韓国のパククネ元大統領は、 かって、「日本への恨みは、1,000年たっても消えない。」と語りました。
聞いた時はこみ上げてくる怒りを抑えるのに苦労しましたが、勝又氏の著作を読み終えた今、別の思いが生まれました。
「韓国だけが、特別に執拗でやっかいな国でなかった。」・・、という発見です。
イラクを取り巻く中東の国々は、韓国同様千年単位の感情で現在を生きています。日本人のように、「10年ひと昔」などという忘却の潔さは知らないのです。日本の左翼は皇室の神話を笑い、天皇の歴史を蔑視し、過去を大切にする国民を、低脳者でもあるのように軽蔑しますが、こうしてみますと、やはり彼らも国際社会を知らない無知な集団だと分かります。
憎しみから、希望の明日は生まれません。憎しみから生まれるのは、不毛な対立と殺し合いで、しかもそれは子々孫々に受け継がれ、国内だけでなく、近隣諸国との紛争の連鎖となります。
前置きが長くなりましたが本に戻ります。欧米の大国に弄ばれる、イラクの現実です。
・マスウド・バルザーニは、クルド民族運動の英雄、ムスタファ・バルザーニの息子だ。
・物静かで控えめな性格、他人の話に耳をかたむける真摯さ、一度口にしたことは決して忘れない誠実さが、彼を知る人々の一致した評である。
・だがおそらく彼は、もう一つの教訓を心に秘めているに違いなかった。それは、秘密工作は慈善事業ではないという言葉だ。
・米国のクルド支援に加わった、キッシンジャー元大統領補佐官の言葉だと言われる。キッシンジャーの話になるとマウドは、悔恨と怒りが混じり合う気持ちの高ぶりを抑えようとしない。
・クルド支援からアルジェの合意まで、あの計画の全てをたくらみ、監督していたのはキッシンジャーだった。
米国の支援を信じて戦った彼の組織は、米国の突然の裏切りで、壊滅的な打撃を被りました。しかしイラクに介入していたのは、キッシンジャーだけではありませんでした。
・「イラク国民合意 ( INA )」 が崩壊したことで、CIAの対イラク工作が打撃を受けたかというとそうではない。」
・米国が望んでいたのは、軍事作戦によってフセイン政権に揺さぶりをかけることでなく、政権の内部や軍のクーデターが起き、フセインが舞台から去っていくことだった。
・そうであれば、イラク全土が混乱に陥る危険が少なくてすむ。
日本人の政治家も多くの日本人も、米国を信頼しています。アメリカが、正義と真心の国であるとでも言わんばかりです。イラクの本を読んでいますと、敗戦後の私たちが、いかに危機感を無くしてしまったかを痛感させられます。
他人を信じるのは大切なことですが、国際社会では往々にして「お人好し」としか、受け取られない事実も知っておくべきでした。
・イラクの反体制派の中には、グループ・オブ・フォーと呼ばれる組織がある。
・クルディスタン民主党 ( KDP )と、クルディスタン愛国同盟 ( PUK )、イラク・イスラム革命最高評議会 ( SCIRI ) と、イラク国民合意 ( INA ) だ。
・フセイン政権の打倒をめざす、ブッシュ政権がアプローチしたのもこの組織だ。
四つの組織の他にも、小さな反体制派集団が沢山ありますが、彼らは自己主張が強く、一つにまとまることができませんでした。個々には優れた意見を持っていますが、団結して国難に当たることができず、どの組織も単独ではフセイン政権に対抗する力がなく、米国の軍事力と政治力を頼りにしています。まさに、烏合の衆団でした。
勝俣氏の著作を読んでいますと、どうしても現在の日本が重なってきます。反日の野党は中国を頼みに与党を攻め、自民党は保守の誇りを忘れ米国頼りです。
敗戦後の日本がずっと米国に従属し、独立国の体をなしていないというのに、憲法さえ改正しません。世界第二の経済大国とか、アジアの優等生とか、そんな言葉でうぬぼれている場合なのでしょうか。
右も左も危機感を無くした政治家たちが、中国や韓国、あるいはフィリピンやインドネシアから大量の移民を受け入れたら、100年もすれば日本は別の国となります。移民が増え住み着いていけば、戦争でなくとも日本は内部から崩壊します。外来種のブラックバスや噛みつき亀がやってきて以来、日本固有の魚や亀が絶滅させられているように、人間も同じことです。
以前に読んだ林房雄氏の著作から、次の話をもう一度紹介したくなりました。
「慶喜が大阪から江戸城へ戻ってくると、仏国公使ロッシュが、謁見を乞うてきた。」
「彼は慶喜に再挙を勧め、軍艦、武器、資金はすべてフランスから供給すると言った。慶喜はこれを拒絶し、逆に彼を諭している。」
「 わが国の風として、朝廷の命で兵を指揮する時は百令ことごとく行わる。たとえ今日、公卿大名の輩より申し出たる事なりとも、勅命には違反しがたき国風なり。」
「されば今兵を交えてこの方勝利を得たりとも、万万一天朝をあやまたば、末代まで朝敵の悪名をまぬがれがたし。」
「さすれば昨日まで当家に志を尽くしたる大名も、皆勅命に従わんは明らかなり。よし従来の情誼によりて当家に加担する者ありとも、国内各地に戦争起こりて、三百年前の如き兵乱の世となり万民その害を受けん。これ最も、余が忍びざるところなり。」
勝海舟に比べ、慶喜公は愚者だったという説もありますが、仏公使ロッシュに向かい公が語った言葉を知れば、誰が暗愚の将軍と言うでしょう。幕府にはフランスの援助を当てにする者もいましたが、自らの判断でこれを退け戦乱を避け、泰然と決断した最後の将軍に私は深い敬意と感謝の念を覚えます。
時を同じくして西郷隆盛が、英国の外交官アーネスト・サトーから熱心な提案を受けています。
「幕府はフランスと深く結びついているから、このまま放置しておけば、幕府が諸侯を攻撃してくる。」
「幕府とフランスの奸計に対抗できる強国は英国しかないので、薩摩が英国と手を結んでおく必要がある。 もしフランスの援兵が幕府を助けたら、英国は同数の援兵を出す。」
サトーにこう言われた西郷がなんと答えたか。将軍慶喜公に匹敵する、日本武士の言葉でした。
「日本の国体を立て貫いて参ることにつき、外国人に相談するような面皮は持ち合わせては居ない。このところは、われわれ日本人で十分合い尽くすゆえ、よろしくご賢察あれ。」
ここで西郷が提案を受け入れていたら、英国に受け身となり、やがて言われるがままの従属国になったはずです。同じことが、慶喜候とフランスとの間にもありました。慶喜公の決断と西郷の矜持が、戦乱の世になるのを避けさせ、英仏の植民地へなることを防止したことを知れば、現在の私たちは感謝するだけでなく見習わなくてなりません。
「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと、決意した。」
慶喜公と西郷だけでなく、明治の政治家たちが、このような憲法の文言を知れば、怒り心頭でしょう。平和を愛する諸国がなかったから、日本は孤軍奮闘してきたでないかと、私たちを戒めるに違いありません。第一この文章は、正しい日本語になっていません。「日本国民」とわざわざ言ったり、「われら」などと、くどく言葉を重ねたり、「信義に信頼して」と、間違った用語の使い方をし、日本人なら書かない悪文です。だから私は、もう一度言います。
日本の独立を達成するためには、憲法改正が必要です。
[ 追記] 肝心なことを忘れていました。
日本がイラクと違うのは、幕末の大乱の中で異なる意見を持つ諸藩が、天下のため小異を捨て大同に就いて倒幕をやり遂げたことです。イラクの反体制組織はそれができませんでした。一つにまとまることが出来ないだけでなく、最初から米国という他国に頼りました。
武士たちは将軍から下級武士まで、異国に頼らない矜持と危機感を持ち合わせていました。敵であっても死者を弔い、礼節と節度を持つ武士道精神がありました。敗戦後の私たちが失くしたものです。憲法を改正し、失った魂を取り戻さなくてなりません。