ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『イラク わが祖国へ帰る日(反体制派の証言) 』- 3

2017-08-13 21:36:29 | 徒然の記

 「湾岸地域の、複雑な構造を整理しておこう。」

 読んでいる私の苦労が伝わったのか、116ページで、著者が突然言い出しました。都合が良いので、そのまま紹介します。

  ・イラン、イラクを除く、湾岸諸国の政治体制は君主制である。

  ・中東で、アラブ民族主義が席巻していた1958 ( 昭和33 ) 年代、イラクは革命によって王政を倒し、民族社会主義を基盤とする共和制を敷いた。

  ・支配層にはスンニ派のアラブ人が多いが、国民はシーア派のアラブ人の方が多数で、人口の約6割を占める。

  ・スンニ派が支配層で優位なのは、スンニ派の帝国だったオスマントルコ時代からである。

  ・民族的にはクルド人やトルクメン人、キリスト教徒のアッシリア人と呼ばれる人々も、存在する。

 クルド人だけで難渋しているのに、トルクメン人やアッシリア人まで加わってくるとお手上げです。解説されてさらにややこしくなりますが、前進あるのみです。

   ・隣のイランは1979 ( 昭和54 ) 年の革命によって、イスラム共和国となった。

    ・イランはアラブ民族の国ではない。民族としては、ペルシヤ人を中に、クルド人、トルコ系のアゼリ人、アラブ人からなる多民族国家だ。国教は、イスラムのシーア派である。

    ・イラン以外の湾岸諸国、クエート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンは、アラブ人の国である。

   ・いずれも、王家・首長家はスンニ派だが、サウジアラビアの産油地帯である東部海岸地域にはシーア派が多い。

   ・バーレーンは、国民の三分の二がシーア派だ。イラクに隣接するクエートでも、住民の三割がシーア派である。

 著者の説明はまだ続きますが、このあたりで止めます。ものごとは、詳しく説明されたからといって明らかになるのでなく、返ってややこしく面倒になると、これがその実例です。

 私はこうしたドキュメントを読むたび、「人間は、みな同じです。」「話せば、必ず分かり合えます。」と、したり顔で言う人たちに疑問を抱きます。

 話し合いで分かり合える時もありますが、多くは「混乱を深めるだけ」という結果でないかと思います。日本でも保守と反日・左翼は、一日中話し合っても分かりあえません。国会の質疑など聞いていても、保守と左翼は水と油、相手の言葉に耳を貸さず、互いに己の言い分だけを喋っています。

 だから多数決という考え方が生まれ、多数を占めた意見で、ものごとを決めようという約束事ができました。これが、民主主義と呼ばれる方式ではないでしょう。

 それなのに、国民の多数が支持する安倍政権が、安全保障や憲法について法改正を進めようとすると、「数の暴力を許すな。」「数の横暴をする、安倍政権を倒せ。」「多数に奢るな、暴走するな。」と、マスコミが大合唱します。彼らのやっていることは「民主主義の否定」なのに、国民が大人しいため、腐れマスコミの暴論がずっとまかり通ってきました。

 幸いわが国は、一億二千万人の人口の九割が日本人です。反日のマスコミに惑わされず、私たち国民がアラブ諸国の現実を知り、日本の姿を知り賢くなれば、日本が変わる気がします。

 反日野党や一部の在日たちが言う、「共生社会」など認めてはいけません。安倍総理が掲げる「1000万人の移民受け入れ計画」にも、断固として反対しなければなりません。移民受け入れや、共生社会の行き着く先は、アラブ諸国が良い見本です。絶え間ない紛争と、殺し合いと、憎しみの日々が始まります。

 日本人は心が狭いとか、身勝手だとか、国内にいてそんな意見を述べる愚か者がいても、騙されてはいけません。二千年もかけて先祖が守ってきた国を、何のため外国人に解放し、混乱と殺戮の国にするのでしょう。

 国際社会では、すべての民族、すべての国、すべての宗教が、身勝手なわがままで争っています。日本人が日本を守り、国の安全と幸せを求めるについて、他国から批判される理由はどこにもありません。

 私は安倍総理の信奉者でなく、国を愛する是々非々の庶民です。「憲法改正」と「女系天皇反対」については総理を支持しますが、他の政策には賛成していません。反日・左翼に対しては、是々非々でなく、絶対反対という心の狭い人間です。

 ずいぶん横道に逸れましたが、本題のイラクに戻ります。

   ・この時代を生きたアラブ人にとって、イラク革命の残虐さは、記憶に生々しい。

   ・1958 ( 昭和33 ) 年7月14日の朝クーデターを率いたのは、カーシム将軍と、アリフ大佐の一派だった。

   ・王宮を取り囲んだ軍隊に対してファイサル二世国王は、 一族の国外脱出を条件に護衛隊と共に投降した。

   ・だが国王らが王宮の庭園に現れると、待ち構えていた軍隊は一斉に銃撃を始めた。

   ・3才で王位に就かされた国王は、この時まだ23才である。美術とジャズを愛し政治には関心を示さなかった若い国王の遺体が、どこに埋葬されたのか、わかっていない。

   ・悲惨を極めたのは、摂政を務めたアブドル・イラーハ皇太子の遺体だった。気勢をあげる群衆の中に放り込まれた遺体は、切り刻まれた挙句、街の広場に吊るされた。

   ・女装して逃げようとしたヌーリ・サイド首相は、その途中で惨殺された。一旦埋められた遺体はすぐ掘り起こされ、首都の目ぬき通りで何度も車に轢かれ上、放置された。

 イラクだけでなく、諸外国の政敵への攻撃には目を覆うものがあります。イタリアでムッソリーニは、銃殺された後衆人の前で逆さ吊りにされました。群衆によって地面に投げ出された遺体は、さらに銃撃され、物を投げつけられ足蹴にされました。

  また北朝鮮の金正恩は叔父の張成澤を処刑する時、先に彼の部下2名を銃殺しました。銃殺台のすぐ側に張成澤を座らせ、2人に向かって、戦車に搭載する重機関銃を連射しました。

 彼らの身体は一瞬で肉片となり、それが張成澤に降りかかり、張成澤は恐怖と嫌悪感で、その場で気絶したと言います。

 その後張成沢が銃殺され、一片の肉片も残さないよう遺体が爆破されと言われています。別の情報では、張成沢への憎しみに燃えた金正恩が、空腹の犬数十匹を入れた檻に張成澤を放り込み、食い殺させたという話もあります。これにつきましては、ネットの情報しかありませんので真偽のほどは不明です。

 私が言いたかったのは、金正恩だけが特に冷酷非道なのでなく、日本以外の国々は大同小異だということです。

 中国においても毛沢東は、自分の政敵を紅衛兵たちに襲わせ、なぶり殺しにしました。天安門の騒乱では、鄧小平が二千人ともいわれる学生や若者を、戦車のキャタピラーで轢き殺させました。広島・長崎に原爆を投下し、日本の都市を無差別攻撃したアメリカにしても、例外ではなかったのです。

 大東亜戦争前も敗戦後も、日本はこうした国々に囲まれています。彼らが特別に極悪非道な民族ということでなく、国境を接した大陸の国々では、「人類は友達」「世界は一つ」という楽天主義では、生き残れなかったのです。

 小さな島国でも日本が独立を守られたのは、先祖の苦闘の賜物であります。氏の著書を読みながら心に生まれましたのは、やはり先祖への感謝でした。

 今晩も長いブログとなり、そろそろイラクとお別れをしたいのですが、記録に残したいことがありますので、明日もう一回だけイラクとつき合います。日本も中近東の国々のように、外国の干渉で多民族国家となりそうだったのに、それを阻止した武士たちがいたという、そこだけはブログに書きたいと思います。

コメント
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