ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

教育問答

2020-11-09 19:34:49 | 徒然の記

 なだ いなだ氏著『教育問答』( 昭和52年刊 中公新書 ) を読みました。氏については、名前を知っていますが、何をしている人物なのか知りませんでした。

 今回著書を読み、こんなつまらない人間だったかと、軽蔑しました。鷲野氏の著作の後だけに、その内容のお粗末さに、出版社である中央公論社も一緒に、軽蔑しました。軽蔑というより、岩波書店同様、国を貶める悪書として、不買のレッテルを貼りたくなりました。

 社会を汚染する書物が、いかに多く出回っているかを息子たちに伝えるため、ブログに記録したくなりました。氏の略歴をネットで検索すると、著名人なので詳しく書かれています。

 「昭和4年、東京生まれ、平成25年83才で没」「精神科医、作家、評論家、日本テレビ放送番組審議会委員」「本名は、堀内秀 (しげる)」「なだ いなだはペンネームで、スペイン語の"nada y nada"(何もなくて、何もない)、に由来する。」

 「昭和17年、私立麻布中学に入学。」「同級生に小沢昭一、フランキー堺、加藤武、中谷昇、」「2年上に北杜夫、3年上に奥野健男、5年上に吉行淳之介がいた。」

 親しくしていた人物なのか、単に同じ学校にいたというだけなのか、著名な人物が紹介されています。私の嫌いな評論家の名前もあります。

 「戦争が始まりインフレになると、父が貯めてくれていた進学資金が、」「紙くず同然になった。」「親の負担を軽くするために、授業料がかからず、」「給料までもらえる、陸軍幼年学校へ進む。」「配属は仙台陸軍幼年学校で、上級生によく殴られたため、」「あまりいい思い出はない、と語っている。」

 軍隊経験が災いし、軍を憎み、日本人の心まで失くした有名な作家を、思い出しました。司馬遼太郎氏は、多くの人間に保守系の作家と思われていますが、昭和以降の日本を嫌悪する反日作家です。

 徴兵検査が優秀だった司馬氏は、一般兵卒でなく、戦車隊に配属されました。本来不器用だったため、理論を理解しても、実際の操作はダメでした。上官や同輩だけでなく、部下からも軽蔑され、殴られたり、罵倒されたりしています。氏のような誇り高い人物には、耐えがたい屈辱だったろうと思われます。

 詳しく書かれていませんが、なだ氏も仙台陸軍幼年学校で、似たような経験をしたのではないでしょうか。そうでなければ、軍国主義否定の激しさが、理解できません。

 「敗戦後、麻布中学に復学。」「医者になることに、気は進まなかったが、」「医者の家に育った母の勧めで、慶應大学医学部を受験、」「27倍という高い倍率だったが、合格した。」

 陸軍幼年学校への合格や、医学部合格は、優秀な人物のコースです。凡庸な私は、即座に理解できます。学生時代の氏も、私の知らない世界を歩いています。

 「大学時代に、アテネフランセでフランス語を身につけ、」「昭和28年から1年間、フランス政府給費留学生制度により留学した。」「その時、アメリカ館で催された詩の朗読会で、」「ガルシア・ロルカに惹かれて傾倒し、スペイン語をを学び、」「なだ いなだ という、スペイン語のペンネームを発案する。」

 「また、そこで出会ったフランス人女性と交際し、のちに結婚。」「日本に帰国し、4女をもうける。」「夫人は、昭和46年代に、NHKラジオのフランス語入門で、」「ゲストを務めた、ルネ・ラガーシュである。」「現在、子どもたち4人は、全員フランスで暮らしている。」

 英語など、私は中学時代から習っているのに話せません。ですから、フランス語も、スペイン語も自在らしい氏を見ますと、尊敬せずにおれません。

 先ほど読んだ氏の著書と、氏の経歴の「落差」の大きさが、不思議でなりません。学力は優秀、医者としても有名、作家としても有名なのに、「どうして、このようなつまらない本を出版したのか。」・・この落差です。

 理由が、4つ考えられます。

  1. 62才の著作であるが、少しボケが始まっていたのか。

  2. 有名人だったため、周囲におだてられ、自惚れてしまったのか。

  3. 優秀な人物なので、読者を低く評価し、謙虚さを失ったのか。

  4. ブログ主である私の偏見が、強すぎるのか。

  息子たちも、「ねこ庭」を訪問される方々も、上記 4点につきまして、次回以降、私と共にご検討ください。

コメント (3)
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