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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日本の教師に伝えたいこと - 2 ( 単元学習の目的 )

2020-11-05 19:27:07 | 徒然の記

 大村氏は、全編を通じて、「教師に求めること」を述べています。大抵は、「単元授業」の進め方に関する、細かな注文ですが、22ページには、基本的な事項が述べられています。

 氏の思考の一端を知る意見として、紹介します。

 「大人として、子供を可愛いと思うのは、ごく当たり前のこと。」「それから、どんな仕事をするにも、熱意は必要です。」「ですから、愛情とか熱意とかは、ごく当たり前のこと。」「いい人であるということも、当たりの前のこと。」「別に、教師という専門職の、資格とは言えないでしょう。」

 「教師はやはり、学力をつける人、」「学力を養う技術を、持った人です。」「いい人だけでは、職業として成り立ちません。」「学校は、学力を養う専門の場所であり、」「教師はそこを職場とする、専門職であることを忘れないで、」「責任を、しっかり負っていただきたいと思います。」

 「良い人間を育てることは、家・学校・社会全体の仕事ですが、」「学力を養うことは、学校がその場です。」「その覚悟と、責任感を持っていたいと思います。」

 氏の著書を読んで、何となく分かることは、「単元学習の目的」でした。

  1. 正しく本を読むこと

  2. 正しく文章を書くこと

  3. 他人と、正しく会話をすること

 まだあるのでしょうが、私に読み取れたのはこの3つでした。問題は各目的の中にある、「正しく」という言葉の中身です。「正義」という言葉が、人間のよって立つ場所で異なるのと同様、「正しい」の意味も、人により異なります。

 簡単な例で言いますと、反日・左翼の人間にとって「正しい」意見は、中道・保守の人間には、往々にして「間違い」になります。こういう極端な例を言わなくても、気象の激しい人と、穏やかな人と、物に拘らない大雑把な人には、同じものが違って受け止められます。

 街中で騒いでいる子供たちを見た時の、反応を考えてみましょう。

 1. 気性の激しい人

   街中で騒ぐのは、うるさい。人の迷惑になるから、正しい行為ではない。

 2. 穏やかな人

   子供はみんな、騒々しいものだ。自分も子供の時はああだった。

 3. ものに拘らない、大雑把な人

   騒いでも、大人しくても、どっちだっていい。好きにさせとけばいい。

 これは単なる例で、考えれば、もっとい色々な意見が出るはずです。氏は自分の「単元学習」という視点から、「正しい」か「正しくない」かの判断をしています。氏のやり方をしない教師は、レベルの低い、専門意識のない人間として批評し、私には違和感があります。69ページにある、「話し合うこころ」という章から、一部分を紹介します。

 「教師は非常に気軽に、話し合ってごらんと言いますが、」「それでは、困るのではないか。」「話し合うということが、研究とか、学習とか、」「そういうことに使えるように、なっていないのではないかと、」「そう思うのです。」

 「本当に、いま話し合わなければいけないことを、」「心から、話し合う。」「みんなが、真実の言葉で話せるとか、」「他人の真実を導き出せるような、発言ができるとか、」「一人では、考えても行き着けなかったところへ、」「 2人だったら、3人だったら、15人だったら、」「思いがけない、一つの思想が生産されてくる。」「新しい世界が開てくる。」

 「そういう優れた話し合いが、なかなかできていないのではないでしょうか。」

 なるほどそういう考え方もあるのかと、うなづきますが、賛成はしません。真実と言う言葉にしましても、千差万別です。中学生の授業、それも限られた国語の時間に、なぜそこまで求めるのだろうと、逆に疑問を抱きます。

 「私は話し合いということが、ただ誰かと話していればいい、」「意見交換などということでなくて、」「一人で考えていては、開けてこない世界、」「話あってこそといった成果、それが産めるようになっていないと、」「それは民主的な国家の基盤を、崩すようなもの、という気がします。」

 例えば、親しい友人の家に遊びに行き、つい話が弾み、一晩中話し込んでしまった時には、真剣な会話の中に新しい発見をし、お互いが充実感を覚えるという経験があります。何度も言いますが、中学生の国語の時間は、せいぜい1時間です。その短い時間で、氏のような会話が生まれるのでしょうか。

 何日もかけてやるのだというのなら、中断された細切れの会話から、そういう高度な会話が完成するのでしょうか。いずれも、私の経験からは理解できない、氏の説明です。

 「それは民主的な国家の基盤を、崩すようなもの、という気がします。」・・この言葉の向こうに、私はむしろGHQの黒い影を感じます。GHQは、日本を良い国にするため占領していたのではありません。日本の文化や伝統を破壊し、歴史も否定するために、統治していました。その彼らが、学校教育についても、基本方針を変えるはずがないと、私は考えます。

 GHQが「民主的」という時、その反対側にあるのは、「封建的」という言葉です。彼らは日本に昔からあるものを、何にでも「封建的」と言うレッテルを貼り、容赦なく破壊しました。GHQに気に入られた氏が、ここで使っている「民主的な国家」というのは、おそらく「アメリカナイズされた日本」では、ないのでしょうか。

 私はきっと、自分で思っている以上に、心の曲がった人間なのかもしれず、どうしても氏の本が、そのまま受け止められません。氏の本の片隅に、時々そんな意見を見つけると、不愉快になりました。気をつけなければ、見過ごすくらいの意見なのですが、今の私は看過できなくなっています。氏のファンの方が、今も全国におられるのでしょうから、狭い心の人間と、私を笑われることでしょう。

 それも気にしないことにし、明日は、氏の間違った意見を紹介しようと思います。楽しい作業ではありませんが、間違った意見を放置しないというのは、息子たちのため大事なことです。

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日本の教師に伝えたいこと

2020-11-05 14:47:36 | 徒然の記

 大村はま氏著『日本の教師に伝えたいこと』( 平成 7年刊 筑摩書房 )を、読み終えました。

 氏は明治39年に生まれ、平成17年に99才で亡くなっています。私が知らないだけで、氏は日本の国語教師、国語教育研究家として著名な人物でした。ネットで調べた氏の経歴を、以下に転記します。

 ・ 昭和3年 東京女子大卒業後、長野県立諏訪高等女学校に勤務し、国語教育の実践的研究に取り組む

 ・ 昭和13年   東京府立第八高等女学校勤務

 ・ 昭和22年  東京都江東区立深川第一中学校勤務

 ・ 昭和24年  東京都目黒区立第八中学校

 ・ 昭和26年  東京都中央区立紅葉川中学校 ( 昭和26年9月 日本独立 )

 ・ 昭和31年  東京都中央区立文海中学校

 ・ 昭和35年  東京都大田区立石川台中学校

 ・ 昭和47年 「国語教育実践研究発表会」を開催

 ・ 昭和55年   3月31日にひっそりと退職。52年間、一教師であった

  経歴だけを見ますと、確かに、生涯一教師として過ごしているように見えます。しかし別の情報では、次のような説明があります。

 「氏の半世紀以上の教鞭実績を称え、 昭和35年に『東京都教育功労賞』」「 昭和38年には、広島大学主催『ペスタロッチー賞』」「 昭和53年には、『日本教育連合会賞』を受賞」「 昭和57年に、勲五等瑞宝章を受章」

 詳しく氏の経歴を調べているのには、二つの理由があります。

 1. 氏の著書は、平易な言葉で書かれているにもかかわらず、私には理解できないものが、沢山ある。

 2. 勤務する学校より、教育委員会、文部省、GHQ、出版会社などで評価されているところが、前回紹介した河上亮一氏に似た雰囲気がある。

 氏の授業方法は、教科書を使わず、新聞や雑誌の記事から得た問題点を元に、生徒と対話しながら進める「単元学習」と言われるものです。氏は生涯この授業方法を研究し、得た成果を都度発表したため、世間では「大村式単元学習法」と呼ばれていたようです。定年退職後「大村はま 国語教室の会」を結成し、日本の国語教育の向上に努めた、とも言われています。

 氏は戦後、占領軍の教育指導者講習に出席し、そこで民間情報教育局 (CIE) が強調した、単元(ユニット)教育を知ります。氏が、自分の行っている授業を、通訳を通して紹介すると、責任者のオズボーンが、「そうだ、それがユニットというものだ」と認めたとのことです。

 第八高等女学校に、勤務していた時の話です。文部省の事務官が訪ねてきて、学習指導要綱の作成委員会に入るように要請されます。この間の経緯を、ネットの情報から転記します。

 「新しいものに興味があるはまは、これを機に新制中学校に変わった。」「同僚は、不祥事があったのだろうかと疑った。」「その後、自他共に許す国語教育の専門家とみなされ、」「授業の見学者が多かった。」

 「希望しても、見学できない人もいた。」「はまは、生徒が見学ずれしないように気を遣った。」「ある校長からは、自信過剰と人物評価をされた。」「あまり優秀と目され、管理職とも同僚ともうまく合わなかった。」

 つまり氏は、現在勤務している職場で評価されなくても、政府、都の教育委員会、世間で認められているから、自信を持って自分の授業を実践できました。生徒を第一と考えているようなのに、どこか、自分の研究を優先しているような、不可解な気持ちにさせられたのは、もしかするとここに原因があったのでしょうか。

 私は「単元学習」を受けた経験がありませんので、何度読んでも、授業の進め方が理解できませんでした。一回毎に、終わるのか、何日かかけて一つの問題を話し合うのか。生徒たちには、毎回感想文を書かせるのか、書かせないのか・・説明されているのに、読み取れません。

 ネットの情報では、次のような説明もありました。

 「経験主義の単元学習は,第2次世界大戦後の日本の、」「新しい教育の理念と、方法として採用され、」「超教科的な、コア・カリキュラム運動として、広く展開された。」「その後,自然科学教育面における、学力の低下が指摘され、」「歯止めがかけられたが、知識と生活を結び付けた、」「生きた学習をさせるという、単元学習の理念は今に続いている。」

 氏の著作には、偏向した政治的主張や、日本を否定する意見はありませんが、GHQとの結びつきが、引っかかりました。モヤモヤとした、後味の悪さが残る、珍しい本でした。しかし私はこのモヤモヤと、後味の悪さを、ブログに残したいと思いますので、次回を続けます。息子たち以外は、これ以上、おつき合いをお勧めしませんので、しばらくスルーしてください。

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