「確かに東京に住んでいると、周りに外国人が多くなったのを痛感する。」「街角でも、地下鉄でも、スーパーでも、」「英語はもちろん、中国語、韓国語、ベトナム語、アラビア語など、」「実に様々な言葉を、耳にする。」
「おそらくこれは、東京だけに特有なことではないと思う。」「今や日本の、かなりの地域で見られる現象ではなかろうか。」
書き出しの部分の叙述です。平成7、8年の頃、私にはまだ、外国人が増えたという実感はなかった気がします。この年がどんな時であったのか、ネットで調べてみました。
・内閣総理大臣 村山富市 ( 日本社会党 )
・内閣官房長官 五十嵐広三 ( 日本社会党 )、 野坂浩賢 ( 日本社会党 )
・衆議院議長 土井たか子 ( 日本社会党 )
・参議院議長 原文兵衛(自由民主党)
しかし村山氏は、平成7年の1月に突然辞任表明し、橋本内閣が発足しています。「10大ニュース」の項目を見ますと、次のような出来事がありました。
- 1位・阪神大震災
- 2位・オウム真理教による地下鉄サリン事件
- 3位・不良債権で住専やコスモ、木津、兵銀など金融機関の破綻相次ぐ
- 4位・大和銀が巨額損失、米当局の追放措置で住友銀との合併浮上
- 5位・沖縄の少女暴行事件で基地問題紛糾
- 6位・統一地方選で青島・ノック「無党派知事」誕生
- 7位・景気低迷で就職難続く
バブル経済崩壊後で、景気が低迷し、細川、羽田、村山と、短命内閣が続き、暗い世相だったことを、思い出しました。外国人が多くなった話より、地下鉄サリン事件を起こした、オーム教団本部の大捜索の方が、大きな事件でした。教団の責任者が次々と逮捕され、刺殺された幹部もいました。警察庁長官まで狙撃され、犯人は不明のままで、事件は迷宮入りです。
騒々しく不穏な世であっても、教育の国際化を考えていたと言うのですから、氏は根っからの文部官僚なのでしょうか。
「国際化の中心が、人の交流だとすれば、国際化への対応は、」「結局、外国の人々と、どううまくつき合って行くか、」「ということになる。」「気質や習慣や、文化などの異なる、」「多様なもの、異質なものを、どう違和感なしに受け入れて行くか、」「ということである。」
当時はまだ、韓国が慰安婦問題で騒がず、靖国問題で中国が難癖をつけていなかったのか・・・そんなことはありません。東京裁判史観を信じる村山首相が、「日本だけが間違った戦争をしました」と、平身低頭した「村山談話」が出されています。世の風潮が、「日本だけが悪い戦争をした」という思考に流されていたとはいえ、隣国である韓国と中国に対し、多くの日本人は嫌悪感を抱いていたはずです。
受け入れられない気質や思考を持つ、隣国の攻撃が現にあるというのに、氏はなぜ、このような一般論で終始できるのか・・疑問を覚えました。
「多様なもの、異質なものを、どう違和感なしに受け入れて行くか、」「ということである。」
こういう姿勢で、教育の国際化を進めて行くことが、本当に正しいのか・・。私は、そう思いません。国際社会には、対立する思想があり、相容れない人々がいるという事実を、同時に教え、それを克服する知恵を授けるのが、教育でないかと考えます。中国や韓国のように、政府が率先し反日教育をしている時、それでも「違和感なしに受け入れなさい」という意味は、何なのでしょう。
「すみません、すみません、私たちが間違っていました」と、村山氏のように謝罪しなさいと、そう言っているのでしょうか。子供たちにそのような教育をすることが、「国際化」なのでしょうか。
「これから、国際化はいよいよ進むであろう。」「21世紀に生きる子供たちには、国際化に十分対応できる力を、」「育成しなければならない。」「そのために大切なことは、自国の文化や伝統をしっかり身につけさせ、」「日本人としてのアイデンティティーを、確立させることであろう。」
氏の頭の中には、韓国と中国は、国際社会に含まれていないのでしょうか。私たち日本人を憎み、敵視している政府と国民がすぐ隣にいて、盛んに脅したり、攻撃したりしているのに、なぜ何も言及しないのでしょう。現在133ページですが、空疎な意見としか受け取れなくなりました。
氏はここで、昭和49年の中央教育審議会で出された「答申」を説明します。
「わが国が国際社会の一員として、積極的にその義務と責任を果たすためには、」「国民一人一人が、日本及び諸外国の、」「文化・伝統について、深い理解を持ち、」「国際社会において、信頼と尊敬を受ける、」「能力と態度を身につけた日本人として、育成されることが、」「基本的な課題である。」
豊富な知識を持ち、何でも理解し分析する頭脳を持ちながら、氏はなぜこのような建前論に終始し、日本の教育を語ろうとするのでしょう。
「おそらく海外で活躍している、多くの日本人は、」「このことの必要性を、常に痛感しているのではないだろうか。」
氏は教育審議会の答申を、高く評価します。こうなりますと、素朴な疑問が湧いて来ます。果たして氏と自分は、同じ日本人なのだろうか・・。
GHQが残した「憲法」によって、日本は戦前の全てを否定されました。歴史も文化も、伝統も、戦前のものは全て封建的で、旧弊で、国民を縛るだけの間違ったものばかりだったと、憲法が宣言しています。そんな憲法で育てられた戦後の若者たちに向かい、一体氏は、本気で語っているのでしょうか。
この部分は単純ですが、とても大事なことであると、私は信じます。スペースがなくなりましたので、疑問を共有する方がおられたら、次回の「ねこ庭」へ足をお運びください。そして、私の思い違いに気づかれたら、どうかご指導ください。