ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「おことば」をめぐる諸事実について - 2 ( サンデー毎日の報道 )

2025-01-07 19:28:07 | 徒然の記

 『サンデー毎日』の記事は令和4年7月18日なので、つい最近です。同誌編集次長を退職してフリーになった堀和世 ( かずよ ) 氏の、署名入りの記事です。

 「特別連載・サンデー毎日が見た100年のスキャンダル/26」

 昭和時代を大切にする「ねこ庭」には、タイトルの「スキャンダル」という言葉が気になりますが、紹介に徹し作業を進めます。

  ・40代半ばから上の世代なら、2度の「改元」をつぶさに見てきたはずだ。

  ・生前退位に伴う令和の訪れと異なり、平成への代替わりは昭和天皇の過酷な闘病の過程でもあった。

  ・列島が自粛ムードに包まれる中、人々は息を詰めて「Xデー」へのカウントダウンを聞いた。

 昭和天皇の「崩御される日」を「Xデー」と呼び、カウントダウンなどと説明する馬鹿者の記事を我慢して紹介します。

  ・場立ちと呼ばれる証券マンが、手ぶりで注文をさばく立会場が東京証券取引所にあった頃、売買が殺到し混乱すると場内に笛が鳴り、取引が一時中断された。

  ・1988(昭和63)年9月20日、東証ではこの「笛吹き」が13回も行われたという。

   ・〈 紙、パルプ、インキ、印刷、印刷機械などの〝元号関連株〟は急騰した 〉と、本誌『サンデー毎日』同年10月9日号は伝える。

  ・前日の9月19日夜、昭和天皇は吹上御所の寝室で大量吐血。「天皇陛下ご容体急変」の報道に、カレンダーの刷り直しなど「改元需要」による株高を見込む投資家の買いが集中したのだ。

  ・事実、政府が新元号選定に動いた、と一斉に伝えられた。

  ・本誌同号は、〈 首相官邸や内閣内政審議室に、右翼団体などから脅しや抗議の電話が数十本かかってきた。「天皇がご存命中にけしからん」という指摘である。〉と書いた。

 闘病中の陛下に関わりなく、印刷会社関係の株価は動きます。右翼団体の抗議も株価の変動も「ねこ庭」には受容できますが、堀氏の記事にはまだ馴染めません。

  ・もっとも、肝心の昭和天皇の病状は密室に封じられていた。

  ・88年9月に腸の手術を受け、腹部にがんが見つかったが、「慢性膵炎(すいえん)」と発表されていた。大量吐血の後、数社が病気はがんだと報じた。

  ・しかし、告知されていない昭和天皇本人の目に触れるという宮内庁側の懸念に応じ、「がん報道」は控えられていった。

  ・一方、菊のカーテンの外側では、「陛下の下血止まらず」「陛下また200㏄輸血」といった記事が新聞に載らない日はなくなり、血圧や体温など定時の「ご容体」がテレビ画面に映るのが日常の光景となった。

  ・昭和天皇の病気が何なのかを知らないまま、少なくない国民が記帳の列に並んだ。

 昭和39年生まれの堀氏は、記事を書いた時58才です。戦後日教組時代の教育で育った、当時の言葉で言えば「現代っ子」です。皇室への敬意や礼儀を教えられなかった、「ねこ庭」以上の「戦後っ子」とも言えます。

 それだけに率直な叙述が、読者には当時の様子をよく伝えるのかも知れません。

  ・いわゆる〝自粛〟の波は瞬く間に全国に広がった。

  ・本誌10月30日号は「自粛列島」調査として、中止された名だたる祭りやイベントの一覧を掲載。

   ・東京の神田古本まつりが「まつり」を「市」と名前を変えて準備を進めたが、それでも中止に追い込まれたエピソードを拾い上げている。真相は不確定だが、秋祭りの中止決定後、夫婦心中した露天商のケースもあった。

  ・昭和天皇のがんが公になったのは89年1月7日、すなわち「崩御」があった朝に、藤森昭一宮内庁長官から死因として発表された。

   ・侍医に「いつ治るのか」と尋ねながら、前年9月の急変以来、ベッドを離れることはかなわなかった。

 お気の毒なことと「ねこ庭」は心が痛みますが、「戦後っ子」の氏は余計な感情に惑わされず記事を書きます。

  ・「昭和天皇 崩御」と題した本誌緊急増刊(1月28日号)には、〈 病名を覆い隠すことに終始していたとすれば、非常に切ない 〉として、がん告知を巡る国民的議論の高まりを期待する、医師の談話が載っている。

  ・平成の天皇(今の上皇さま)が2003年、前立腺がんの手術を受け、自ら病状の公表を望んだこととは対照的だ。

  ・その上皇さまが昭和天皇の闘病中、「自粛の行き過ぎは陛下のお心にかなうものではない」と、皇太子として発言したことは記憶されていてよさそうだ。

 これがまさに、客観的事実の一つです。堀氏が紹介しなければ知り得ない上皇陛下の「おことば」でした。

  ・本誌1989年1月29日号は、新天皇が即位後の第一声で国民を「皆さん」と呼んだことを〈 ちょっぴり新味を感じさせた 〉と書いている。  (ライター・堀和世)

 以上で署名入りの記事の紹介を終わりますが、元編集次長らしく同誌のPRを忘れないところはさすがです。最後まで読んで、氏の立ち位置も分かりました。

 氏は昭和天皇の時代に違和感を感じているが、平成時代以後の皇室については好意的な見方をしている、ということです。「ねこ庭」とちょうど反対の立場ですが、今回は「人生いろいろ、人間もいろいろ」という冷静な思考ができました。

 次回は、氏が教えてくれた貴重な事実を参考に検討作業、つまり賀屋氏を見習った「恨みと憎しみのない事実の整理」を試行します。

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