読後の図書は、毎月一回の、小学校の有価物回収ゴミの日に、本、新聞、段ボールと区別して、所定の場所に出します。鷲野氏の著書も、回収日が来たら無くなるところでしたが、幸いまだありました。
24ページから、36ページにかけて、「偽善者・日教組」という章があります。その一部を転記し、菱村氏の意見と比較すると、当時の様子がさらによく分かります。
「日教組は、平成7年9月の定期大会から、」「文部省との、協調路線を取ったという。」「本当か。考えられないことである。」「社会党が社民党に名を変え、自民党に接近するや否や、」「恥も外聞も見事に捨て、自民党の袖にしがみついている。」「その姿は以前の蛮行より、もっとみっともない醜態である。」「政治集団の末路を、露呈した。」
激しく批判していますが、おそらくこれが、当時の受け止め方ではなかったのかと、思います。鷲野氏の批判は、感情のままになされていますが、村山内閣による路線変更は、こういうところに影響を及ぼしていたのです。
「貴方たちは今、自民党と手を取り合っているようですが、」「私どもは決して、今までの日教組の行動を、」「忘れたわけではありません。」「それはまず貴方たちが、教育界にエゴを持ち込んだことである。」
「自分たちの私利私欲を優先し、言い分が通らなければ、」「手段を選ばず、ストに訴えるという、」「蛮行を繰り返した。」「その卑劣な態度を、国民は知っている。」
「そして今、それについて誰一人責任を取ろうとしない。」「良識ある国民が、苦々しくそれを見ていることを、」「忘れるべきではない。」「結局、最初から信念のない人たちだったかと、」「あきれ返る。」
平成7年頃の私は、まだ朝日新聞の定期購読者で、政治に無関心なサラリーマンでしたから、氏のように大きな怒りはありません。政府が強権を持っているのだから、労働組合も日教組も、共産党同様必要悪なのだろうと、その程度の認識でした。定年退職後、「温故知新の読書」で過去の自分から脱しましたが、以前を考えると、「お花畑の住民」たちを、笑えない己がいます。
「今子供たちが、わがままを言って困っているが、」「よく考えなさい。」「そのわがままの原型を作ったのは、貴方たちだ。」「教室に行っても、ストで先生がいない。」「子供を捨てたも、同然と言える。」「そうされた子が親になり、その親たちの子供が、今教室にいる。」
日教組の組合員が減り、組合が弱くなった理由を、氏が二つあげています。
1. ソ連が崩壊したこと
社会主義国家、共産主義国家が無力化したため、イデオロギー闘争の名目がなくなった。
2. 日本が経済的に豊かになったこと
賃金闘争に対する世間の目が、冷ややかになった。
だから彼らは、目標がなくなり、宙に浮いた状態になっていると氏は分析し、組合員だった教師が、今はどのようなことを言っているのかを、教えてくれます。
「国歌、国旗にしても、そう目くじらを立てて反対することもない。」「道徳教育も、やれと言われれば、仕方がないだろう。」
考えられない豹変ぶりに、氏は彼らを卑怯者と呼び、許せない偽善と批判します。生涯を日教組と戦ってきた氏は、職場で孤立し、攻撃され、無視されてきたので、おいそれとは容認できない「路線変更」でした。
「彼らは、都合により豹変する。」「この後、またどのように豹変するか分からない。」「こんな烏合の集団に、日本の教育を任せることはできない。」
だから、結びの言葉も、菱村氏とは違ったトーンになります。
「教育を任せられるのは、文部省でもない。」「日教組でもない。」「任せられるのは、われわれ日本人の自覚しかない。」「それが今、芽生えつつある。」「時代が動いている。」「日本人は今、生まれ変わる時である。」
ここで再度、菱村氏の結びの言葉を転記し、読み比べますと、どちらの人物が、正しく現実を捉えているかが分かります。
「日教組の路線転換により、教育の視点から、」「本当に学習指導要領が、議論されるようになれば、」「日本の教育のためには、慶賀すべきことである。」
鷲野氏は、日教組への怒りの大きさの反動で、日本人の自覚が進み、多くの人が目覚めるのだと、希望的意見に傾いています。菱村氏はむしろ冷ややかで、「やれるものなら、やれば良い。」「そうなれば、結構なことだ。」と、突き放して見ています。
私自身は、どちらの意見にも一面の事実があり、双方の見方が必要だと思っています。本の出版後24年経ちますが、反日・左翼野党は健在ですし、反日・左翼学者もマスコミも、大きな顔をしています。これを見れば、楽観視しない菱村氏の意見が、正しく見えます。しかし、それでは現状肯定のままになりますから、鷲野氏のような、楽観的希望が必要になります。
GHQが残した「トロイの木馬」を、そのままにしていてはなりません。鷲野氏のように、「日本人の自覚」を信じ、動いている時代を信じることは大切です。息子たちと、「ねこ庭」を訪問された方々に、果たして参考になったのかどうか、不安もありますが、今回のテーマはここで終わります。