ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「おことば」をめぐる諸事実について - 4 ( 『文藝春秋』の記事 )

2025-01-08 20:21:31 | 徒然の記

  1.  平成28年8月8日の陛下の「おことば」は、陛下と美智子様で推敲されたお言葉だった 

  2.  風岡宮内庁長官の影響力は、ほとんどなかった。

 今回のテーマは、上記事実を証明する根拠を見つけることです。高橋氏の説明がその一つでしたが、さらに美智子様の陛下への影響力を証明する根拠を探しました。

 それが前回紹介した、平成21年9月の『文藝春秋』に掲載されていた皇室問題に関する6人の対談記事でした。

 座談会メンバーの人たちは、皇室問題の専門家、有識者と呼ばれるジャーナリストや評論家ですが、この中に共同通信社の高橋氏がいましたので驚かされました。

 現在はマスコミが秋篠宮家の紀子様を批判攻撃していますが、当時は皇太子だった現天皇・皇后両陛下への遠慮のない批判が溢れていました。平成21年9月の同誌による6人の座談も、当時の皇太子ご夫妻への厳しい批判が中心です。

 今回のテーマに無関係なので、6人の中の朝日新聞編集委員岩井克己氏と、精神科医香山リカ氏、高橋氏の談話部分のみを紹介します。以下は美智子様の、陛下への影響力を証明する根拠となる意見です。

  朝日新聞編集委員岩井克己氏 

  ・皇后様の発信能力、リテラシー能力というのは凄い。

  ・今の両陛下は言ってみれば共働きであり、皇后様は、皇室生まれの人の目に届かないものを補おうと、常に努力されているし、最強の副官のような存在だと思うんです。

 〈 精神科医香山リカ氏 

  ・両陛下のお気持ちを忖度する、行幸啓のプロデューサー的な方はいないのですか。

 〈 朝日新聞編集委員岩井克己氏 〉 

  ・プロデューサーは、両陛下ご自身でしょうね。昭和でしたら、侍従長の入江相政さんが、そういう立場だったでしょうけれど・・

 〈 元・共同通信・社会部部長高橋宏氏 〉・・現・皇室研究家

  ・偉大なる昭和天皇の後、というプレッシャーは、相当なものだったと思います。

  ・侍従の中には、昭和天皇からならばともかく、今の天皇からは勲章はもらいたくないんだ、という人もいたくらいです。

  ・そんな中で陛下は、独自の天皇像を作らなければならないというところに立たされた。即位後のお言葉からは、その強い意志が読み取れます。

 板垣恭介氏の著書『無頼記者』を読んで以来、皇室関係者には碌な人間がいないという気がしていましたが、今回で確信に変わりました。

 「報道の自由」か、「表現の自由」なのか、彼らは、戦後の皇室周辺にいる「獅子身中の虫」でないのかと思えてきました。その虫のおかげで、「ねこ庭」の検討材料を得ているのですから複雑な気持になります。

 高橋氏の意見を紹介したのは、今回の「お言葉」への美智子様の影響力を証明する部分があるからです。

  ・今上陛下が昭和天皇の偉大さを越えるため、「新しい天皇像」を、懸命に模索されたという事実が、その一つです。

  ・二つ目は、昭和天皇のように「二十四時間の天皇」でなく、「プライべートを大切する天皇」になられたことです。

  ・三つ目は、天皇として君臨するのでなく、国民と同位置にある天皇の演出を心掛けられたことです。お仕えする侍従たちへ、呼び捨てをやめられたことや沿道の国民への会釈がそれです。

  ・最も大きな変化は、災害地の現地訪問を必ず行われるようになり、美智子様を同伴され、古くからの侍従たちのご忠告にかかわらず、床に座り、被災者と語られるスタイルを作られたことです。

  ・こうしたご行為は、昭和天皇がなされなかったことであり、これにより今上陛下は、昭和天皇との違いを国民に示され、ご自分を完成された。

  ・隔てのないお姿は、「開かれた皇室」を広く伝えることとなり、多くの国民が親しみを感じる皇室改革でもあった。

 「ねこ庭」と違い上皇陛下に好感を抱く氏ですから、陛下への説明は好意的になり、その分だけ「ねこ庭」に違和感が生じます。

 「皇室」をガラス張りにし、中の方々を好き放題に座談のタネにして、「開かれた皇室」を伝えているというのですが、本当にそうなのでしょうか。

  ・父君 ( ちちぎみ ) を超えられようと、新しいスタイルと仕事を自らに課されたが、ご高齢となるにつれお身体の負担が大となり、今回の「お言葉」となっています。

 どこまで行っても父は父であり、子は子で、何の不都合があるのでしょう。それとも天皇という特別のお立場にある方には、親を超える思考が要るのでしょうか。

 学徒の勉強不足かも知れませんが、古代の歴史書を手にしましても、父君 ( ちちぎみ ) を超えられようと、新しい姿を探された天皇のお話を読んだことがありません。

 この辺りになりますと、やはり氏の考えとの間に溝が生じます。

  ・被災地へのご訪問は、陛下の心の中で天皇固有の公務となっており、摂政にお任せになってはという、周囲のご提案にうなづかれない理由がここにあります。

  ・天皇固有の公務をご自分ができなくなったら、退位し次に任せるしかないと、陛下は考えられている。

 陛下の考えられる「公務」というのが、「ねこ庭」が最も苦慮する部分です。憲法では「天皇の公務」と言わず、第七条に「天皇の国事行為」として明示されています。

 憲法の定める「国事行為」の中に、陛下と美智子様が最も重要視されている「公務」、いわゆる「被災地へのご訪問」は含まれていません。

 高橋氏も陛下の「被災地ご訪問」を天皇固有の「公務」として捉え、高齢化のために実行できなくなったら、次の天皇に任せるしかないというお考えに従っています。

 ここから、平成28年8月8日の陛下の「おことば」発言となり、「譲位」の意向となり、退位して上皇となられました。

 陛下の被災地へのご訪問で、当地の国民は元気づけられ、勇気も頂いたのですから、陛下のお考えに反対する気持はありません。

 激動の時代を生きられ、多くの国民に敬愛された昭和天皇の後を継がれ、父君 ( ちちぎみ ) に負けない天皇になりたいと、美智子様と真剣にお考えになったことも『文藝春秋』の記事で知ることができました。

 岩井氏が婉曲に説明していましたが、美智子様は「最強の副官」として、新しい形の天皇像、被災地へのご訪問、戦地への巡礼の旅、さらにもう一歩踏み込めば、今回の「お言葉」のリーク、皇太子ご夫妻への皇位の移譲など、全てに強い影響力を行使されている事実も分かりました。

 ということで、前回までの「ねこ庭」の推測は次のように訂正いたします。

  1.  平成28年8月8日の陛下の「おことば」は、陛下と美智子様で推敲されたお言葉だった 

  2.  風岡宮内庁長官の影響力は、ほとんどなかった。

 新しい事実を知りましたところで、再び本来の検討課題へ戻ります。

   4.  上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと

   5.  秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと

 4.  項目の検討が終わりましたので、次回は、最後の5の項目となります。
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「おことば」をめぐる諸事実について - 3 ( 講談社プラスα文庫 )

2025-01-08 16:08:18 | 徒然の記

 「ねこ庭」の知らなかった事実が一つ見つかると、関連する新事実が出てきます。新事実が出てくると、当然「ねこ庭」の意見は修正を促されます。

 平成28年8月8日の「おことば」は、上皇陛下の個人的な意見でなく、国民の立場を常に思われている陛下の御心とコメントを寄せられた方が、正しかったことになります。

 陛下は、お言葉の中で次のように述べられていました。

 〈 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。〉

 ご自分の最後に際しては、昭和天皇のように長い期間、国民の暮らしに重い負担をかけたくない、社会を停滞させてはならないというお気持ちを述べられていたことがやっと理解できました。

 NHKの報道と、「戦後っ子」堀氏の遠慮のない記事の効用で、上皇陛下の真摯なお気持ちが伝わりました。

 そうなりますと、陛下の「おことば」に風岡長官の意見が強く影響しているという、「ねこ庭」の推測が揺らいできます。

  ・平成28年8月8日の陛下の「おことば」は、陛下ご自身の言葉だったのだろうか ? 

 この視点からデータを探しますと、言論の自由な日本なので、やはり情報が見つかりました。

 平成6年に、講談社プラスα文庫が出版した、『共同通信社 社会部』という本です。著者名の部分に、共同通信社社会部編  (高橋宏氏著 )と書かれています。高橋氏は共同通信社の社会部部長なので、実質の著者でしょうか。

 上皇陛下について、氏が次のように述べていました。

  ・天皇の几帳面な性格も、随所に現れている。

  ・例えば国賓が来日した際の、贈り物の交換だ。

  ・日本側からは陶器の花瓶や、蒔絵の宝石箱などを贈るが、天皇は自ら相手国によって何が一番ふさわしいか、じっくり、吟味して決める。

  ・気配りを示す、一例とも言える。

 氏も戦後世代の人物なのか、堀氏同様陛下に敬語や丁寧語を使いません。

  ・昭和天皇は、全部側近任せだった。

  ・今の天皇は、何かにつけて細かい面があり、来日直前まで決まらずやきもきすると漏らす、宮内庁職員もいる。

  ・お言葉にもぎりぎりまで手を入れるため、なかなか、決定版ができないこともあるという。

 昭和天皇のときには、こうした皇室の私的なことは外に漏れませんでしたが、平成時代以後は、良い悪いのお構いなしに「開かれた皇室」が進みます。

 氏に説明されなくても、上皇陛下がなぜこのように慎重なのか、「開かれ過ぎた皇室」のお陰で国民が既に知っています。

  ・陛下は天皇の座に就かれる以前から、なにごとも美智子様とご相談の上で決められている。

  ・「男女平等」を信条とされる陛下は、すべてお二人で相談され、しかもそれを国民に隠されず、「開かれた皇室」を作ろうと努力されている。

 「温故知新の読書」で「おおよそは知っていましたが、氏が説明するように具代的な事実は稀に知るくらいです。

 国賓への贈り物がなかなか決まらないのも、お言葉のお手入れに時間がかかるのも、美智子様の同意無しに陛下が先へ進まれないからです。

 陛下への美智子様の影響力については過去記事で書き、苦しい思いをその度にしました。しかし今回は、苦しくても「ねこ庭」の二つの推測を訂正しなくてなりません。

  1.  平成28年8月8日の陛下の「おことば」は、陛下と美智子様で推敲されたお言葉だった 

  2.  風岡宮内庁長官の影響力は、ほとんどなかった。

 この視点からネット内を探しますと、やはり情報が見つかりました。平成21年9月の文芸春秋に掲載されている、皇室問題に関する6人の対談記事です。

 出席者の名前は、ノンフィクション作家保坂正康氏、ジャーナリスト櫻井よしこ氏、皇室研究家高橋紘氏、朝日新聞編集委員岩井克己氏、精神科医香山リカ氏などでした。

 ここまで書いて「皇室研究家高橋紘氏」のところで手が止まりました。この高橋氏は、先程紹介した共同通信社社会部長の高橋氏と同一人物なのだろうか。それとも、同姓同名の別人なのか。

 ウィキペディアで経歴を調べますと、驚く事実が判明しました。

 〈 高橋紘 ( ひろし  )氏の経歴 〉 ・・ジャーナリスト、皇室研究者

   ・昭和16年12月東京都生まれ、平成23年9月死去  ( 69 ) 才

   ・早稲田大学卒業後、昭和40年共同通信社入社

   ・社会部部長・仙台支社長、ラジオ・テレビ局長、取締役事業本部長などを経て退職

   ・平成17年小泉政権下での、「皇室典範に関する有識者会議」のメンバー

   ・皇位継承問題に関し、女系天皇化を主張   

   ・平成20年まで、静岡福祉大学社会福祉学部教授(専攻・皇室制度、近現代日本史)   

   ・平成23年9月30日に、転移性肝がんのため東京都内の病院で死去

 こういう人が「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーであったとは、驚きが隠せません。その後大学教授となり、皇室制度について学生に講義をしていたのですから、「事実は小説より奇なり」とはこのことでしょうか。

 気持を落ち着かせて続きにかかろうと思いますので、少し時間を頂きたいと思います。

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