ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『青年の山脈』( 大内兵衛氏の著作 )

2017-11-17 15:07:37 | 徒然の記

 大内兵衛氏著『青年の山脈』( 昭和41年刊 徳間書店 ) を、読了。

  反日左翼の「憲法問題研究会」の代表である氏は、大正・昭和初期において、一流のマルクス経済学者で、財政学が専門でした。ネットで調べた経歴がありますので、紹介します。

 ・明治21年に兵庫県で生まれ、昭和55年に92才で逝去。

 ・大正2年に東京帝国大学経済学科を首席で卒業し、銀時計を受領。

 ・銀時計とは明治維新から第二次大戦まで、国立大学の成績優秀者に、天皇臨席の卒業式で与えられる。

 ・至高の名誉とみなされ、授与された者は「 銀時計組 」 と呼ばれた。

 ・大蔵省の書記官を経て、大正8年に新設された東大経済学部に着任。

 ・助教授として財政学を担当。

 ・在任中は労農派の論客として活躍し、大正9年森戸事件に連座し失職するが、数年後に復職。

  ・東大退官後は、法政大学の総長としてますます社会主義活動に精を出し、今日まで続く反日左翼の法政大学の基礎を固めた。

 今年の2月に、憲法問題研究会編『憲法と私たち』( 昭和38年刊 岩波書店 )を読yんだ時、メンバーの教授や学者を『変節した学者たち』というタイトルでまとめました。

 氏の悪名は知っていますが、著作を読むのは初めてでした。学究の徒で、真摯な学者と信じていたのですが、見事なまでに裏切られました。本の内容は、幕末から明治維新にかけて活躍した、いわゆる勤皇の志士たちの話です。

 先日、筑紫哲也氏著『若き友人たちへ』と、澤田洋太郎氏著『憲法改正論争 あなたはどうする』の書評の折、反日左翼の人間は、歴史を敗戦後からしか語らないと批判しましたが、訂正しなくてなりません。

 反日・左翼の頂点にいる大内氏が、歴史本を書き、当時の状況をびっくりするほど克明に描いています。幕府内で活躍した人物、薩長土肥の雄藩で名を轟かせた大名やその家臣たち、あるいは天皇との関係など、歴史の知識は半端ではありません。

 さすが銀時計組だけあり、大切な事実から詰まらない話まで、驚くほどの博識でした。

 しかし感心したのはそこまでで、後はもう、読むに堪えない低俗さでした。

 知識があり頭脳明晰であっても、日本人の魂のない人間は、歴史も卑しい受け止め方しかできないのだと知りました。「桜田門外の変」を叙述した氏の、空しいばかりの愚劣さを、そのま紹介します。

 ・井伊大老が、独断、日米修好通商条約を調印させたのは、安政五年 ( 1858年 ) のことだった。

 ・この条約調印は、文字通り彼の命取りとなるが、それからほぼ100年を経た、昭和35年 ( 1960年 ) 、日米安全保障条約が調印され、岸内閣は全学連を始めとするデモと、怒号の渦の前に退陣した。

 ・「 修好」と言い、「安全保障 」 と言い字面は美しいが、外国との条約が、常にこのように紛争のタネとなるのは、近代以後の日本の国際的地位を暗示していて、興味深い。

 ・井伊大老を、開国の恩人とする向きもあるが、この条約は不平等な屈辱条約で、その改正が明治時代を通じて、朝野一致の悲願だったことも、考え併せる必要があるだろう。

 ・それにしても、条約反対に決起した幕末の全学連ー水戸の浪士たちは、昭和の若者たちよりも少々ボルテージが高く、手荒だったようだ。

 何才の時に書いた本なのか知りませんが、幕末の争いを、全学連の活動と重ねているお粗末さに失望します。前後の関係なしに、そうしたバカバカしい文章を紹介してみます。

 ・弥五兵衛は一揆を起こすまで、じつに十数年間領内をくまなく回って、オルグしている。近頃の安保やストのオルグとは、桁が違うようだ。」

 ・金子孫次郎、高橋多一郎らの激派、いわばボルシェビキたちは、実力をもって勅書返還を妨げようとした。

 弥五兵衛や金子孫次郎の説明は、省略しますが、要するにこのボケ老人は、こともあろうに幕末の騒乱を、ソ連の革命騒ぎと同じレベルで見ているということです。

 幕藩体制を倒そうとする明治の志士たちを、反日・左翼の全学連と同じに見るというのですから、銀時計組の頭脳も、魂が抜けたら常識も抜け落ちるという実例です。当時の日本人は勤王派と佐幕派に分かれ、斬り合いをするほど対立していましたが、双方とも、日本の行く末を思い国のために争っていました。

 しかるに反日・左翼の全学連どもは、国を否定し、国を憎み、蔑み、社会主義ソ連を祖国と信じ、過激な暴力活動をしていました。こんな全学連の売国学生と、勤王の志士たちを同列にするなど、バカも休み休み言えと言いたくなります。氏の認識の低劣さに、怒りを通り越して苦笑します。

 文章は分かりやすく、下手な洒落が混じり、それこそ、バカにでも読める大衆小説のような語り口です。

 吉田松陰、坂本龍馬、木戸孝允、伊藤博文、西郷隆盛、勝海舟など、馴染み深い歴史上の人物が、氏の手にかかると、金と女と出世欲、名誉欲にからんだ俗人と成り果てます。

 貴方方を軽薄化するこんな低俗な本を手にして済みませんと、幕末・維新に生きたご先祖様に謝りたい気持ちになります。

 陰謀、背信、讒言、私欲など、ゴミのような当時の事件にばかり焦点を当て、人間の誇りや気高い怒りや、勇気を書かないというのは、まるで朝日新聞のやり方そのものです。

 根気よく最後まで読みましたが、「天下の悪書」というに相応しい愚劣さでした。上野の本牧亭では人気の講談師が、今でも面白おかしく喋っていると思いますが、氏は教授や学者でなく、講談師にでもなればよかったと思えてなりません。そうすればこれほど敗戦後の日本を汚さずに、毒気の笑いが上野あたりだけで済んだでしょうに。残念な話です。

 ほんの一部分の紹介ですが、バカバカしく、情けなくて、これ以上紹介する気になりません。そのかわり、先日の「ねこ庭」の『変節した学者たち』の中から、氏に関する文章を転記します。

 氏は戦後最悪の「獅子身中の虫」の親玉ですから、己の悪行を、何度でも世間にさらされる必要があります。

 東大や法政大学で、氏の教えをひたすら守っているバカな教授たちが、目を覚ましてくれたらと期待するのですが・・・きっと無理でしょう。愚痴はここまでとし、「ねこ庭」の過去記事を紹介します。

  ・GHQ占領時には東京裁判で、氏は連合国側に立ち、証人として出席した。

  ・その時の裁判は、日本の軍国主義教育の実態や教育者への弾圧、言論機関への抑圧、警察権力を駆使した圧制や脅迫などにより、侵略戦争がいかに準備されていったかの立証に、主眼におかれていた。

   ・つまり氏は宮沢俊義氏同様、「 GHQに絡め取られた学者 」である、というより、 自ら積極的に協力した「売国の学者」でした。

  ・宮沢氏と違うのは、最初から最後までマルクス主義者で通し、変節しなかったところでしょうか。

  ・昭和30年に、ソ連・中国学術視察団の旅を経て、氏が語ったという言葉を、紹介しておきたいと思います。

  ・私も社会主義を勉強すること実に40年であるが、社会主義がユートピアであるか、科学であるか、今まではっきり分からなかった。

  ・しかしここへ来て、いろいろの見学をして、それが科学であることがしかと分かった。

  ・ロシアの経済学は、二十世紀の後半において、進歩的な特色のある学問として、世界の経済学界で、相当高い地位を要求するようになるだろう。

  ・こういう歴史の変革のうちに、経済学者としていよいよ光彩を加える名は、レーニンとスターリンでありましょう。

  ・GHQに利用され、逆にGHQを利用した 「 獅子身中の虫」たちは、手強い勢力を国内外で持っています。

  ・戦後72年がたち、国民の多くが様々な事実を知るようになりましたから、これからが本当の「虫退治の時 」になるのかもしれません。

    「ストップ詐欺被害。私たちはもう騙されません。」 

  ・おれおれ詐欺防止のため、警察庁が作った標語ですが、「虫退治 」 にも活用できそうです。

  本日の締めくくりとして、「ねこ庭」が得た教訓を書き記します。

  「人は死んで名を残し、トラは死んで皮を残す。」

  「大内氏は死んで、恥をさらす。」

コメント
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