5番目は、教育現場への工作結果の報告です。この時点では既に日教組は、社会党に指導される日教組と、共産党が指導する全教の二つに分裂しています。
《 5. 教育現場での、攻撃的戦いを続ける 》
「つぎに、教育現場での問題ですが、私は、現場で、」「『日の丸・君が代』の押しつけに反対する戦いにとっても、」「新しい条件が生まれてきた、と思います。」「それだけに、この新しい条件をつかんで、積極的な戦いを進めてゆくことが、いよいよ重大になっています。」
「新しい条件の一つは、政府自身が、」「『日の丸・君が代』に、法的根拠がないことを認めたことです。」「彼らの思惑としては、法的根拠がないままの押しつけには無理があるから、」「法制化で、もっと苦労なしに押しつけられるようにしよう、というのでしょう。」「しかし、少なくとも現在の時点では、法的根拠がないことを認めたわけですから、」「それなら、根拠もなしにどうして「学習指導要領」で押しつけてくるのか、」「ということが、いやおうなしに避けられない矛盾となってきます。」
「第二に、教育現場に、国旗・国歌を義務づけることの是非という問題へ、」「新たに、社会的な関心が広く向けられるようになったことです。」「自民党自身の中でさえ、議論してみると、」「義務づけをやっていいのかどうかということが、改めて問題になってきます。」「法制化を言い出した、野中官房長官自身が、」「法律での義務づけには賛成しないと言い、なぜかと聞かれると、」「法律で強制すべきものではないからだ、と答える。」「それを文部省が強制しているというのは、政府自身内での、収拾のつかない自己矛盾です。」
私は一連の不破氏の説明を、強い関心を持って再読しています。「自主憲法制定」に反対する共産党が、「トロイの木馬」を利用し、長年にわたり、他の野党と共に、同様の動きをしていると考えるからです。「自主憲法制定」こそが、戦後最大の課題であり、これが実現すれば、忌まわしい「東京裁史観」と「自虐史観」から、私たち国民が解放される一歩が、始まります。
自分の国を自分で守る、普通の国へ戻るのですから、国内にある多くの米軍基地も、不要になります。沖縄の基地も縮小されるでしょうし、代わりに日本が守りにつきます。現在の国際情勢を考えれば、ことは一気に進められませんが、米国と調整しつつ、米軍基地縮小の道が開けます。
赤旗の記事を最初に読んだ時は、まだ読み落としがあったのか、野中官房長官が、採決間際になり反対に回ったとは気づきませんでした。。やはり氏は、共産党に取り込まれたでしょうか。それとも、加藤紘一、古賀誠、という党首脳の懐柔策に膝を屈したのでしょうか。
「またそういう目で、世界の実情などを調べてみると、」「『学習指導要領』での義務づけが、戦時の教育統制の遺産だという性格が、」「浮きぼりになってくる。」
ここまで不破氏が「学習指導要領」を、何度も批判しているのを知りますと、先日読んだ菱村幸彦氏の著書、『学校は変われるか』( 平成8年刊 )を思い出します。「学習指導要領」に言葉を書き込めば、役人の仕事が終わるのかと、批判しましたが、言葉を書き込むだけでも大変なのだと、分かりました。反日野党が難癖をつけ、自民党内の反日勢力が妨害するのですから、氏が著作で強調したくなったはずです。
「第三に、『日の丸・君が代』が国旗・国歌としてふさわしいのか、」「こういう議論が、タブーなしに、」「公然と議論される条件が、強まってきたことです。」「これが、たいへん大きな社会的変化であることは、先ほど詳しく紹介しました。」
「こういう条件が進んでいきますと、いままで教育現場では、」「戦いをささえる社会的背景が、十分にない中での個々の抵抗闘争、」「という性格が強かったのですが、これからは、もっと広い国民的な討論を背景に、」「『学習指導要領』による強制という、政府・自民党の無法な押しつけ路線を打ち破る戦いに、」「あらたな展望が、出てきたと思います。」
法律がない事実を政府が認めたことになるから、国旗・国歌を学校に押しつけている行為は無法と、公然と言えるようになったと、不破氏が強調しています。政府の説明の言葉尻を捉え、政争の具として使い、学者とマスコミを利用して世間に拡散する・・・これはもうすでに、「自主憲法制定」への反対運動でも使われている手法です。息子たちが、こうした反日・左翼勢力の巧妙なやり方に、気づいてくれるのかどうか、私の思いはここに集中します。
「この条件をどう生かしてゆくか、ということは、」「それぞれの現場の問題であり、組合組織の問題ですが、」「そういう新しい条件を踏まえて、従来とかく受け身的になったり、」「あるいは、個々の闘争にとどまりがちだったこの分野で、」「国民的な背景をもって、攻勢に転じる、」「こういう取り組みが大事ではないか。」「そういう位置づけでの、積極的な取り組みを検討して欲しい、と思います。」
新しい条件が生まれたのだからもっと頑張れと、氏は、教育現場にいる教師たちを、叱咤激励します。
「攻勢的というのは、教育現場だけでなく、この問題の全体にいえることです。」「私たちの提唱は、政府・自民党にとっては、」「実は、いちばん痛いものだったと思います。」「彼らは、この問題を正面から議論すると、自分たちに分がないことを知っているから、」「問答無用方式で、ずっときていたのです。」「今度、法制化の方針をうちだしてからも、」「マスコミに早くも、弱気になった、と書かれるような状況が、」「出ています。」
「問題が、国民的な討論の場に移れば移るほど、」「政府・自民党に道理がないことが、明らかになってきます。」
新聞やテレビ各社と、著名な学者たちが、現場の教師たちを応援しているのだと、言外に語っています。「国民的」と、彼らが使う時、それは、マスコミの報道が騒々しくなっていることを指します。世論が高まっているのではなく、「トロイの木馬」たちが、国民煽動のために騒いでいるのだと、今の私たちには分かります。
この時の、日教組の組織率が何%だったのか忘れましたが、文科省の調査によりますと、令和2年現在の、日教組の組織率は21.7%で、新規採用教職者の加入率は18.1%です。この数字が示しているのは、現場の先生たちの「目覚め」ではないでしょうか。愛国心のない共産党に、言われるまま動いていたら、ますます学校が混乱し、子供たちがダメになると、多くの先生が気づいた結果でないかと、そう思います。
「私たちが、国旗・国歌問題について、」「今の日本にふさわしい、国民的な解決策を堂々としめしながら、」「現在の無法な押しつけに対して、これまで以上の攻勢的な追及、告発をおこない、」「国民的な対話と討論、合意形成の運動の先頭にたつ、この活動が、」「きわめて重大な、歴史的な意味をもってきています。」「そういう展望と意気込みで、取り組んで欲しいということを、」「最後にかさねて強調して、報告を終わるものです。」