白石氏の著作の主題は、敗戦後の日本に浸透している、「戦争の原因は、すべて日本の軍国主義だ。」「日本さえ中国を侵略しなかったら、戦争は起こっていない。」という主張への反論です。
その根拠として氏が挙げているのが、昭和10年の7月にモスクワで開催された、「コミンテルン第七回大会」での決議です。
ここで中国共産党の代表陳紹禹 (別名 王明 ) の提案が、全会一致で議決され、スターリンによって取り上げられ、実行に移されることとなります。この会議には、野坂参三と山本縣蔵の2名が、それぞれ岡野、田中という偽名で日本を出国し、参加しています。
大事な部分なので、氏の意見を紹介します。
・近衛内閣は、蒋介石を相手にしないと声明を出したが、以後歴代の内閣は、日中戦争を一日も早く終わらせるべく、それなりの努力を払った。
・しかし都度不調に終わった原因は、「 反ファッショ人民戦線 」 にあったのでないか。
・王明の提案の内容をみれば、いくら我が国が和平交渉を提案しても無駄であった理由が判明する。
・要するに我が国と蒋介石を戦わせ、両方の戦力を消耗させることが、スターリンの唯一の願望であり、世界戦略の一端であった。
・アジアでの無産革命を達成するための障害の一番が日本帝国主義で、二番目が蒋介石の国民党である。
このために中国に「国共合作」を行わせ、手段として共産軍を国民党軍に編入し、日本に対する統一連合戦線を結成したと氏は述べます。世間でささやかれる「スターリン謀略説」です。
渾身の思いで出版した本だったのでしょうが、昭和63年の日本では一顧だにされなかったようです、
「ねこ庭」のブログを始めたのは、平成21年の12月でした。記憶が定かでありませんが、その2、3年後に、チャンネル桜の動画で保守学者の対談を見ました。
「凄い本を見つけました。大東亜戦争は、スターリンの陰謀で始まったというんです。」
「日本の陸軍が原因ではない、すべてスターリンが裏で画策していたと、この本にみんな書いてあるんです。」
年配の学者が得意そうに語り、手にする本を、他の二人が眺めこむ画面を、今でも覚えています。残念ながら本の名は記憶していませんが、白石氏の著書ではなかった気がします。
何が言いたいのかといいますと、氏の貴重な意見が、世間で20年以上も発見されず終いだったという事実です。スターリン謀略説という言葉は使っていませんが、スターリンの画策を指摘したのは、氏が最初だったのかも知れません。
保守の学者たちが、四、五年前に驚いていますが、氏が本を出版したのは昭和63年ですから。
氏は意見の裏付けとして3件の出来事を上げ、これらがスターリンの戦略につながっていると説明します。
1. 毛沢東の抗日宣言 ( 昭和10年 )
スターリンの指示を受けた毛沢東は、四川省で、抗日宣言を発表した。
・中国および中国民衆の仇敵は日本だ。
・日本の侵略で中国は多くのものを失っが、今や日本はさらに武装し、中国に迫っている。
・中国および中国民衆は国内抗争を停止し、抗日の旗印のもとに、すべての階級の民衆を組織し、全面的抗日戦線を行うべきだ。
2. 西安事件 ( 昭和10年 )
・共産党討伐戦のため、南京を訪れていた蒋介石を、副司令官である張学良が、宿舎を急襲し監禁した。
・延安にいた周恩来がモスクワの指令で仲介に入り、蒋介石を救出した。
・釈放の条件として蒋介石は、共産党討伐を止め、国共軍が一致して日本と戦うことを約束させられた。
3. 2・26事件 ( 昭和11年 )
・軍部内の将校を扇動し、天皇親政の名のもとに政権を取らせ、米英相手の戦争に突入させる。
・かくて日本は国力を消耗し、敗れ、日本を敗戦革命に導くことができる。
2・26事件によるクーデターは成功しませんでしたが、米英戦争へ向かうという流れは残りました。氏はここで、ボン大学教授の松本氏の意見を、紹介します。
・5・15事件は、純粋に日本だけで考えられ、実行されたものだが、2・26事件はその考えの底流に、外国の発案が働いている可能性がある。
教授はどこまでも 2・26事件が、コミンテルン会議の決議となんらかの関係があると示唆します。時系列を追い、三つの重大事件を並べてみますと昭和10年代に集中しており、氏の意見との辻褄が合います。
2・26事件もそうだという確信は持ちませんが、コミンテルンの手が、ひそかに伸びていたというのは、「ゾルゲ・スパイ事件」を考えると、納得させられます。
ゾルゲ・スパイ事件は長くなりますので、明日にすることとし、今晩の締めくくりは白石氏の「無念の一言」とします。
・やがて昭和12年、7月7日の盧溝橋事件が火を吹き、ついに日中全面戦争への道を、西と東から、まっしぐらに走り寄るという結果になった。
・これは全くモスクワの筋書き通りで、スターリンの思う壺に、日本が自分から進んではまり込んだと言えよう。