ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

学校は変われるか - 3 ( 「偽善者・日教組」 )

2020-11-15 17:32:42 | 徒然の記

 読後の図書は、毎月一回の、小学校の有価物回収ゴミの日に、本、新聞、段ボールと区別して、所定の場所に出します。鷲野氏の著書も、回収日が来たら無くなるところでしたが、幸いまだありました。

 24ページから、36ページにかけて、「偽善者・日教組」という章があります。その一部を転記し、菱村氏の意見と比較すると、当時の様子がさらによく分かります。

 「日教組は、平成7年9月の定期大会から、」「文部省との、協調路線を取ったという。」「本当か。考えられないことである。」「社会党が社民党に名を変え、自民党に接近するや否や、」「恥も外聞も見事に捨て、自民党の袖にしがみついている。」「その姿は以前の蛮行より、もっとみっともない醜態である。」「政治集団の末路を、露呈した。」

 激しく批判していますが、おそらくこれが、当時の受け止め方ではなかったのかと、思います。鷲野氏の批判は、感情のままになされていますが、村山内閣による路線変更は、こういうところに影響を及ぼしていたのです。

 「貴方たちは今、自民党と手を取り合っているようですが、」「私どもは決して、今までの日教組の行動を、」「忘れたわけではありません。」「それはまず貴方たちが、教育界にエゴを持ち込んだことである。」 

 「自分たちの私利私欲を優先し、言い分が通らなければ、」「手段を選ばず、ストに訴えるという、」「蛮行を繰り返した。」「その卑劣な態度を、国民は知っている。」

 「そして今、それについて誰一人責任を取ろうとしない。」「良識ある国民が、苦々しくそれを見ていることを、」「忘れるべきではない。」「結局、最初から信念のない人たちだったかと、」「あきれ返る。」

 平成7年頃の私は、まだ朝日新聞の定期購読者で、政治に無関心なサラリーマンでしたから、氏のように大きな怒りはありません。政府が強権を持っているのだから、労働組合も日教組も、共産党同様必要悪なのだろうと、その程度の認識でした。定年退職後、「温故知新の読書」で過去の自分から脱しましたが、以前を考えると、「お花畑の住民」たちを、笑えない己がいます。

 「今子供たちが、わがままを言って困っているが、」「よく考えなさい。」「そのわがままの原型を作ったのは、貴方たちだ。」「教室に行っても、ストで先生がいない。」「子供を捨てたも、同然と言える。」「そうされた子が親になり、その親たちの子供が、今教室にいる。」

 日教組の組合員が減り、組合が弱くなった理由を、氏が二つあげています。

 1. ソ連が崩壊したこと

  社会主義国家、共産主義国家が無力化したため、イデオロギー闘争の名目がなくなった。

 2. 日本が経済的に豊かになったこと

  賃金闘争に対する世間の目が、冷ややかになった。

 だから彼らは、目標がなくなり、宙に浮いた状態になっていると氏は分析し、組合員だった教師が、今はどのようなことを言っているのかを、教えてくれます。

 「国歌、国旗にしても、そう目くじらを立てて反対することもない。」「道徳教育も、やれと言われれば、仕方がないだろう。」

 考えられない豹変ぶりに、氏は彼らを卑怯者と呼び、許せない偽善と批判します。生涯を日教組と戦ってきた氏は、職場で孤立し、攻撃され、無視されてきたので、おいそれとは容認できない「路線変更」でした。

 「彼らは、都合により豹変する。」「この後、またどのように豹変するか分からない。」「こんな烏合の集団に、日本の教育を任せることはできない。」

 だから、結びの言葉も、菱村氏とは違ったトーンになります。

 「教育を任せられるのは、文部省でもない。」「日教組でもない。」「任せられるのは、われわれ日本人の自覚しかない。」「それが今、芽生えつつある。」「時代が動いている。」「日本人は今、生まれ変わる時である。」

 ここで再度、菱村氏の結びの言葉を転記し、読み比べますと、どちらの人物が、正しく現実を捉えているかが分かります。

 「日教組の路線転換により、教育の視点から、」「本当に学習指導要領が、議論されるようになれば、」「日本の教育のためには、慶賀すべきことである。」

 鷲野氏は、日教組への怒りの大きさの反動で、日本人の自覚が進み、多くの人が目覚めるのだと、希望的意見に傾いています。菱村氏はむしろ冷ややかで、「やれるものなら、やれば良い。」「そうなれば、結構なことだ。」と、突き放して見ています。

 私自身は、どちらの意見にも一面の事実があり、双方の見方が必要だと思っています。本の出版後24年経ちますが、反日・左翼野党は健在ですし、反日・左翼学者もマスコミも、大きな顔をしています。これを見れば、楽観視しない菱村氏の意見が、正しく見えます。しかし、それでは現状肯定のままになりますから、鷲野氏のような、楽観的希望が必要になります。

 GHQが残した「トロイの木馬」を、そのままにしていてはなりません。鷲野氏のように、「日本人の自覚」を信じ、動いている時代を信じることは大切です。息子たちと、「ねこ庭」を訪問された方々に、果たして参考になったのかどうか、不安もありますが、今回のテーマはここで終わります。

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学校は変われるか - 2 ( 日教組の「路線転換」 )

2020-11-15 07:16:17 | 徒然の記

 今回は、平成7年の日教組の「路線転換」に関する、菱山氏と鷲野氏の意見を紹介します。まず菱山氏の、受け止め方です。

 「戦後教育において、行政当局と日教組が相互不審に陥って、」「激しく対立抗争を続けてきたことは、教育界にとっては、」「不幸だったと思っている。」「だから日教組が路線を転換し、行政当局と手を携え、」「教育の課題に対処することは、大いに歓迎したいのである。」

 「しかしそうは言っても、正直なところ、私の気持ちの中には、」「いささか、複雑な思いがあることも事実である。」「文部省で、いつも日教組の、イデオロギー闘争の矢面にさらされた身にとっては、」「これまでの闘争はなんだったのかと、」「反問したい気持ちが、拭えないのだ。」

 当時の日教組が、文部省と闘争の対象としていた事項を、次のように列挙します。

 1. 学習指導要領  2. 職員会議  3. 研修制度

 4. 主任制度    5. 国旗・国歌

 私の家は、朝日新聞でしたから、そう言われてみますと、これらに関する記事が微かな記憶としてあります。中学か高校生だったかと思いますが、政府が力ずくで先生たちを締め上げていると、そんな印象でした。しかし今、政府の当事者だった氏の説明を読みますと、逆の話になります。

 「占領政策の終了とともに、道徳教育が、大きな課題の一つとして取り上げられた。」「道徳の時間が作られたのは、昭和33年からである。」「その直後に、私は文部省に入省したので、記憶は鮮明である。」

 「道徳の時間特設について、日教組は全国的に、激しい反対闘争を展開した。」「今では想像もつかないことだが、日教組は、道徳教育の講習会場に、」「受講者を入れないようにするため、動員をかけてピケを張り、」「会場を宣伝カーが取り巻いて、スピーカーのボリュームを上げ、」「官制道徳教育ハンターイと叫んで、妨害する光景も見られた。」

 「こうした日教組の、道徳教育に反対する闘争を、」「進歩的学者や文化人が、熱心に支援した。」「一部の学者や文化人は、『修身教育の復活』、『教育勅語の復活』だと、」「口を極めて非難した。」「中には、反対することこそが、良心的な教師の証しであるかのように、」「説いた学者もいた。」

 氏の説明を読んでいますと、当時も今も、反日・左翼学者や文化人と呼ばれる人々が、何も変わっていないことが、分かります。現在は、「道徳教育」でなく、「自主憲法制定 ( 憲法改正 ) 」が、彼らの敵になっています。

 こういう学者は「東大社会科学研究所」や、「日本学術会議」の中で育てられるのですから、菅総理が任命拒否して当然です。しかしその理由が、公言できないところを見ますと、まだ日本の政治は、戦後を引きずっています。というより、悪化しているのではないでしょうか。

 昭和33年当時は、菱村氏のような官僚がいましたが、現在はつい先日まで、文科省のトップに、反日・左翼の前川喜平氏がいました。過激派というだけでなく、馬鹿な学生というべきシールズのデモに、現職のまま参加したというのですから、文科省の劣化には驚くしかありません。

 「日教組の反対運動は、教育課程の国家基準である、」「学習指導要領に対し、全面的な反対運動を展開した。」「これには、進歩的学者による理論武装の支援が、」「大きく寄与している。」「中でも、東大の宗像誠也教授の、『内的外的峻別論』は、」「一時、教育界で随分はやった。」

 「氏の理論は、教育を外的事項 ( 校舎や設備 ) と、」「内的事項 ( 教育内容や方法 ) に分け、」「教育行政の任務は、外的事項の整備に限られるべきで、」「内的事項には、及ばないというものである。」

 「その論拠として、教育基本法10条第2項の規定をあげ、」「学習指導要領は、法令違反だと主張した。」「宗像説は、昭和30年代、40年代を通じ、」「日教組の反対運動と、教育裁判を支える理論として、」「広く援用された。」

 私は、宗像教授の名前を初めて知りましたが、こういう反日教授は今もいて、学界で幅を利かせ、マスコミでもてはやされています。変わらない、日本です。

 「ともあれ宗像説は、法律論としては極めて特殊な解釈論であった。」「事実宗像説は、昭和51年の最高裁判決で否定された。」「このように法律論争は決着したが、その後も日教組内では、」「宗像説を発展させた教育論が、強調され、」「現場ではそれなりに影響力を持った。」

 反日・左翼学者の理論は、いわば「武漢コロナ」にも似て、撲滅しようとしても、しつこく生き残り、社会に害をなします。権威に弱い人間が簡単に騙され、それをまた悪用する活動家と、マスコミがいるからです。

 「学習指導要領の法律論争は、教育の実践には、」「おそらく、何の意味もなかったと思う。」「むしろ、害のみ多かったのではないか。」「すぐれて教育的な問題を、法律用語や法の理論で議論せざるを得なかったことは、」「教育には、不幸なことだった。」

 感情的にならず、抑制した言葉で叙述する氏を見ていますと、口堅く忍耐強い、官僚の見本でないかと、思わされます。私なら、とてもこのように、穏やかな文章は書けません。

 「日教組の路線転換により、教育の視点から、」「本当に学習指導要領が、議論されるようになれば、」「日本の教育のためには、慶賀すべきことである。」

 次回は、鷲山氏の意見を紹介いたします。生涯を日教組と戦った教師ですから、菱山氏のように、冷静ではありません。スペースの都合で、一旦ここで一区切りといたします。

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