本日は228ページ、オーストラリアの話の続きです。
「オーストラリアは、20世紀を通じて、まずイギリスと、続いてアメリカと固く同盟し、冷戦時代は、西欧の一員だっただけでなく、西側の軍事及び諜報の、中心的存在だった。」
「だが1990 ( 平成 2 ) 年代に、オーストラリアの政治指導者が決定したのは、西欧から離脱し、アジア社会の一員として自国を見直し、近隣諸国との、密接な関係を発展させることだった。」
「キーティング首相は、オーストラリアは、〈 帝国の出先機関 〉であることをやめ、 〈 アジアに組み込まれる 〉 ことを目的とすべきだと、明言した。」「彼の説明によれば、オーストラリアは、数えられないほどの長い年月、イギリス崇拝と、麻痺状態を病んでおり、イギリスとの連合を続ければ、国の文化と経済の将来はなくなり、アジアと太平洋における、われわれの運命は衰退するだろう、と言うのである。」
キーティング首相が、こんなことを言っていたとは知りませんでした。背景にあるのは、アジア諸国のダイナミックな経済発展で、根拠となる数字を、ハンチントン氏が上げています。
1994 ( 平成 6 ) 年 輸出 ・・ 東アジアと東南アジア向け 62% ( EU向け 11.8% 米国向け 10.1% )
輸入 ・・ 東アジアと東南アジアより 41%
金の切れ目が縁の切れ目と言いますが、キーティング氏が実行したのは、まさにそれだったようです。氏は中国の巨大市場に目を向け、日本に対してはむしろ、冷淡だった印象がありました。 ハンチントン氏の説明には、キーティング氏に対する、よそよそしさが感じられます。
「こうした経済関係にもかかわらず、オーストラリアとアジアの協力体制と言う構想は、これを成功させるのに必要な条件を、一つも満たさないように、思われる。」「第一に、オーストラリアのエリート層は、この道を選ぶことに強い熱意など、全く示さなかった。」「自由党は、曖昧な態度で、反対し、労働党政権も、様々な知識人やジャーナリストからかなりの批判を受けた。」
英連邦から離脱するとなれば、君主制に賛成していては出来ませんので、何度か世論調査が行われたようです。君主制廃止に同意する国民の声は、21%から46%まで上昇した後、ダウンしました。しかしオーストラリアの国旗から、イギリス国旗を消すことについて世論は曖昧で、明確な合意が形成されませんでした。エリート層もまた、アジアという選択について、合意しませんでした。
「これが最も重要なのだが、アジア諸国のエリートは、オーストラリアの進出を受け入れる意思があまりなく、ヨーロッパのエリートが、トルコの受け入れを拒んでいる状況より、さらに消極的だ。」
国民の多数の意思が曖昧なのに、こんな大胆な政策変更をする労働党とは、どんな政党なのかと、疑問が生じてきました。ここでまた、氏の著書を離れ、別の情報を探しました。道草ばかりしますが、オーストラリアを理解するには、氏が省略しているこの国の実情を知る必要があります。スペースの都合で、本日はここで一区切りとし、次回は労働党政権について報告します。
オーストラリアのことはもういいと思われる方は、スルーしてください。日本を知るために、必要な知識だと考える方は、明日も「ねこ庭」へ足をお運びください。