ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

私のお盆

2017-08-17 17:32:12 | 徒然の記

 今年のお盆は、充実した日々となりました。

 花や菓子や果物を飾り、父が好きだった焼酎とゆで卵を供え、色彩豊かで賑やかな仏壇となりました。12日の夕方には、ご先祖さまをお迎えする迎え火を灯し、15日の夜には、帰っていくご先祖ため、送り火をつけました。日頃は無宗教同然に暮らしていますが、お盆だけは違います。家内と二人で手を合わせ、日々の健康と平安が、全てご先祖さまのお陰ですと、本気で手を合わせます。

 13、14、15の三日間の夢には、亡くなった父や父の兄弟の叔父や叔母たち、あるいはほとんどかすかな記憶しかない祖父母、従兄弟や友人、知人、可愛がっていた猫までが、生き生きとした姿で出てくれました。目覚めた時は、懐かしさと嬉しさで胸が一杯になり、切なさも加わり・・・・、こんなお盆は初めて経験いたしました。

「そろそろ、お前も来る頃だな。みんなで待っているよ。」と、そんな誘いだったのかと思えるほど、暖かい夢でした。ご先祖さまや亡くなった飼い猫がいるところは、あの世なのか、冥土なのか、それとも天国なのか知りませんが、不思議なほど近くに感じられました。

 それなのに、盆の前後の千葉日報は、私の心の平安を乱し続けてくれました。8月15日の「敗戦の日」が間にありますので、千葉日報だけで無く、全国の新聞が同じ騒ぎをいたします。ご先祖さまに誘われている私ですから、いつこの世とお別れするか分かりませんので、しつこいと言われても、今日もマスコミの愚かしさをブログに綴ります。

 千葉日報に限らず、日本の新聞が同じことをする年中行事ですから、72年も続けられますと、そろそろと堪忍袋の緒が切りたくなります。この間千葉日報は、「これからを生きる君へ (今戦争を伝える)」と、「語り残す 私の8・15」のタイトルで、連載記事を届けてきました。単独の記事では、紙面の四分の一の大きさで写真付きの体験記事が、三日間続きました。

 「語り残す 私の8・15」は、四回のシリーズで、最も大きな記事 (四日間)でした。前半は俳優の仲代達也氏と小山明子氏の二人、後半は千葉県に住む、大学生と主婦の二人です。

 「多くの大切な命が失われた、太平洋戦争の終結から72年。」「記憶の風化が懸念される中、当時を知る人たちは、」「過酷な体験を踏まえ、二度と戦争はするなと訴える。」「安全保障関連法の制定に、共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法の成立。」「そして現実味を帯びる、憲法改正。」「平和が揺らぐ今、芸能や学問の分野で活躍する、」「著名人らに想いを聞いた。」

 これがシリーズの記事を説明する、千葉日報の前置きです。仲代氏は、敗戦後に政府の嘘が分かり、それ以来権力に不信感を持ち、批判するようになったと語ります。小山氏も同様な戦前の批判で、「お国のため」にと、親が子を戦場に出したのは本心からでなく、嘘をつかざるを得ない時代だったと、彼女もまた権力批判をします。

 後半の二人は、大学生の郡山琴美さんと、主婦の岡田知佐子さんです。郡山さんは中学二年生の時、被爆地に中学生を派遣する、我孫子市の平和事業に参加した経験を持ちます。岡田さんは、県の原爆被害者友愛会の賛助会員です。彼女たちは、県内に住む広島・長崎の被爆体験者から聞いた話を、戦争を知らない世代へと語り継ぐ、「伝承者」の道を歩んでいます。

 72年間も繰り返された記事ですから、紋切り型の言葉なので、中身は全て省略します。国の未来を案ずる人なら、見出しだけを無作為に並べても、腐れマスコミの実態が即座にわかります。

「終戦で不信感、権力を批判」「嘘つかざるを得ない時代」「あの地獄、もう二度と」「武器工場の空襲、友人奪う」

「戦争知る高齢者、将来案じ」「継承に意欲示す、若者も」「列島各地で、平和願う声」「原爆惨禍、自分が伝える」「思い継ぐ、伝承者目指す。」

「今日終戦の日、なぜ問い続ける96才」「人間の誇り、取り戻す」「安部首相、歴代式辞と変化」「加害、反省、不戦使わず」

  ここ数日似たようなブログを書いていますので、私自身が辟易しますが、千葉日報に負けておれません。72年間ほどの執拗さはありませんので、本日だけ繰り返させてもらいます。記事を書いた記者たちが立っている思考は、「先の大戦は、日本だけが間違っていた。」「日本だけが、残虐な戦争をした。」「日本さえ軍備を持たなかったら、世界が平和になる。」・・・・と言うものです。

 この偏った思考が、現在では「東京裁判史観」と呼ばれ、見直しの対象となっています。単純化された、お粗末で乱暴な、戦争観であり、歴史観です。仲代氏は私の好きな俳優の一人ですが、残念ながら、氏の頭の中は単純だったようです。

 今回千葉日報に取り上げられた人々は、全員、私がつねづね嫌悪しております「お花畑の住民」たちです。千葉日報だけではありません。この数日間に、腐れマスコミにおだてられ、全国の新聞に顔を出した「平和を訴える人々」は、残念ながら同類です。

 先日読み終えた「イラク わが祖国へ帰る日」の中に出てくる、グルド人の話をもう一度します。たった一度の敗戦と、そのときの犠牲者の惨状に肝を冷やし、臆病になってしまった腐れマスコミの記者たちに、聞かせてやりたい言葉です。

 クルド人の独立のため戦っている彼は、二人の兄弟が政府軍によって殺されています。一人は車に仕掛けられた爆弾で死に、今一人は毒殺されました。

「兄弟が暗殺されたのは、私に手を引けというメッセージだった。」「そういう政権だからこそ、私は戦う。」「この闘いのために、どれだけの血が流されたことか。」「これからも、どれだけの血が流されることだろう。」

 「目の前で、何人もの仲間が殺されるのを見てきた。」「なすすべもなく、見守るだけだった。」「仲間の死によって、自分は強くなったと思う。」「理不尽と闘うために、ときには非情となることも学んできた。」「必要なら、私は誰より冷酷になることもできる。」

 犠牲者を見たからと臆するのでなく、むしろ意志を固めるのが愛国者でしょう。私が言いたいのは、他国と戦争せよということではありません。そんなことでなく、日本以外の国は、祖国のためには、理不尽と闘うと公言する国民がいる、ということです。必要なら、誰より冷酷になると言い切る人間がいるという現実です。日本人が軍備を捨て、「戦争は嫌です。」「戦争はしません。」と叫んでも、聞く耳を持たない国々が周囲にあるという事実です。

 お花畑の平和主義者は「話し合えば、分かり合える。」といいますが、反日の韓国では、今も日本を憎悪する教育が行われています。パク・クネ氏は、「日本への恨みは千年たっても消えない。」と語りました。アメリカの肩を持つなら、日本の明日はないと、中国の将軍が脅しています。

 お花畑の住民は傍に置くとして、マスコミの記者たちは、本気でこんな「敗戦記事」を書いているのかと、怒鳴りつけてやりたくなります。戦後70年が経過しても、カビの生えた「平和記事」のお祭りを、いつまで続ける気でいるのか。せめて、「両論併記」ならまだしも、日本が悪い悪いと、こんな偏った記事を書き続けるのなら、記者たちは全て敵に通じた裏切り者と、言わざるを得ないではありませんか。 

  腐れマスコミの新聞という新聞を、お盆の供物と一緒に、川に流してしまいたい私です。

コメント (4)
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