田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

老人の文化活動

2008-01-11 17:53:51 | Weblog
1月11日 金曜日 晴れ
●わたしは長年東京と故郷の町を行き来して生活をしている。すると定住者には見えないものが見えてくる。どちらがいいとかわるいとかいう問題ではない。たとえば、東京の人はあまりに田舎のことを知らなさすぎる。親の代から東京に住んでいる人は別にして、田舎出身の人たちでも、じぶんが生まれ育った町が今どんなことになっているか無関心である。たまに正月に帰省して、親たちと過ごし、また都会の生活にもどっていく。町を歩いて、昔の友だちを訪ねてみる。彼らがどんなことによろこびをみいだして生きているか。どんなことを、悲しみ、苦悶しているか知る必要がある。

●わたしの町についていえば、経済的疲弊がはなはだしい。商店街はシャッター通りと化している。そして町を歩いている人をみかけない。ともかく町が町として機能しなくなってしまった。家の中に年寄りはひっそりと閉じこもっている。自分の町がこんなふうになるとは夢にも思わなかっただろう。とくに、建具屋さんなどは、先日も書いたが昔の栄華はない。

●いままでは、ただひたすら文学の勉強に打ち込んできたので周囲を見なかった。気づいてみると繁栄しているのは病院と葬儀屋。美容院ごく少数の飲食店だけになっているようだ。昔かなり流行っていた衣料品店の主人が街行く人を後ろに手を組み、ぼんやりと眺めているのを見るのは辛い。けっして、あなたたちの営業努力がたりなかつたわけではありませんよ。となぐさめの言葉をかけてあげたくなる。

●人ごとでない。わたしどもの塾もカミサンと二人だけでやっているからなんとかつづけてこられた。宣伝費をかけられないところは、どんな商売でも消え行く運命にあるようだ。わたしたちは幸い塾なので、教師の資質とか専門知識がものをいう。なんとか生き残ってこられた。でも、これから先はどうなるかわからない。心細いかぎりだ。

●町の文化面も退化するいっぽうだ。江戸時代からあれほどさかんだった俳句はどうなっているのだろうか。

●老人はひっそりと家の中にとじこもっている。じつは彼らだって働きたいのだ。老人が働く仕事がないだけだ。まだまだ働ける。老人の経験や能力を生かしてくれる仕事がないだけだ。

●文化活動をするのにはお金はまったくかからない。俳句を楽しむ、短歌を楽しむ、つごうによつたら随筆くらい書けるようにいまからでも勉強してはどうだろうか。文章の勉強をするということは、じぶんの周囲をあらためて見直すことになる。

●じぶんたちの住む町を第二の夕張にしないためにもみんなで町をよく見守っていきませんか。