田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

俗に帰る

2008-01-05 12:55:08 | Weblog
1月5日 土曜日 晴れ
●「おとうさん、けっきょく週刊漫画紙ノートどうなったの」としばらくぶりで会った息子に聞かれた。「え、どうして知っているの」と思わず聞き返していた。「おかあさんのブログに書いてあったよ」なるほどな。と、納得した。さいきん、こうしたことがしばしば起きる。直接会って話したわけではないのに、むしょうにわたしたちの日常の行動を知人が知っている。「霧降の滝はどうでしたか? もう紅葉はおわりでしょう」などと新宿は歌舞伎町であったむかしの飲み仲間に聞かれた。

●なんでも日本一という番組を見ていたら島根県に次ぎ栃木県は人に知られていない県だった。このあたりまえのことをいがいと地元の人は知らない。

●わたしが50数年前に東京住まいをはじめたころは日光県と改名すればいいのになんていわれたことがある。まあそんなものだ。それいらい、栃木県の名前を覚えてもらおうと、東京ぼんた(ふるいですね)のモノマネをしたり、下野カレー(シモツカレー)の宣伝をしたり、ふくべえの面で、ひょっとこおどりを宴会の席で披露したり、かなりの努力はしてきた。ふくべえの面は、宮の橋のたもとで売っている。

●あれは夕顔の花のなれの果てだ。中身はぐりぐりむかれて、干瓢になる。地元のひとは知っていますよね。ね。だいたい、県の特産物である干瓢にしても、こんにゃくにしても、たいした栄養価はない。それだけでは、味もすっぺ(ナンノアジ)もしない。だが、それはほら、ありがたいことで、おりからの健康食ブームでよく売れているらしい。こんにゃくダイエットなんて言葉がはやっているくらいだ。干瓢だって高級食材に化ける時代だ。ありがたいことだ。

●話がそれた。漫画紙ノートは有楽町の無印の店の女のこが親切にパソコンで各店の在庫をしらべてくれたが見つからなかった。単発の商品だったのだろう。このノートにこだわる理由はざらついた書きやすさにある。Hi-uniの6Bで書くとなんともいえないいい書き心地だ。もっと買っておけばよかったな。残念。

●昨夜は徹夜した。原稿を十二枚。芭蕉の奥の細道を読んだ。テンションが上がっているところで今少し書く。おわったら寝ます。

●高く悟り俗に帰る。高悟帰俗。そしてやがては土に帰る。とまあ考えているが、それほど高く悟ったわけでもない。俗に帰るといつてもたいしたことはできない。わかりやすい文章を書く。むずかしい言葉は使わない。文学的にはそんなところだろう。

●生活では、外でラーメンを食べたい。食べたことがない。この年末には紅白を聞きたい、見たい。まだいちども見たことがない。ひとりで居酒屋で飲んでみたい。この30年ひとりで外で飲んだことがない。宇都宮のパルコ裏の屋台村なんかいいな。
艶歌を聞きたい。とくに歌詞がいい。涙をこぼしてもらえるような小説書きたい。官能小説も……と話がおちてきましたのでこのへんがよろしいようで。

  わが町からみた男体山