「しっかりしろ、総理。」「貴方の主張は、日本を取り戻す、」「戦後レジームからの脱却、ではなかったのか。」「今、この旗は、どこへ行ったのか。」
前回のブログで、私は最後にこのように述べ、締めくくりました。昨日久しぶりに、チャンネル桜の動画を見て、水島氏がそっくり同じことを語っているので、がっかりしました。しかもこの後に、氏が続けていた言葉。
「総理の裏切りは、許せない。」「こんなことでは、ご先祖さまに申し訳ないだけでなく、」「未来の子供たちに対しても、このままの日本を、渡せません。」
正確な表現は忘れましたが、私が自分のブログで、いつも訴えている内容です。水島氏が、同じことを言っているのなら、結構でないかと、思われる方が多数でしょうが、私にしますと、そんな簡単な話ではありません。
氏の話には、迫ってくる誠がありませんでした。言葉は沢山並びますが、心に響くものがありません。力を込めた話ぶりなのに、少しも琴線に触れませんでした。氏は番組の討論会で、司会を務めていますが、司会者なのによく喋ります。冗長・・という表現がぴったりで、うんざりさせられる時があります。
氏は、話が下手なのに、自分では、うまいと思っているのでしょうか。周囲が退屈していても、気づきません。私がしつこく、氏を観察している理由は、ただ一つです。
「他山の石」「人の振り見て、我が身を直せ」
もしかすると私も、自分のブログで、氏と同じことをしているのではなかろうか、という反省です。息子たちのためと、自分は真剣なつもりでも、相手には、退屈な言葉の繰り返しでしかない。なんだ、また始まったかと、若者が年寄りを敬遠するのと、同じ愚をしているのでないのかと、反省を促されました。
「第一次安部内閣が倒れ、総理が辞職された時、私は何度かお会いする機会がありました。」「安部さんが政権を離れると、群がるよういた人たちが、」「たちまちいなくなりました。」
「第二次安部内閣ができ、安部さんが注目を浴びるようになりますと、」「自称保守という人たちが、周囲に集まりました。」「力を持った人間に媚び、何かの益を得ようと、」「そんな時、私は安部さんのそばを離れました。」「私は、利益で動く人間ではありません。」「権力を持った人間には、近づかないのです。」
あるいは、これは氏の、本当の気持ちなのかもしれません。しかし私なら、わざわざこういう話はいたしません。総理を支援しているのなら、自分が総理と親しくしていると、不特定多数の人間に話をするような愚は、しません。
私のように普通の人間ですら、「ネトウヨ」とレッテルを貼られるご時世なのに、氏の動画は、田原総一朗氏に、「右翼のチャンネル桜」と蔑称されるほど有名なのですから、総理と親しいなどと、口に出してはなりません。自分の言葉が、総理を不利な立場に追いやると、その程度の配慮は必要でないかと、私は思います。
青山繁晴氏について疑問を抱くのも、この点です。総理を支持する議員なら、個人的なつながりを、他人に吹聴しないというのが、最低のマナーでしょう。会社勤めをしていた時でも、「社長が、社長が」と、ことある度に、社長との関係を話す人間がいました。私はそんな人物を軽蔑こそしても、敬意を持ったことは一度もありません。
話があちこちに飛びますが、水島氏も、そういう軽薄な人間の一人なのかと、言いたい訳です。私と同じような言葉を使い、自分の保守ぶりを強調していても、氏とは、ここが違うと、結局私も、愚かしい自己弁護のブログにしています。
軽蔑していながら、敬意も表している水島氏について、もう少し述べます。氏の饒舌さを我慢すれば、氏の動画での「討論番組」には、有意義なものが沢山あります。私が、戦後日本の問題点を教えられたのは、チャンネル桜の「討論番組」でした。反日・左翼を攻撃する、保守論人の集まりですから、偏見も混じります。
しかし、現在の日本の問題点を知るには、有意義な番組です。沖縄の異常な言論空間、左翼過激派の活動、従軍慰安婦の矛盾点など、多くのことを教えられました。さらには、「チャンネル桜、沖縄通信」「チャンネル桜、台湾通信」を立ち上げ、現地の出来事を、伝えてくれます。大手メディアが伝えない、隠れた事実を、多くの人に知らせてくれます。
依然として、マイナーな、ネット報道の一つでしかありませんが、「チャンネル桜」が発信する情報力は、私のブログとは比較にならない、社会貢献をしています。儲かっているのか、いないのか知りませんが、儲からなくとも、国のため、力を尽くしているのですから、この点につきましては、社長である水島氏に敬意を表しています。
反日・左翼への偏見があるとしましても、情報源として、チャンネル桜は大切なネット番組です。以前のように、そのまま受け入れてはいませんが、重要なことを知りたい時は、欠かせない番組です。水島氏の、下手な話を補って余りある、功績があると、これだけは本気で思っております。