昨日、政府主催の「全国戦没者追悼式」が、日本武道館で行われました。
「終戦72年、平和誓う」「陛下3年連続 " 深い反省 " 」「首相、今年も加害触れず」
これは、式典を報ずる千葉日報の一面を飾る記事の見出しです。NHKだけかと思っていましたら、千葉日報も、「終戦記念日」という言葉を使っていませんでした。
他の新聞はどう伝えているのかが気になり、ネットで調べてみました。見出しの言葉をランダムに並べてみましょう。
[ 朝日新聞 ]
「72年、戦禍忘れない 終戦の日」「陛下のお言葉 過去を顧み、深い反省」「終戦の日、追悼式に5700人 首相、加害責任に触れず」
[ 毎日新聞 ]
「終戦の日・戦没者追悼式:天皇陛下おことば」「終戦の日 靖国参拝、閣僚ゼロ 」
[ 読売新聞 ]
「戦後72年、不戦の誓い…全国戦没者追悼式」「終戦記念日、与野党が談話や声明を発表」
[日経新聞 ]
「終戦記念日 平和への祈り各地で」
[ 産経新聞 ]
「終戦の日」を迎えた15日、反天連デモに抗議の声200人。靖国神社近くで「天皇制いらない」などとシュプレヒコールを上げてデモ行進する反天皇制運動連絡会(反天連)。「帰れ!」「つぶせ!」とメンバーに抗議するカウンターと呼ばれる人たち。英霊を慰める終戦の日、靖国神社近くではシュプレヒコールや怒号が飛び交った。
(検索の仕方が不味いのか、産経は追悼式典の記事が見当たらず、デモ隊の衝突記事がありました。)
こうしてみますと、変わらずに「終戦記念日」という言葉を使用しているのは、読売と日経でした。それでも読売新聞はトップ記事の式典の報道では、「戦後72年」という見出しで曖昧にし、関連する記事で「終戦記念日」を使っています。
どうやら、マスコミにとって今年は変動の年であるようです。踏ん切りのつかない新聞社が、世論の動向を見ながら、どっちつかずの見出しをつけているのかも知れません。
並べて見ますと、いろいろな発見があります。「マスコミの鏡になれるか、千葉日報」と、以前は誉めたのに、今回の記事は頂けません。陛下は3年連続で「反省」と言われたのに、首相は今年も「加害責任」に触れなかったと、まるで首相が間違っているかのような書き方です。
先の大戦について、「すべての責任が日本にある」とする立場に立てば、陛下のお言葉になるのでしょう。「日本だけが犯罪国家だというのは、正しくない」とする立場に立てば、総理の言葉になります。憲法問題を含め、国論が大きく二つに分かれ、国民が歴史を再検証しようとしている時、東京裁判の判決を正しいとするような記事を書き続けるというのは、疑問でなりません。
他の新聞と比べて見ますと、千葉日報と同じ姿勢で記事を書いているのは、朝日新聞でした。せっかく千葉日報を評価していましたのに、これでは購読を続ける気持ちが削がれました。
千葉県から参列した遺族の方のコメントが、同じく一面の囲み記事となっています。「もう何があっても、絶対に戦争はしてならない。」「世界がいくら変わっても、9条は絶対に変えてはならない。」・・・、遺族の方の気持ちは察しますが、このような一方的報道の仕方も、そろそろ軌道修正する時が来ていると思えてなりません。
私の父はシベリアに連れて行かれ、過酷な炭鉱労働をさせられました。母は3才の私を背負い、ロシア兵の恐怖にさらされながら、満州から戻りました。叔母は、広島で被爆し、家族を失いました。だからといって、私はこの記事にある遺族の方のような意見は、言いません。先の大戦が、そのように日本だけを責めれば完結するという、単純なものでなかったと知るからです。
ご遺族の思いは思いとして尊重しますが、私が疑問を抱くのは、新聞の報道姿勢、記事の取り上げ方です。日本だけを犯罪国家とするような、日本だけに責任があるような、そんな偏向報道を、どうしていつまでも続けるのかという怒りでもあります。
千葉日報も独立した新聞社なら、捏造と偏向の朝日の真似をせず、国を大切にする千葉県民のため、両論併記の記事を書いて欲しいものです。