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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

大いなる失敗 - 6 ( 資本主義の未発達国で、なぜ労働者の政府が作られたか )

2018-12-07 14:17:53 | 徒然の記

 ブレジンスキー氏の説明を、紹介します。

 「レーニンの考えでは、ロシアはまだ社会民主主義を受け入れるほど、成長していない。」「だからロシアで社会主義は、上から、言い換えればプロレタリア(労働者)の独裁によって築かなければならない、と言うのである。」

 「ところがプロレタリアの独裁といっても、それは、名目上だけのことである。ロシアには、政治に関与するブロレタリアートも育っていなかった。立ち遅れたロシアで、革命を成就するためレーニンは、組織化された 〈 前衛〉を考案した。 」

 「前衛とは、歴史の要求を把握し、課された使命に燃える革命家たちだった。社会も、プロレタリアートも未熟であるという、ロシアのジレンマに対して、レーニンが考え出した解決策だった。」

 レーニンは政治権力を、少数の前衛と呼ばれるエリートたちに集中させました。同時に、前衛たちが革命のためにする暴力の使用を肯定しました。

 「民主主義とは、プロレタリアによる独裁だと彼は公言している。党の独裁だと非難されれば、その通り党の独裁である。我々はそれによって立ち、それ抜きでは考えられない。いかなる法律にも、いかなる規則にも縛られず、直接暴力に依拠する権力ということである、とも書いている。」

 レーニンによる恐怖政治の宣言が、人類のユートピアを作り出すためなら許されると、当時の人々は許容しました。多くのインテリや学生や活動家たちは、マルクスの『資本論』の壮大さと精緻さに圧倒され、レーニンの解釈に注意を払う余裕がなかったのかもしれません。

 共産主義国家の建設のためには、最初から、血で汚された手が不可欠だったのです。これに関する、氏の説明を続けます。

 「権力を握るとすぐ、レーニンは実行に移った。」「彼は社会全体を、恐怖政治で支配するためだけでなく、ほんのちょっとした官僚的抵抗を排除するためにも、無差別に、暴力を用いるようになった。」

 「1918年の1月に発した法令で、ボルシェビキの支配に反対した者への対策として、国家機関の手で害虫どもを、全ロシアから駆逐するよう、求めている。」

 「またレーニンは、あらゆる疑惑分子を、僻地の強制収容所へ送り込むことを命じた。」「政治的反対者に対しては、議論するより銃で対決する方がマシだ、と述べている。」

 スターリンだけが、政敵を粛清し、異分子を強制収容時へ入れ、暴虐を尽くした独裁者と思っていましたが、レーニンが元祖でした。これが氏による「レーニン主義」の説明です。

  次に「スターリン主義」の説明を紹介します。

 「スターリンは、レーニン主義の本質を理解した、天才である。」「ライバルのトロッキーは、世界規模の同時革命に結びつけようとして失敗した。やっと国内での立場を強めた党幹部たちは、時期尚早な世界革命のため、全てを失う危険を欲していなかった。」

 「スターリンは、一国社会主義論を打ち立て、共産主義体制が世界に飲み込まれる不安をなくした。」「こうしてイデオロギーへの熱い思いも、党幹部の自己防衛本能も、満足させたのである。」「陰謀好きの一握りの指導者たちが、毎夜クレムリンで、社会改革を自分たちの使命と考え策を練った。」

 「すなわち農民や中流階級を解体し、何百万人の人民を強制的に社会に位置づけ、こうして一国社会主義は、国民を、国家の最高権力に、完全に従属させることになった。」

 「国家意識を高揚させ、暴力を手段として社会改革を行うことは、スターリンの下で頂点に達した。」「全てが、独裁者その人と、彼が統治する国家に服従した。」「スターリンは、詩に歌われ、音楽で賞賛され、何千という記念碑を建てられ、あらゆるところで偶像視された。」

 「彼の支配は高度に官僚化し、組織化した国家権力に基づくものであった。」「ピラミッド型の権力組織は、テロリズムによって固められ、独裁者スターリンの気まぐれに誰も逆らえなくなった。」

 これが氏が説明する、「スターリン主義」です。レーニン主義をさらに拡大し、社会全体を一人握りのエリートでなく、一人の独裁者の支配下に置いた理論です。「たとえソ連が、将来開かれた国となっても、スターリンが殺した人数を正確に知ることはできないだろうと、氏はここまで述べています。

 「貧乏人のいない、万民平等の世界」「全人類のユートピア」は、テロと殺戮の組織がなければ、作れなかったのです。しかも、これだけの人間を殺していながら、未だに建設途上です。

 ソ連の共産主義は偽物で、自分たちが正統なマルクス主義だと中国が攻撃しましたが、中国を作った毛沢東も、「政権は、銃口から生まれる。」と言って憚りませんでした。そしてやったことは、スターリン同様の個人崇拝と反対者たちの謀殺でした。

 学生の頃読んだ、マルクスの書にはこう書かれてました。

「人類の歴史は、階級闘争の繰り返しである。資本主義が高度に発展すれば、自己矛盾が生じ、自ずから崩壊へと進む。」「その時に、プロレタリアートが支配権を手に入れれば、人間平等と、自由の、理想社会が生まれる。」

  細部は違っているとしましても、肝心なのは次の二点です。

  1. プロレタリアによる暴力革命と、マルクスは言っていない。

  2. 高度に発展した資本主義国で、社会主義が力を増してくると述べている。ロシアも中国も、高度な資本主義国ではない。

 ソ連は、資本主義の高度に発展した国ではありませんし、中国に至っては、人口の9割が農民でした。ソ連も中国も、資本主義の萌芽さえない、遅れた社会でしたが、レーニンとスターリンと毛沢東が、暴力革命の理屈を考え出し、無理やり社会主義政府を作りました。マルクス自身は、社会主義国家が生まれるのは、資本主義が発展し労働者階級が存在する、ドイツかイギリスを想定していました。

  社会主義国家の幻想が崩壊し、歴史の試練を経た今なら、冷静に過去を眺めることができます。次回は、「なぜ70余年間も、私たちは社会主義国家の間違いに気づかなかったか。」を、検討したいと思います。

コメント (6)
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