ねこ庭の独り言

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大いなる失敗 - 3 ( 単純な人々と、教養のある人々 ? )

2018-12-04 19:17:42 | 徒然の記

 ブレジンスキー氏の、『大いなる失敗』の書評の続きです。

 大学時代の私は、中途半端な学生でした。それでも、マルクスの『資本論』は読みました。理解できないところがあっても、読み通すという意志だけを持っていました。難解でも、嫌悪する本でも、手にした本は最後まで読むという読書スタイルは、現在も続いています。間違った解釈をしていても、この読書方法を続ければ、知識が積み重なるに従い、過去の誤解を知る時が来ます。

 反共の氏の書を手にしたので、これを機に初心に戻り、マルクスを検証したいと思います。

 「共産主義が20世紀の歴史に、これほど大きな位置を占めてきたのは、教義の極度の単純化が、時代にあっていたからだと言えよう。」「あらゆる悪の根源が、私有財産制にあるとした共産主義は、財産を共有することで真に公正な社会が、従って人間性の完成が達成できると仮定した。」

 ブレジンスキー氏の説明が続きます。

 「この考え方は何百万人もの心をとらえ、彼らに期待を抱かせた。」「新たに政治に目覚めた大衆の心理に、マッチした思想であった。この意味では、偉大な宗教の魅力に似ている。」

 「どちらも、人生の意味を余すところなく説いており、その解釈の全体性と、単純明解さが人々を捉え、安心させ、そして熱狂的な行動に駆り立てたのである。」

 「偉大な宗教と同様に、共産主義のドクトリンは、人を見て、法を説く。ごく単純な説明から、より複雑な哲学的解釈まで、様々なレベルの解釈が用意されている。」「ようやく読み書きができる程度の人には、すべてを階級闘争で説明し、共産主義によって、理想の社会が実現すると説いた。」

 「特に恵まれない人々に魅力的だったのは、人民の敵、すなわちこれまで、物質的に豊かだった階級に対する、暴力を正当化したことであった。」

 貧しい学生だった私は、氏が解説する過程を経て、マルクス思想に圧倒されました。働いても働いても、暮らしが楽にならない両親を見ながら、こんな社会は間違っていると、怒りを抱いていました。そんな暮らしの中から、親たちが大学に通わせているのですから、呑気な私も、そのくらいのことは分かっていました。

 「嬉しいことに、今度は、物質的に豊かだった彼らが、虐げられ、抑圧され崩壊する番となった。」

 氏は屈託無く語りますが、私がマルクス主義に疑問を感じたのは、この点にありました。金持ちと貧乏人が、社会制度の欠陥から生じるのなら、金持が悪とされ、貧乏人が正義となる理由が分かりませんでした。マルクス主義の国を作るためなら、貧乏人が金持ちを殺しても構わないという主張に、馴染めませんでした。

 「マルクス主義は、憎しみの思想だ」・・、精緻な理論に魅了されましたが、心が燃えませんでした。「貧乏人のいない社会を作ろう。」「不公平な社会を、無くそう。」と、涙を浮かべていた友の顔を覚えています。彼らの多くは人道主義者で、献身を惜しまない善人でした。

 団塊世代の左翼主義者を、無下に否定しないのは、過去の経験があるからです。敬意の念と軽蔑の念が、彼らを見るたび心の中で交差します。思想に疑問を抱かずよくも人生を捧げたという「敬意の念」と、いつまでも思想の矛盾に気づけなかったという「軽蔑の念」です。

 横道に逸れましたので、氏の本に戻ります。

  「こうしてマルクス主義思想は、知識人たちに人間の歴史を理解するための鍵を与え、社会や政治の変動を評価する尺度を与え、経済活動に関する知的な解釈を与え、さらには社会参加の動機づけを与えたのである。」

 「このように共産主義は、単純な人々も、教養のある人々も、同じように引きつけた。」「すべての人に方向感覚と納得出来る説明と、道徳的な正当化を与えたのである。」「思想を受け入れた者は、自らの正しさを信じて疑わず、自信を抱いた。」「とりわけ、すべては直接的政治行動をとることで得られるという、単純すぎる考えを植えつけた。」

  マルクス主義は、ソ連とだけでなく世界中に波及し、世界を二分する思想となりました。私は、氏の次の言葉に引っかかりました。

 「このように共産主義は、単純な人々も、教養のある人々も、同じように引きつけた。」そうだとしたら、思想に惹きつけられなかった私は、単純な人間でもなく、教養のある人間でもない、「宙ぶらりんな人間」ということになります。

 しかし実は私のような人間が、日本を右にも左にも傾斜させず、中庸の国として守っているのではないかと、そんな気がしています。

 敗戦後のマスコミがこぞって反日左翼の論陣を張り、日本の過去を悪しざまに攻撃しても、鵜呑みにしなかった国民が多数を占めていたから、今の日本があるのではないでしょうか。資本主義と共産主義の功罪を理解し、いずれにも偏らず、政治家の言動を見ながら選挙の一票を入れてきたと、そう考えなくては、日本の現在が語れません。

 マスコミは、国の宝ともいうべき国民を、「無党派層」という言葉で一まとめにしました。「自分の意見を持たない人間」「ムードに流される、信念のない人間」という、軽蔑の意味を込めていました。

 全国の有権者数に占める無党派層の割合は、昭和45年から平成2年までのデータによると、平均して20%から30%となっています。平成2年の中頃に突然50%に上がりましたが、昨年は31.3%に戻りました。

 もしも無党派層が、マスコミが定義するような国民だったら、日本はとっくの昔に共産主義政権の国になっているはずです。氏の著作を読みながら発見するのは、私たちの日本と国民の姿です。

 歴代の米国大統領の補佐官の意見だとしても、押し頂く必要はありません。国の数だけ正義があり、人間の数だけ真実があるのですから、私たちは日本を中心に、正義と真実を語れば良いのだと思います。

  「奢る平家は久からず、ただ春の夜の夢の如し。」です。日本人である私たちには、思想に対する自制心と謙譲の心が昔からあります。氏には無い、ご先祖様からのDNAです。
 
 明日は氏の説明する「レーニン主義」と「スターリン主義」を、紹介します。
コメント (2)
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