今回は別の観点から考察し、天皇陛下の「おことば」を読ませていただきました。
「戦後レジームからの脱却」のためには、「皇室護持」と「憲法改正」が最優先と言いながら、平成時代以降の皇室を冷静に考えられなくなっている「ねこ庭」です。
上皇陛下の、平成28年8月8日の「おことば」について、「過去記事」で何度か取り上げていますが、どうしても肯定的に受け止められず、批判する意見を述べてきました。
「皇室護持」を願っている「ねこ庭」で、上皇陛下を批判するという矛盾に苦しめられ、その度に北畠親房の言葉にすがりました。
「君は尊くましませど、民を苦しむれば、天これを許さず。」
しかしこの言葉の効用は長続きせず、陛下を批判する自己矛盾に苦慮しました。「ねこ庭」の思考方法が、「正しいのはどちらなのか」と考える「二元論」のため、落ち込んだ穴から抜け出せなくなりました。
深い穴ので苦しんでいた「ねこ庭」に、一筋の外の光が差し込んだのは訪問された方のコメントでした。
・当時の、天皇陛下のお言葉を改めて拝読いたしました。国民の立場を常に思っていらっしゃる天皇陛下の御心には、涙を流さずにはいられません。
・ここで、述べられた天皇陛下のお言葉は、単なる陛下個人の御意見ではなく、深い摂理と神意であると拝しております。
・このテーマは、まだまだ続くと思いますが、一応、現時点での、私の感想を述べさせていただきました。
「ねこ庭」は、昭和天皇との比較で上皇陛下を考えているため、「おことば」には陛下の個人の想いが多く語られている気がして、深い摂理と神意が感じられませんでした。
同じく日本を大切にし皇室を敬愛していながら、自分とこの方の意見が違うのはなぜかと思案しました。思案の先に見えた光は、賀屋興宣氏からのものでした。
氏はA級戦犯として10年間巣鴨刑務所に入れられていましたが、アメリカに対する恨みを言いませんでした。
この時氏が「ねこ庭」に教えてくれたのは、「恨みと憎しみ」の上に立たない事実の整理・・という姿勢でした。「和をもって尊しとなす」という聖徳太子の教えでもあったと、考えました。
「国も個人も我欲があるのはお互い様なのだから、どっちもどっちだと知りなさい。」
「自分だけが正しいとおもわず、相手の意見も聞きなさい。」
こういう姿勢で議論に臨めば、対立する相手との間にも「和」のある結論が導き出せる可能性が出てきます。
太子の教えを伝えた政治家だったかと頭を垂れ、氏を見習おうと決心したのに、未熟な学徒はすっかり忘れていました。氏を思い出させてもらったコメントに感謝しながら、情報を探しますと、やはり別の事実がありました。
氏のように客観的な思考がどこまでできるのか自信はありませんが、努力してみたいと思います。
NHKと「サンデー毎日」の記事を2つ見つけましたので、先ずNHKの記事のタイトルと内容を紹介します。
「昭和天皇 100日を越える闘病」 「放送年:1988年」
・天皇陛下は9月19日夜、お住まいの吹上御所で突然、吐血された。
・陛下は前年9月、慢性膵炎の疑いで手術を受けられており、吐血は手術からちょうど1年後のことだった。
・これに伴って国事行為は皇太子さまが代行されることになった。
・全国に設けられた記帳所では、ご病状を気遣って記帳した人は600万人にのぼった。
・しかし、陛下は吐血の後も発熱や出血が続き、年末にはご病状は予断を許さない状況になった。
短い記事ですが、当時を思い出すにはこれで十分でした。1988年と言えば昭和63年、昭和の最後の年です。
陛下の吐血、下血、嘔吐、体温、脈拍、呼吸数が、連日新聞のトップ記事となり、同時にテレビの報道でした。陛下の快癒を祈る国民が、全国の記帳所で列を作りました。
笑ったり喜んだりするテレビ番組が自粛され、各地のお祭りが中止され、国民が陛下の御容体を見守った日々でした。100日間も続いていたのかと、改めて当時を思い出しました。
『サンデー毎日』の記事は、さらにリアルに書いています。「開かれた皇室」報道に参加している週刊誌の遠慮のない記事を、次回に紹介します。