あまり中身のない本だと分かりましたから、なんとか今回で終わりにしたいと頑張ってみます。
・「戦後、長い間政権の座にあった自民党は、官僚の、官僚による、官僚のための政党だった。」
・「自民党の一般党員は、官僚でない人たちかもしれないが、国会議員は、官僚出身者が多くを占めている。」「その原点は、吉田茂である。」
・「 『小説吉田学校 』 という本があったが、その生徒は、後に総理大臣になる池田勇人、佐藤栄作ら、吉田の薫陶を受けた、官僚出身の政治家のことだ。」
・「宮沢喜一元総理も、その流れだ。」「別の系統ではあるが、岸信介、福田赳夫も官僚出身だ。以降の首相も、福田、大平、中曽根と、官僚出身者が多い。」
・「自民党政権が官僚政権だということは、比喩でもなんでもなく、歴史的事実である。」
自信を持って断言していますが、間違いでないとしても、正しい意見ではありません。官僚政治の原点は、吉田茂でなく、明治の元勲山県有朋まで遡らなければ、正解になりません。
彼は高杉晋作が創設した奇兵隊に入って、頭角を現し、明治政府では軍政治家として手腕をふるいました。陸軍の基礎を築き「国軍の父」とも称されていますが、一番の功績の一つは、官僚制度を確立させたことでしょう。
官僚が門閥や情実だけで登用されないよう、文官試験制度を創設し、後進の育成に力を傾けました。
「ねこ庭」の雑学の一部ですが、ネットの情報で確かめましたので、官僚制度の原点は山県有朋であると確信します。
菅氏も反日左翼の仲間ですから、大東亜戦争の前後でしか日本の歴史を考えていません。切り取った歴史のごく一部を示し、都合の良い資料として使うのも、左翼の常套手段です。
山県有朋まで遡れば、「官僚制度」が悪政の温床ばかりでないことが分かりますし、明治、大正、昭和と、困難な時代の国の舵取りをした、立派な官僚たちの姿が浮かび上がります。彼らの功績を無視し、一方的に悪と決めつけ、敵視するのが妥当でないこともハッキリします。
問題は制度でなく、人なのです。政治家や官僚たちから、武士道精神を奪った敗戦後の教育こそが、語られなくてなりません。敗戦後の日本が、どれほど占領軍のため、固有の文化や文明を破壊されたか。日本が失ったものが何だったか、それはどうすれば取り戻せるのか。
『総理大臣の器』と、大上段に構えたのなら、そうした根本のところを語らなくてどうするのでしょう。「羊頭狗肉」と私が言った理由が、ここにあります。
氏の著作は単なる政界のハウツウ本で、政権奪取のための技法が並べられているだけです。それならば、政権を奪取した後で、どのような日本を作ろうとしているのか。どのような歴史観を持ち、どの方向に国を向けようとしているのか、大切なことが何も語られていません。
日本を強い国にするため、地方分権を徹底する。リニアカーの技術で衛星を打ち上げ、淡水化技術で無駄なダムを作らないようにする。あるいは知的ソフト産業を伸ばし、日本をソフト大国にするとか、こうしたものを語れば、総理の器の大きさが分かるのだと、どうやら氏は勘違いをしているようです。
語るに落ちるとはこのことでしょう。総理としての氏の器の小ささと、志の低さが如実に示された本ですが、それさえ氏には理解できないのではないでしょうか。
日本を強い国にするための大目標と掲げている事項は、それこそすべて優秀な官僚に任せておけば、やり遂げる政策です。
日本の指導者として、総理大臣が考えなくてならないことは、「日本の置かれた国際社会の状況」です。中国とアメリカという二大強国に挟まれた日本は、どのように生きていかねばならないのか。喧嘩もせず、服従もせず、国の矜持を失わず、国民の安全と幸福を守るには、どうすれば良いのか。
これを考えるのが、政治家です。
氏の本を隅々まで読みましたが、肝心のことがどこにも書かれていませんでした。これでは、国を愛する国民に軽蔑されても仕方があるまいと、考えます。年金暮らしの一介の老人ですら憂えている明日の日本を、総理になろうという人間が思いつきもしないというのですから、お話になりません。
この本で、政府の内情や、制度の問題点など、知らないことを沢山教わりましたが、少しも感謝しないのは、一番大切なことが抜け落ちていたからです。こんな政界の裏話や、ハウツウを知りたいのなら、菅氏の著作を読まなくとも、週刊誌で反日評論家の記事でも読んでいれば得らます。
怒りに任せ、ゴミステーションに捨てるほどの本でもありませんので、今月末の中学校の有価物回収日に出すこととします。そうすれば。本は無駄にならず、ダンボールか、トイレットペーパーとして再び社会で再利用されます。
明日から読む本は、亡くなった筑紫哲也氏が書いた『若き友人たちへ』です。この人物も、反日のジャーナリストでしたから、楽しい読書にはならないことでしょう。