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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

学校崩壊 - 6 ( 憲法9条の授業 )

2020-11-01 20:51:53 | 徒然の記

 今回は、直接氏の文章を転記します。

 「第二段階は、憲法9条の学習である。」「先ず9条を、まとめた。」「『戦争、武力による威嚇、武力の行使』を、『永久に放棄する』ことと、」「そのための、『陸海空軍、その他の戦力』は持たないことを確認する。」「これを『前文』と合わせると、日本は、」「戦争のために、軍隊は持たないことになるということになる・・とまとめる。」

 「そして、次のように質問した。」「もし現実の問題として、他国に侵略されたとしたら、どういう態度が考えられるか。」

 生徒たちは、近くの者同士で話し合いながら、三つの態度を考え出します。

 1. あきらめる。

 2. 個人で抵抗する。( 国の交戦権は認められていないが、個人の抵抗権は禁止していない ) 

 3. 侵略されることなど、ありえない。

 つぎに氏は、生徒が考えた三つの立場につき、さらに考えさせます。

 1. あきらめる。・・・・自分が死んだり、家族が死ぬことを覚悟しなければらない。

 2. 個人で抵抗する。・・・・そのためには前もって武器を持ち、訓練しておかねばならない。それは憲法のもとで、可能なのか。それなら、軍隊を持った方が、有効ではないのか。

 3. 侵略されることなど、ありえない。・・・・こちらがいくら、諸国民の公正と信義を信頼したとしても、相手が応えてくれないことがあるのではないか。

 ここまでで、氏の叙述の三分の一です。問題提起の仕方、説明の仕方、言葉の使い方など、国を思う私から見ますと、切歯扼腕の授業と言うしかありません。憲法の授業が、語句の解釈で終わるのなら、それこそ時間の無駄です。「アメリカが作った憲法で、翻訳文のため、日本語になっていない」と、知っているのなら、氏が生徒に教えるべきことは、次の二つです。

 1. 敗戦国の憲法を、勝利した国が勝手に作ることは、国際法違反であること。

 2. それなのに、なぜアメリカは、日本の憲法を自分たちで作ったのか。

 次に教えるべきことは、次の三つです。

 1. 普通の国は、自分の国を守る軍を持っている。自分の国を、自分で守れない国は、世界では独立国とみなれさない。

 2. 日本と同じように敗戦国となったドイツは、なぜ自国を守る軍を持っているのか。

 3. この不安定な国際社会の中で、なぜ日本だけが、軍を持てなくされたのか。

 「日本国憲法」を議論させるのなら、こうした国際情勢を説明しなくては、意味がありません。生徒を本気にさせ、生きた勉強をさせたいと考えるのなら、教師は職を賭して挑まなければなりません。ここまで踏み込む勇気がなく、単に字面を追うだけの授業なら、「百害あって一利なし」です。

 「自分が死んだり、家族が死ぬことを覚悟しなければらない。」という生徒に対しては、きちんと説明しなければなりません。「単に死ぬのではない、武器を持った敵に、なぶり殺しにされるのだ。」と、事実を語らなくてどうするのでしょう。母や姉や妹が、自分の目の前で暴行され、惨殺されても、君たちは諦められるのだろうかと、そこまでいうのが、本物の授業です。

 「個人で抵抗することは、憲法のもとで、可能なのか。」と、疑問を持つ生徒に対しては、目の前で家族が殺されているときに、そんなことを考える人間が、果たして世界にいるのかと、問いかけなくてなりません。野ネズミの母親でさえ、子供を守る時は、命がけで狐やワシと戦うでないかと、説明すべきです。生死がかかっている緊急時に、憲法など無視しても良いと、私ならそう教えます。

 「侵略されることなど、ありえない。」という生徒に対しては、国際社会の非情さを説明しなくてなりません。「こちらがいくら、諸国民の公正と信義を信頼したとしても、相手が応えてくれないことがあるのではないか。」・・・こんな中途半端な、答えにもならない意見を、黙って受け入れるなど、とんでもありません。生徒に原因があるのでなく、問いかける教師の意識の低さと、まとめる力のない無能さを感じるだけです。

 これでは「生徒は皆、ダラーっと生きている」と、そういう批判はできません。こんな中身のない授業を、恥ずかしいと思わず、著作で紹介する神経が、私には理解できません。生徒ばかりでなく、「氏もダラーっと生きている」と、私には見えます。

 それでも、こうした授業について知るのは、私には重要です。いかに、学校の授業が時間の空費であるかを、肝に銘じるため、忍耐の心で次回を続けます。

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学校崩壊 - 5  ( 憲法の授業 )

2020-11-01 14:13:58 | 徒然の記

 99ページです。とても興味深い叙述が、ありました。長くなりますが、私には無視できない、貴重な事実なので、省略せずに紹介いたします。

 「例えば、一学期に行った憲法学習を、」「例にとって説明しよう。」「まず憲法というものは、どういうものかということを、生徒に説明した後、」「『前文』の学習に入った。」「まず、読みである。」「一回お手本で、私が読む。」

 学校で憲法を教えていたと知るのは、初めてです。氏がどのように、生徒に説明しているのか、興味津々でした。

 「次に、ほとんど仮名を振ってあるので、当然読めるから、」「なるべく大きな声を出して、3回読ませ、」「読み終わったら、手を上げろという。」「私は椅子に座って待っている。」「生徒たちは、声を出して読み始める。」「40人のうち、30人くらい手が上がったら、」「一応そこで、おしまいにする。」「遅い生徒もいるが、時間の制約があるので、先に進む。」

 学校で教えているということは、生徒の手にわたる教科書があるということですから、これも初めて知りました。この戦後最大の悪法を、教師たちはどのように、生徒に伝えているのでしょう。

 「次に私の方で、全体を4つの段落に区切り、」「それにA、B、C、Dと、記号をつけさせ、要約に入った。」「中学生には、憲法の『前文』は難解である。」「いや、大人にとっても理解しにくい文章だ。」

 「そこで大胆に、書き換えてみることにした。」「そしてそれぞれの段落で、一番大切だと思つたところ、」「言葉でも、文章の一部でもいいから、そこに線を引けと言った。」

 「順番に、線を引いた部分を生徒に言わせ、黒板に書いていく。」「後は、黒板に書かれたもののうち、何が一番大事かということを、」「みんなで決めていくのである。」

 「例えば、Aの段落では、『正当に選挙された、国会における代表者を通じて行動』、」「『戦争の戦禍が、起こることのないようにする』、『主権は国民に存する』などが出された。」

 「同じようににB、C、Dとやり、そのあとで、似た内容の部分をまとめて、」「それぞれにタイトルをつけさせると、」「『国民主権』『平和主義』『戦争放棄』『国際貢献』『他国との関係』となった。」「これだけで、2時間かかった。」

 「私はこの後、宿題を出した。」「憲法前文は、繰り返しも多いし、言葉が難しいということがあるから、」「なるべく自分の言葉で、書き直すというテーマである。」

 東京裁判史観の一番中心となる思想が、前文に集約されています。「日本だけが間違った戦争をした。」「日本だけが悪い戦争をした。」という思想が、条文の中に隠されていますが、どうやら氏は、ここには注目していないようです。

 「日本の憲法は、実際には、アメリカが作った英文を、」「翻訳したものが中心となっているから、難しいのは致し方ない。」「日本語の文章になっていないのである。」「だからこれを、自分の言葉でわかるように書いてみることが、目的である。」

 『仏作って魂を入れず』という言葉があります。この授業内容を読んでいますと、実感させられました。授業の目的が、本末転倒しています。氏がここで生徒に教えなくてならなかったのは、「日本の憲法がアメリカによって作られたこと」と、「翻訳文だから、日本語の文章になっていないこと」の、二つです。そこを説明せず、ただ書き直して来いというのでは、教師失格です。

 韓国人のように、アメリカを憎めとか、許してはならないとか、そんな偏見を煽るのでなく、敗戦の結果としてこのようになったと、事実だけを教えれば良いのです。中学生だった自分を思い返しますと、氏が断定するほど、クラスの仲間はグータラでありませんでしたから、憲法の背景を説明されれば、もっと真剣に考えていたはずです。

 「次の時間には、生徒の宿題を集めて、」「自分の言葉でわかりやすく書いているものを、いくつか読んで、」「終わりにした。」「かなりたくさんの生徒が、自分の言葉で書いており、」「第一段階は、合格と言っていい。」

 氏が懸命に批判している、学校教育に持ち込まれた「個人の自由」「個人の権利」「個人の平等」と言う思想は、「日本国憲法」に端を発しています。憲法はアメリカが作ったから、日本語になっていないと、雑学は知っていても、肝心のところは語りません。もしかすると氏は、知識だけ豊富な、魂の抜けた元東大生の仲間なのでしょうか。

 憲法の授業、第一段階が終わりましたので、次回は、第二段階を紹介いたします。

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学校崩壊 - 4 ( マスコミと保護者への反論 )

2020-11-01 07:42:21 | 徒然の記

 今回は、「マスコミの糾弾」に対する、氏の最後の反論です。

7. 校則・体罰・管理教育が、いじめを生み出すのだ。

 「この10年、学校は激しく叩かれ続けてきた。」「校則・体罰・管理教育と、教師が強制すること、」「押し付けることは悪であると、攻撃され続けてきた。」「自由に伸び伸びと育てれば、子どもは自然に良くなると言う信仰が、大勢となり、」「教育は大きく後退していった。」

 「生徒も教師も、同じ人間である。」「個人の自由と人権を尊重するのが、最も大切なことだと言う世論が、」「支配的になった。」「その結果、生徒は教師の言うことを聞かなくなり、」「学校が街中と同じになり、なんでもありの状態になっていった。」「やりたいことは、なんでもやっていいと言うことなら、」「いじめだけを例外にすることなど、出来はしない。」

 私はこの意見を、興味深く読みました。荒れる生徒と格闘している教師の、切実な本音を聞かされる気がしたからです。氏が懸命に批判しているのは、学校教育に持ち込まれた「個人の自由」「個人の権利」「個人の平等」と言う思想です。

 学校は勉強する場所であり、生徒を教育する場であると、氏は考えています。もともと勉強は楽しいものでなく、教えられているのは、社会の一員として、人が生きていくための知識なので、強制してでも伝えなくてならない。従って生徒と教師は、平等の人間関係にあるのでなく、教える者と教えられる者という、上下関係が重要だと、これが氏の信念ともいうべきものです。

 「だから、自由・伸び伸び派の教師のクラスは、」「えてして混乱し、生徒の顔は暗くなり、」「陰湿ないじめが、はびこることとなる。」「逆にクラスをきちんと管理し、生徒の動きに目を配り、」「口やかましい教師のクラスの方が、いじめがエスカレートしないという、現実がある。」

 「学校は教育の場だから、" 力  " は必要ないというのが、」「根強い世論である。」「しかし、学校で教育が行われるためには、教師と生徒の関係、」「つまり教師の言うことを、生徒が聞くと言う関係が、成立していなければならない。」「うるさい生徒を注意して、静かにさせなければ、授業などできないのである。」

 「しかし前にも触れたように、この " 力  " は、」「親や地域社会の支持があって、初めて発揮されるもので、」「その後ろ盾を失った今、学校から、この " 力  "が、 」「消えつつあるのである。」「いじめをエスカレートさせないために、教師の力を発揮させたいと思うのなら、」「基本的な " 力 " を教師に与え、それを支持しなければならないのだ。」

 私は氏の苦労を理解し、氏の訴えに同意します。しかしやはり、全面的に共感できないものが、依然として残ります。

 「これまでのような学校叩きが続く限り、教師がいじめのエスカレートを抑えることなど、」「不可能である。」「もし教師が、激しいいじめ ( 恐喝・暴行  ) を抑えることができない場合、」「学校で処理できないことをハッキリ認め、警察なり、親なりに任せることが大切だ。」「子供の世界は、危機的的状況にある。」「教師がメンツにとらわれているほど、楽観的な事態ではないのだ。」

 学校に警察を入れたら、まずもってマスコミが大騒ぎします。「生徒を犯罪者扱いするのか。」「教師の使命を放棄するのか。」「それでも教育者なのか。」と、新聞やテレビが批判し、物分かりの良い有識者と称する学者や評論家が、厳しい批判を述べることでしょう。

 だから勇気のある氏の意見は、悩み苦しんでいる多くの教師たちから、賛同されたのでしょう。それほど現在の学校が乱れており、教師にとっても、生徒たち以上に「苦の世界」になっていると言う現実を、教えられました。

 当然の帰結として、これ以後氏の批判の矛先は、教師の " 力 " を否定するマスコミと、親たちに向けられていきます。目次を見ますと、それがよく分かりますので、一部分ですが、紹介します。

 ・「保護者会に見る、この親にしてこの子あり」

 ・「子供を、学校をダメにする母親パワー」

 ・「父性の力こそが、学校を支える。」

 ・「マスコミによる、体罰と拘束への批判」

 ・「マスコミによる、不登校といじめへの批判」

 ・「マスコミによる、管理教育への批判」

 ・「マスコミによる、新たな学校叩き、教師叩き」

 ・「NHKの報道番組『広がる学級崩壊』を批判する

 最後まで読みましたが、残念ながら氏は、学校教育崩壊の、根本原因にまで行きついていません。敗戦後にGHQが残した、三つの「トロイの木馬」の認識に行き着かず、途中で終わっています。

 学校を叩くマスコミは批判しますが、そこに登場する反日・左翼学者の意見には言及しません。さらに学者たちの理論の根拠が、「日本国憲法」にあることにも言及しません。学校をダメにする母親など、私に言わせれば、「トロイの木馬」たちに作られた、「お花畑の住民」に過ぎません。現場の教師たちにとっては、手に負えないモンスターなのでしょうが、本当の敵は「トロイの木馬」なのです。歯止めのない、「個人の自由」「個人の権利」「個人の平等」を、日本の学校に持ち込んだ彼らなのです。

 元東大生ですから、もしかすると氏は、全て分かった上で、言及を避けているのかもしれません。本気で「トロイの木馬」について書けば、出版社が忌避するでしょうし、氏もまた学校におれなくなります。氏の立ち位置が、私には最後まで分かりませんでしたが、息子たちや、「ねこ庭」を訪問される方々に、今少し報告したい内容がありますので、最後までおつき合いください。

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