ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

彼らが日本を滅す - 6 ( 『ローマ盛衰史』の一節 )

2018-12-31 21:41:42 | 徒然の記

 今回は、仙谷由人氏の続きです。

 「自衛隊を暴力装置と呼んだ、仙谷前官房長官は東大時代、フロントと呼ばれる、社会主義学生運動組織の親派として、活動していた。彼ら全共闘は、破壊の世代と呼ばれる。」

 「かって彼ら極左過激派は、長期にわたる暴力革命闘争、世界同時・武装革命を目指し、目的は手段を正当化するというレーニン思想や、革命は銃口からという毛沢東に影響され、日本共産党の平和革命論よりもっと左で、もっと過激だった。」

 「学生運動の警備にあたり、殉教者14名を含む一万二千人の機動隊員が、重軽傷を負い、なかには失明、四肢喪失、顔面やけどのケロイドなど、今でも後遺症に苦しんでいる者もいる。」「こうした警察官が多数いるというのに、仙谷由人氏はうまく転向し、官房長官の栄職まで出世した。」

 「そのうえで、国のため命がけで働く自衛隊を、暴力装置と呼んだ。」「証拠こそないが、かって氏は、機動隊を公的暴力装置と呼んだという。」「その価値判断で、現実の行政の認識をされたのではたまったものではない。」「もし尖閣諸島に、防衛出動のやむなきに至った時、総理、官房長官は、その暴力装置に日本を守ってもらうのである。」

 「命をかけて国民を守る、警察官、自衛官、海上保安官を敵視する政治家には、二度と、官房長官の要職につかせるわけにはいかない。」

  学生気分を引きずったまま、安易な言葉を使った仙谷氏への、怒りと無念さが伝わきます。しかし、氏がもっとも怒りをあらわにしているのは、平成22年9月に発生した、中国漁船が巡視船に体当たりした事件です。

 「尖閣諸島付近の日本の領海内で、違法操業をしていた中国漁船が、」「海上保安庁の巡視船に体当たりし逃走を図った。」「海上保安庁が漁船の船長を逮捕したのは、主権国家として極めて当たり前の処置だった。」

 「あろうことか中国は、尖閣諸島が中国固有の領土であると主張し、衝突は、巡視船の責任であると難詰し、賠償金や謝罪を要求したほか、さらには、中国各地で発生した反日暴動を容認するなど、とうてい理解しがたい振る舞いを続けた。」

 この事件をキッカケに、日中関係がにわかに険悪となり、国民の反中、嫌中気運が一気に高まりました。前原外相は記者会見で、「世界に説明することが大事だ」と述べ、ビデオを見れば一目瞭然だと語りました。巡視船が、体当たりの一部始終を撮影していましたから、ビデオを公表すれば、いかに中国がデタラメな主張をしているのか即座に分かるものでした。

 「ところが、菅総理と仙谷官房長官は、中国の反発が伝えられると、このビデオを秘扱いにしてしまった。」「彼らは、中国に対する過剰な気遣いと保身と、那覇地検で取り調べ中の船長のため、刑事訴訟法を持ち出し、裁判までは関係資料は不公表が原則だと言い、ビデオの公表を拒んだ。」

 「菅・仙谷内閣の外交は、中国の恫喝に屈しビデオの公開を禁じ、船長を釈放し、反日暴動と、中国政府の謝罪・賠償要求を誘発してしまった。」

 そんな中、平成22年11月インターネットの動画サイトに、海上用保安庁が撮影したと思われるビデオが流出し、騒然となりました。当時の状況を、氏が語っています。

  「11月4日、インターネットの動画サイトに、中国漁船による体当たり画像が流出した。」「国会も内閣もマスコミも、大騒ぎした。」「その翌日から一週間、私は様々なテレビ、新聞、雑誌からの取材を受けた。」

 「ほとんどすべての取材者が、判で押したように質問してきたのは、」「国家の秘密が、こんなに簡単に流出する日本の情報管理や、危機管理体制について、どう思いますか、だった。」

 「これは中国や北朝鮮のような、独裁国家でしばしば用いられる、人民の世論操作の手法だった。仕掛けたのは、仙谷前官房長官だ。」

 「本当に追うべき犯人を逃がすため、囮になったのが、ビデオ流出であり、投稿者である海上保安官だった。」「本当の犯人、追わなくてならない相手とは、中国漁船体当たり事件で、初動措置を失敗した菅内閣だった。」

  氏は、菅総理と仙谷官房長官の失敗を列挙します。

  1. 逮捕した船長を、中国の恫喝に屈し、超法規的措置で釈放したこと

  2. 中国漁船の不法性を立証するビデオを、情報統制し不公表としたこと

 この判断ミスこそが問われなくてならず、マスコミも、国民の知る権利と報道の自由を掲げ、菅内閣に迫るべきだったと語ります。ビデオ流出を知った仙谷官房長官は、映像の出所が海上保安庁であるとか、石垣島海保がおかしいなどと匂わせ、国家機密を漏らした違反容疑のため、調査から捜査へ切り替えると語り、世論を巧みに誘導していきました。

 氏は、仙谷官房長官の主張が、秘密保護法の必要性や、守秘義務違反の罰則強化に傾いていった経緯を説明します。こういう情報をマスコミが報道しない裏事情、とでもいうのでしょうか。目から鱗の話です。

 「自分たちが野にあるときは、権力を嫌い敵視しているが、ひとたび権力の座に就くや、それを乱用する。」「権力批判をしていた人間に限って、猛々しく、権力を振りかざすのが通例だ。」

 「反対派を粛清したスターリンのごとく、独裁的な権力を振るうのである。人権派の弁護士から、官房長官へと上り詰めた仙谷氏もこの例に漏れない。」

 自衛隊と警察と海上保安庁を、暴力装置と切り捨てられたことが、よほど許せないらしく、ここまでいって良いのかと心配になるほど、仙谷氏への批判を遠慮しません。「4番目の男」でしかない胆力のない菅氏を、思うように動かしてきた仙谷氏の横暴ぶりを知りますと、酷評されて当然かと思えます。

  極め付きは、次の意見です。

 「クアラルンプールやダッカで起きた、赤軍派のハイジャック事件での超法規的釈放は、閣議決定に従って行われた。」「今回の船長の釈放も、閣議決定すべき事項であり、内閣官房長官の独断専行が許されるものではない。」「さらにビデオ流出後、投稿者を犯罪者呼ばわりし、罰則強化を主張し徹底捜査を命ずることも、官房長官の権限にないことだ。」

 「それを行ったとすれば、内閣法、国家行政組織法、国土交通省設置法にも抵触する。罰則がないとしても、明らかに職権乱用の越権行為である。」

 これ以外にも、民主党政権危険な行為を氏は語っていますが、私はここで、ブログを終わりたいと思います。数例でしたが、これだけでも、反日左翼政権の危険性が、訪問される方々に伝わったと思うからです。 

  今年中に区切りをつけたいという目標も、達成しました。最後に氏が『ローマ盛衰史』中から引用している一節を、紹介します。ローマの古兵が、息子に語ったという言葉です。

 「われ年老いて、この槍は、すでにわが腕に、重し。」「なんじ息子よ。われに代わりてこの槍を担え。」

 これこそが氏の遺言だと私は理解し、氏の手から、槍を受け取る決心をしました。やがて何年かしたら、私も息子のうちの誰かに、同じ言葉を言う時が来るはずです。もし訪問される方々の中に、氏の槍を受け取る方がおられたら、氏は草葉の陰から感謝されることでしょう。

 みなさん。よいお年をお迎えください。

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彼らが日本を滅す - 5 ( 江田五月、菅直人、仙谷由人各氏紹介 )

2018-12-31 00:08:21 | 徒然の記

 佐々氏が、実名を挙げている人物、江田五月、菅直人、仙谷由人氏について、自分の関心度に従い、順不同に拾ってみました。今回どこまで引用できるか、やれるだけやってみましょう。

   [ 江田五月氏 ]   ( 旧社会党 ・弁護士・元学生運動家)

 「仙谷氏が兼任していた法務大臣には、いわゆる進歩的文化人の系譜に連なる、江田五月氏が就任した。」「三権の長である参議院議院議長経験者の入閣は、異例のことだ。」

 「崖っぷちの民主党内閣となれば、議長経験者だからといって、すましておくわけにいかないとは江田氏の弁だが、死刑廃止論者として知られる江田氏を、法相に起用した理由は奈辺にあるのか。」

 「もしかすると、民主党においては、死刑廃止論者が法相の資格要件なのだろうか。」「そしてそれは、彼らが理想とする社会に向けての、布石なのだろうか。」

 「東大在学中に司法試験に合格し、裁判官になった江田氏は、社会市民連合代表だった父の急死により、参議院議員として政界に入っている。」「菅氏は、社会市民連合結成時のメンバーであり、江田氏とは30年来の盟友ということになる。」

 「江田氏の就任で思い出すのは、マルクス経済学者森嶋氏が唱えた白旗赤旗論だった。」「ソ連が攻めて来たらまず白旗を挙げて迎え入れ、さらに赤旗を挙げて、共産主義国になれば助かるというもので、いわゆる進歩的文化人は、こういった言説を弄していたのである。」

 

    [ 菅直人氏 ]   ( 元学生運動家・市民運動家、弁理士、理学士 )

 「私は、学生時代の菅直人氏をよく知っている。」「第二次反安保闘争の学園紛争花盛りの頃、バリケードで封鎖された東京工業大学の、輝ける闘争委員長だった。」「三派系セクトには、属していなかったようだが、東工大生たちを闘争に駆り立てる、名アジテーターであったことは間違い無い。」

 「当時警視庁警備課第一課長で、機動隊運用の責任者だった私は、加藤学長の要請で大学付近に待機していた間に、スピーカーを通じて流れてくる彼のアジ演説を耳にしたものである。」

 「加藤学長は、あの学生には、手を焼いております。彼がアジ演説をすると、すぐ500人くらい集まって騒ぐので、困っておりますと私に窮状を訴えていた。」「東工大のバリケード封鎖、解除警備は、前後三回に渡って行われ、私は現場指揮にあたった。」

 「ゲバ棒や投石による全共闘の抵抗があり、検挙者も出たが、その中に菅闘争委員長の姿はなかった。」「現場で警視庁の幹部たちが、我々は菅のことを、四列目の男と呼んでいるんですと、言う。」「どういう意味かと尋ねると、機動隊が検挙活動に入ると三列目までは手が届くのですが、」「四列目となると届きません。」「彼はいつも四列目より後ろにいて、逃げ足が速いので捕まえられないんです。」

 「なるほど、政権奪取以降菅直人氏は、政界レースのホームストレッチでは、なかなか先頭に立たなかった。副総理なのに普天間問題には一切触れず、鳩山由紀夫、小沢一郎、岡田克也氏らを前に立て、四列目を守り、鳩山、小沢両騎手が落馬すると、トップに躍り出て総理になった。」

 

    [ 仙谷由人氏 ]    ( 旧社会党 ・全共闘学生運動家・弁護士)

 東大安田講堂の封鎖解除が行われた時、学生だった私は、テレビの前に釘付けになっていました。翌日の新聞だったと思いますが、逮捕された学生数を見て不思議に思いました。「逮捕者合計633名中、東大生38名。」という数字です。跳ね返りの学生が、東大の名前に惹かされ、東大生になりすましていたのかと軽蔑しました。

 今回氏の著書を読み、東大生運動家たちの卑劣さを知りました。

 「東大生はわずか6%で、後の94%は東大全共闘を助けようと、全国から馳せ参じた外人部隊だった。」「外人部隊は、最後まで愚直に戦い、逮捕され、人生を大きく狂わせた。」「東大全共闘は彼らを尻目に、前夜、敵前逃亡していたのである。」「それゆえ全共闘は、敵前逃亡した東大全共闘を、卑怯者として軽蔑し嫌悪し続けた。」

 こういう事実があったのかと、自分の誤解のお粗末さを反省しました。ここで、私が以前に得ていたネットの情報とつなげますと、さらに卑怯者の東大生の姿が浮かび上がります。

 「東大時代の仙谷氏は、全共闘の新左翼系学生運動家であり、構造改革派のフロントというセクトの親派だった。」「安田講堂事件の際は講堂の中にはおらず、救援対策や弁当の差し入れなどを行い、学生活動家仲間からは弁当運び屋と、呼ばれていた。」

  仙谷氏について氏は、岡崎トミ子氏に劣らないページ数を使い、糾弾しています。今回はここで一区切りとし、佐々氏の怒りの遺言紹介は、次回にします。夜も更けて参りましたので、これから歯を磨き、ベッドに入ることとします。

 お休みなさい。

コメント (2)
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