今回も、「なぜ未だに、日本ではマルクス主義の信奉者がいるのか。 」別の言葉で言うと、「なぜ70余年間も、社会主義の間違いに気づかなかったか。」について、検討します。
前回の目次で見る通り『資本論」そのものは、立派な学術書です。
「マルクスの理論はいまでも生きている。」「自民党の悪政で、貧富の格差は広がるばかりだ。」「「資本論」は不朽の預言書だ!」
学生に檄を飛ばす左翼教授の言葉を、ブログを訪問された方が教えてくれました。ブレジンスキー氏も、賞めていました。
「この考え方は、何百万人もの心をとらえ、」「彼らに、期待を抱かせた。」「新たに政治に目覚めた、大衆の心理に、」「マッチした思想であった。」「この意味では、偉大な宗教の魅力に似ている。」「どちらも、人生の意味を余すところなく説いており、」「その解釈の全体性と、単純明解さが、人々を捉え、」「安心させ、そして熱狂的な行動に駆り立てたのである。」
つまりマルクスの書は、時代にマッチした思想だったのです。彼の指摘通り、富める資本家と、搾取されるばかりの貧しい労働者がいて、悲惨な日常がありました。極端な貧富は人の心を傷つけ、暴利をむさぼる資本家への怒りや憎しみが溢れていました。そこへ出てきた『資本論』ですから、瞬く間にその思想が広がりました。
しかし最大の問題は、「思想を実現するには、どうすれば良いか。」でした。マルクスは過去の歴史を分析し、彼独自の説を展開しましたが、「移行手段」については語りませんでした。歴史の必然として、資本主義は崩壊する。崩壊した後の社会の担い手は、虐げられてきた労働者階級だと、そこまでしか述べていません。
レーニンが、「あらゆる反対分子を、僻地の強制収容所へ、送り込め。」と命じ、「政治的反対者に対しては、議論するより、銃で対決する方がマシだ、」と、述べても異論を挟めないほどの、資本家の過酷な支配が当時の社会にありました。
「なんでもいいから、血も涙もない資本家どもを追放してくれ。」と、過激なレーニンを支援する声の方が大きかったのでないかと、考えます。レーニンは二千万人、スターリンは六千万人以上、毛沢東は四千万人と、彼らが死に追いやった人間の数が、いろいろな本で語られています。どの数字が正しいのか、検証したことはありませんが、どちらにしましても、マルクスの思想を実践するには、大量の殺人が避けられないという現実です。
多くの人間がマルクス主義の間違いに気づけなかったのは、二つの理由です。
1. マルクスの思想の学問的評価と、実践論としてのレーニン主義、スターリン主義を混同してしまったこと。
2. レーニンとスターリンの残忍な手法に劣らない、資本家たちの労働者の酷使が蔓延していたこと。
マルクスの思想と、「レーニン主義」「スターリン主義」の政治論は、別物です。現在存在している社会主義国は、「レーニン主義」と「スターリン主義」なしでは、語れない国です。私たちが目を覚ますべきは、大量虐殺を伴うマルクス主義でも、正しいと言えるのかという現実です。
30年前、カンボジアはポルポトの率いる、クメール・ルージュに支配された国でした。共産主義者だった彼は、平等な社会を作る理想に燃え、反対者の処刑をためらいませんでした。人口およそ800万人のカンボジアにおいて、彼は4年間で、国民の4分の1にあたる、200万人を処刑したと言われています。
スターリンの支配体制が完成するにつれ、虐殺の情報は隠されました。毛沢東の中国でも、ポルポトのカンボジアでも同じことでしたが、社会主義国の負の情報は他国に漏れませんでした。反日の朝日新聞が、スターリンのソ連を誉め、毛沢東の文化大革命を賞賛しました。
「なぜ70余年間も、私たちは社会主義国の間違いに気づかなかったか。」の原因として、マスコミの宣伝をあげます。しかし日本には、もう一つの原因があります。それは、次回に報告したいと思います。