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ねこ庭の独り言

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大いなる失敗 - 5 ( 加藤幹事長とブレジンキーとの中国評価 )

2018-12-06 16:41:12 | 徒然の記

 「興味ある発見」と言いますのは、ブレジンスキー氏と故加藤紘一氏の中国評価が、一致しているという事実です。

 「加藤は昭和14年生まれ、平成28年に77才で逝去。」「元外務官僚、宏池会のプリンスと呼ばれ、山崎拓、小泉純一郎とともに、YKKを結成した。」「衆議院議員13期」

 「防衛庁長官、内閣官房長官、政務調査会長、幹事長、」「宏池会会長を歴任。」「日中友好会長、名誉会長を歴任。」

  亡くなった人物を酷評したくありませんが、氏は自民党の中の 「獅子身中の虫」でした。東京裁判史観を信じ、日本は中国・朝鮮に償いきれない非道をしたと本気で考えていました。

 親中・親韓と言うより、氏の言動は眉中・眉韓で、日本を愛する心がありませんでした。平成25年に、尖閣諸島の領有をめぐり、中国との対立が激しくなった時、その諍いの最中に野中広務氏が訪中し、「尖閣の領有問題は、田中総理の訪中時に棚上げになっていた。」と、中国側に立つ意見を表明しました。

 尖閣諸島の地主から、石原都知事が都で買おうとしましたが、野田総理が国として買い取りました。東京都より国が所有する方が、対中問題を大きくしないと、氏は考えて実行したのですが、事前調整をせず実施したため返って中国を刺激し、日中関係がさらに悪化しました。そういうおりの野中氏の訪中でしたから、国民の多くが野中氏の言動に疑問符をつけました。

 加藤氏は現職を退いてからも、安倍総理批判の急先鋒となり、中国と対決する政策は愚策で、常に対話と協調と寛容の精神で行くべしというのが持論でした。

 「中国は今、国を挙げて、新しい国づくりをしている時です。国家の中枢にいるのは、選ばれた優秀な人々ばかりです。」「第一級の頭脳が集まり、歴史的な実験に取り組んでいます。日本はこうした中国を、見守るべきです。反対したりするのは、とんでもないことです。」

  ネットの動画でこのように語った加藤氏を、今も記憶しています。平成25年には、共産党の機関紙「赤旗」に寄稿し、安倍内閣の集団的自衛権行使の方針について、「徴兵制までいきかねない」と反対を訴えました。また、慰安婦問題の強制性を認めた「河野談話」を、安倍総理が見直そうとすることについても批判しました。

  それよりもっと、注目すべき事実があります。昭和64 ( 1989 ) 年の天安門事件で、欧米諸国が結束して経済制裁に踏み切りました。改革開放路線を取り、国力の増大を図ろうとしていた中国は、大打撃を受けました。平成4年の10月、宮沢内閣の官房長官だった氏は、苦境の中国を救うため、中国側の要請に応じて陛下の訪中を実現しました。

 陛下のご訪問は、国際的な経済制裁の解除にきっかけになりました。これについて、中国の外交部長だった銭基深氏が、「西側同盟の中で、もっとも弱い部分である日本をうまく利用した結果だ」と、回想録の中で述べています。

 加藤氏つきましては、自民党の議員でありながら、なぜ横暴な中国に肩入れするのかと、ずっと疑問でした。今回ブレジンスキー氏の著書を読み、氏の中国評価を知り、疑問だった加藤氏の言動を解くカギを発見しました。

 加藤氏とブレジンスキー氏は、政権のどこかで、接点があったのではないか。

 調べていきますと、二人が無関係でなかったことが分かりました。ブレジンスキー氏が、カーター政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官になった時のアメリカを、もう考えてみました。

  「中国に対しては、前任のニクソン、フォード両大統領の接近政策を受け継ぎ、カーター大統領は台湾との国交を断絶した。」「昭和54 (1979 ) 年の1月に、中国との正式な国交樹立をした。」

 日本ではニクソン訪中が大きく語られますが、両国の国交を正式に樹立したのは、カーター大統領でした。米華相互防衛条約が破棄され、在台米軍も撤退しています。カーター大統領の対外政策を書いたのは、ブレジンスキー氏だったということになります。

 氏はカーター大統領だけでなく、その後のクリントン、オバマ大統領にも、顧問として重用されています。この間のアメリカのアジア政策は、「中国をアジアの同盟国として重用し、日本は危険視する。」・・ということだと思います。

 加藤紘一氏の、政治家としての歩みを調べました。

     昭和53 (1978) 年  大平内閣 官房副長官

     昭和54 (1979) 年  大平内閣 官房副長官 ( カーター大統領 中国と国交樹立 )

     平成 3 (1991) 年   宮沢内閣 官房長官

 ブレジンスキー氏が政権内で実力を発揮していた時期と、加藤氏の活躍時代が重なっています。加藤氏は、カーター政権の実力者であるブレジンスキー氏の意見を、積極的に取り入れたのではないでしょうか。そうでなければ、「中国高評価一致」の辻褄が合いません

 明日からは予定通り、「レーニン主義」と、「スターリン主義」に関する、ブレジンスキー氏の意見を紹介します。

コメント (6)
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