今回は、直接氏の文章を転記します。
「第二段階は、憲法9条の学習である。」「先ず9条を、まとめた。」「『戦争、武力による威嚇、武力の行使』を、『永久に放棄する』ことと、」「そのための、『陸海空軍、その他の戦力』は持たないことを確認する。」「これを『前文』と合わせると、日本は、」「戦争のために、軍隊は持たないことになるということになる・・とまとめる。」
「そして、次のように質問した。」「もし現実の問題として、他国に侵略されたとしたら、どういう態度が考えられるか。」
生徒たちは、近くの者同士で話し合いながら、三つの態度を考え出します。
1. あきらめる。
2. 個人で抵抗する。( 国の交戦権は認められていないが、個人の抵抗権は禁止していない )
3. 侵略されることなど、ありえない。
つぎに氏は、生徒が考えた三つの立場につき、さらに考えさせます。
1. あきらめる。・・・・自分が死んだり、家族が死ぬことを覚悟しなければらない。
2. 個人で抵抗する。・・・・そのためには前もって武器を持ち、訓練しておかねばならない。それは憲法のもとで、可能なのか。それなら、軍隊を持った方が、有効ではないのか。
3. 侵略されることなど、ありえない。・・・・こちらがいくら、諸国民の公正と信義を信頼したとしても、相手が応えてくれないことがあるのではないか。
ここまでで、氏の叙述の三分の一です。問題提起の仕方、説明の仕方、言葉の使い方など、国を思う私から見ますと、切歯扼腕の授業と言うしかありません。憲法の授業が、語句の解釈で終わるのなら、それこそ時間の無駄です。「アメリカが作った憲法で、翻訳文のため、日本語になっていない」と、知っているのなら、氏が生徒に教えるべきことは、次の二つです。
1. 敗戦国の憲法を、勝利した国が勝手に作ることは、国際法違反であること。
2. それなのに、なぜアメリカは、日本の憲法を自分たちで作ったのか。
次に教えるべきことは、次の三つです。
1. 普通の国は、自分の国を守る軍を持っている。自分の国を、自分で守れない国は、世界では独立国とみなれさない。
2. 日本と同じように敗戦国となったドイツは、なぜ自国を守る軍を持っているのか。
3. この不安定な国際社会の中で、なぜ日本だけが、軍を持てなくされたのか。
「日本国憲法」を議論させるのなら、こうした国際情勢を説明しなくては、意味がありません。生徒を本気にさせ、生きた勉強をさせたいと考えるのなら、教師は職を賭して挑まなければなりません。ここまで踏み込む勇気がなく、単に字面を追うだけの授業なら、「百害あって一利なし」です。
「自分が死んだり、家族が死ぬことを覚悟しなければらない。」という生徒に対しては、きちんと説明しなければなりません。「単に死ぬのではない、武器を持った敵に、なぶり殺しにされるのだ。」と、事実を語らなくてどうするのでしょう。母や姉や妹が、自分の目の前で暴行され、惨殺されても、君たちは諦められるのだろうかと、そこまでいうのが、本物の授業です。
「個人で抵抗することは、憲法のもとで、可能なのか。」と、疑問を持つ生徒に対しては、目の前で家族が殺されているときに、そんなことを考える人間が、果たして世界にいるのかと、問いかけなくてなりません。野ネズミの母親でさえ、子供を守る時は、命がけで狐やワシと戦うでないかと、説明すべきです。生死がかかっている緊急時に、憲法など無視しても良いと、私ならそう教えます。
「侵略されることなど、ありえない。」という生徒に対しては、国際社会の非情さを説明しなくてなりません。「こちらがいくら、諸国民の公正と信義を信頼したとしても、相手が応えてくれないことがあるのではないか。」・・・こんな中途半端な、答えにもならない意見を、黙って受け入れるなど、とんでもありません。生徒に原因があるのでなく、問いかける教師の意識の低さと、まとめる力のない無能さを感じるだけです。
これでは「生徒は皆、ダラーっと生きている」と、そういう批判はできません。こんな中身のない授業を、恥ずかしいと思わず、著作で紹介する神経が、私には理解できません。生徒ばかりでなく、「氏もダラーっと生きている」と、私には見えます。
それでも、こうした授業について知るのは、私には重要です。いかに、学校の授業が時間の空費であるかを、肝に銘じるため、忍耐の心で次回を続けます。