今回紹介する手紙は、亡くなった戦友の細君へ、死なずに帰国した兵士が出した手紙です。
自分だけが生還した後ろめたさに、戦友の家族に訃報をすぐに伝えられず、一年余も迷った挙句、「それでは松下君の英霊に申し訳なく」と、やっと出した手紙です。
〈 亡くなった戦友 松下 八寿雄氏 〉
京都府船井郡出身、自作農、45才、軍属
昭和19年7月 ニューギニア・サルミにて戦死
妻と子供五人
〈 帰国した戦友 世津 定弘氏 〉
滋賀県滋賀郡出身 自作農
〈 昭和20年7月5日出し、松下氏の妻・きさのさん宛の手紙 〉
・拝啓、初夏の候、貴家ご一同様には、ますますご清祥の御事と存じます。
・小生この度、復員を致しまして、ご家族の皆々様に、このお便りを差し上げます心の苦しさをお察し下さいませ。
・ご主人様、松下君には、出征以来無二の親友として交わり、お互いに助け合い励ましあって、幾戦線を超えました。
・昭和19年4月戦況の悪化により、ホーランジャよりサルミへの転進を開始。
・死の転進行軍二ヶ月余、無事サルミに到着し、同地にありて作業中、7月1日の大爆撃にて松下君は不幸爆死されました。
・小生、丁度その日は別の作業にて夕方帰隊、松下君の悲報に、墓前にて思わず男泣きに泣きました。
・朝の元気な顔が、夕には魂と変わりませしこの姿に、ただただ胸迫り、運命とは言いながら、幾年月苦楽を助け合った二人でしたが、松下君の御魂を抱いて一年余今自分は故国に帰り来て、ご遺族の皆様にご報告する小生の胸は、張り裂けんばかりです。
・いっそのこと、公報にてご承知されるまで、お知らせ致すまいとも思いましたけれど、それでは松下君の英霊に申し訳なく、今ここに拙き筆を運びます次第。
・ご家族様には、さぞさぞ御驚き、御悲しみ、いかんとも御慰めの言葉も、これなく。皆々様も、ご自愛専一にて、新日本建設にご奮闘なされてこそ、地下の松下君も、成仏されることと信じます。
・いずれ一度は、御墓参りに参上致したく思いますれども、先ずは取り敢えず、書面をもって、ご通知、お悔やみを申し上げます。 敬白
この手紙は8年前の平成30年、「ねこ庭」の過去記事から転記しています。保坂氏と共同通信社の記事のように、多くの説明はありませんが、今でも読むと目頭が熱くなります。
4000人もの兵士に話を聞いたのなら、保坂氏は他国の人間を殺した兵士の話だけを集めるのでなく、殺された側の兵士の言葉も紹介できなかったのだろうかとそんな思いがします。
日本を「人間を粗末にした国」と語りたくて、日本を批判する例に偏っている氏の姿勢が、読者の心に響かない記事にさせているのではないでしょうか。多くの説明をしなくても、兵士の言葉をそのまま伝えた方が読む人に迫ったのかもしれません。「帰国した戦友の手紙」は、ご本人の言葉だけで戦争の悲惨さと苦しみを伝えている気がします。
今回は戦友からの手紙を紹介するにとどめ、これ以上のコメントを差し控えます。次回は、残りの記事の紹介と検討作業に戻ります。