け継がれている。

 
 ひたすら切れ味を追求して、人生を鎌にかける男
 俗に「炭きり三年、前打ち五年、後の三年肌で打つ」といわれ、一人前になるまでには十一年の歳月が必要だとされる打刃物の世界に、10歳の頃から弟子入りして修行した山崎道信(やまさきみちのぶ)さん。山林鎌の製造ひと筋に人生をかけて60年。土佐のいごっそう(頑固者)にお話を聞いた。


 400年の歴史と伝統をほこる土佐の打刃物は日本刀と同じ「玉鋼(たまはがね)」を刃先に使用

 厳しかった修行時代
 「おやじは腕のいい鍛冶屋でしたが、世渡り下手で家は貧乏でした。父親の元に弟子入りしてからは、食事も寝起きも職人さんと一緒。相撲の世界と同じでそれは厳しいものでしたよ。」炭きり、焼き入れなどの工程はいっさい教えてはもらえない。なにもかも黙って師匠の技術を傍で見ながら習得するしかなかったという。「昔はどこの村にも鍛冶屋があって、トン・テン・カン。トン、テン、カン。というつち音が聞こえたもんでしょう。」師匠と弟子が息をぴったり合わせて、二人一組で鎌、斧、鍬などの刃物を打ちだしていた。「少しでもタイミングがずれると、すぐに平手打ちが飛んでくる。一切の妥協は許してくれません。子ども心につらかったもんです。」


 ベルトハンマー機の開発が流れを変えた
 昭和の初期になって、同じ高知県下の坂本製作所がベルトハンマー機を開発。4キロもの大槌を振り下ろして作業する前打ちの工程を機械がするようになった。これまで二人がかりで一日約42本仕上げていた山林鎌を、一人で100本作ることができるようになった。「私はちょうど15歳ぐらいだったので、すぐに機械の扱いかたのコツをつかんで親父にほめられ、得意になって年配の職人さんたちに機械の扱い方を教えたもんです。」しかしハンマーが前打ちをするようになっても、その後の工程は昔とまったく変わらず妥協を許さない職人の世界だ。


 土佐打刃物(山林鎌)の特徴
 「今は、時代がどんどん進んで、焼き入れ作業も温度を設定したボイラーを使うようになりましたが、ちいさい頃から体で覚えた炭の色、炎の温度、真っ赤に焼けた鉄の寸法は、温度計やものさしがなくても寸分もくるいません。図面を引けと言われてもできませんが、造れと言われれば何本でも同じ寸法のものを造れます。」ベルトハンマーを相手に真っ赤に焼けた鉄を自在にあやつり自由に整形する「自由鍛造」が土佐打刃物の特徴である。山崎さんの鎌は研げば研ぐほど良さが判る。刃のあるかぎり何年でも使える。使い捨てではない本物の味だ。


 伝統を残しながら、いかに新しい息吹を吹きこむか
 山林業の衰退とともに山林鎌の需要も激減し、アジアから輸入された極安の鎌が日本中のホームセンターに並び、打刃物の業界も青息吐息だ。山崎さんはこの現状を打開するために三代目の後継ぎである長女のお婿さんと力を合わせて、土佐打刃物の良さを持ちながらコストを押さえた草刈鎌を開発した。その切れ味が人気を呼び、各地から注文が殺到しているという。私も自然農法をかじった時期に安い鎌を買ったことがある。しかし、どの鎌も二、三度草を刈ると折れたり曲がったりして役に立たなくなった。まして竹の根切りなどしようものならすぐに刃こぼれしてひどい目にあった。素人の消費者もいつまでもだまされはしない。時代が本物を求めだしている。


 職人プロフィール

 山崎道信 (やまさきみちのぶ)

 1926年生まれ。10歳から父親に弟子入りして腕を磨く。山林鎌の鍛造(たんぞう)一筋に65年目を迎える。

 こぼれ話

 「古式鍛造(こしきたんぞう)」を残そう

 師匠と弟子、二人一組になって刃物を打つ。古式鍛造かつて高知県下に1000人以上いた打刃物の技術者も時代とともに減少化する一方です。職人たちも高齢化し、後継者育てが業界の最大の悩み。山崎道信(やまざきみちのぶ)さんは、県下の二世たちを相手に、横座(親方)と前打ち(弟子)、二人一組となって刃物を打つ「古式鍛造」の技術を伝承していこうとはりきっています。
 昔どおり炭を切り、フイゴを使って火をおこし、大づち、小づちで丹念に打ち込んでいきます。4キロもの大づちを使う作業に「これほど重労働だったとは・・・。」と若者たちも驚嘆。まっすぐ振り下ろすのも難しかった二世たちですが「なんとか形になってきた」と山崎さん。近い将来、女性の打刃物師も誕生するかもしれませんね?

 「火の温度は、肌で見る」古式鍛造の職人が一人前になるには11年かかったという

*https://kougeihin.jp/craft/0713/ より


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <経産大臣指定伝統的工芸品... | トップ | <経産大臣指定伝統的工芸品... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

経済産業大臣指定伝統的工芸品」カテゴリの最新記事