2月24日の日経新聞の記事を紹介します。「ミンスク合意」の説明です。
・2014 (平成26) 年に始まった、ウクライナ東部紛争を巡る和平合意である。
・ロシアとウクライナ、ドイツ、フランスの首脳が2015年2月にベラルーシの首都ミンスクでまとめた。
・ロシアを後ろ盾とする親ロ派武装勢力と、ウクライナ軍による戦闘の停止など和平に向けた道筋を示した。
・大規模な戦闘は止まったものの、合意後も断続的に戦闘が続いた。
・合意のポイント
・ウクライナ東部での包括的な停戦
・ウクライナからの外国部隊の撤退
・東部の親ロシア派支配地域に、「特別な地位」を与える恒久法の採択
・ウクライナ政府による国境管理の回復
・合意実行に向け争点となったのが、親ロシア派武装勢力が占領するウクライナ東部の2地域に幅広い自治権を認める「特別な地位」を与えるとの内容だった。
・ウクライナは、事実上のロシアによる実効支配につながると警戒。ウクライナ国内では合意そのものがロシアに有利な内容との不満も出ていた。
以上日経新聞による「ミンスク合意」の説明です。この間プーチン氏は、事態打開に向けてはウクライナがNATO加盟方針を撤回し、「一定の非軍事化」を図ることが重要とだとの要求を続けたと言われています。
戦勝記念日の演説で、プーチン氏が次のように述べていたのは、「ミンスク合意」の折衝時のことではないかと思います。
「去年12月、われわれは安全保障条約の締結を提案した。」「ロシアは西側諸国に対し、誠実な対話を行い、賢明な妥協策を模索し、互いの国益を考慮するよう促した。」「しかし、すべてはむだだった。」
「NATO加盟国は、われわれの話を聞く耳を持たなかった。つまり実際には、全く別の計画を持っていたということだ。われわれにはそれが見えていた。」「ドンバスでは、さらなる懲罰的な作戦の準備が公然と進められ、クリミアを含むわれわれの歴史的な土地への侵攻が画策されていた。」
合意の議定書が作られても、ゼレンスキー氏が確約せず、曖昧なままに終わっていたと言う実情のようですが、果たしてこの交渉がプーチン氏の言うように、誠実なロシアと聞く耳を持たないドイツとフランスだったのかは、不明です。
大規模な戦闘をやめても双方が軍を引かず、小競り合いの紛争が続いていましたから、プーチン氏は不信感を高め、ベラルーシ軍と合同演習を実行します。中国やアメリカがよくやる武力による威嚇行為です。いつでも戦う用意があるぞと、相手を脅す武力の誇示でもあります。大国ではないのに、核を持った北朝鮮が、無闇にミサイルを発射し、日本を威圧しているのも似たような行為です。
危険な世界の状況を、沈静化させるのでなく、危機を高めているのがバイデン大統領です。次回は、挑発としか思えないバイデン氏の談話を紹介します。