田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

トマソン教師の嘆き

2008-01-19 03:51:29 | Weblog
1月19日 土曜日
●昨日、トマソンのことを書いた。多数のかたのご訪問をいただき感激している。わたしは、白夜書房刊の『超芸術トマソン』赤瀬川原平著を読んだころは西早稲田に住んでいた。白夜書房の前もよくとおった。鶴巻南公園内の樹木が痴漢がでても見通しが利かないからという理由で切られた。ごろごろ切り落とされた太い枝を見てこのまま放置すればトマソンだぁ、なんて見当違いの理解をしていたことを思い出した。

●正月に東京から中学二年生の孫娘がきた。英語の勉強をすこしだけみてやった。この子が将来どんなに立派に成長してもはじめて英語を教えたのはわたしだ。「オジイチャンに英語教えてもらっていて、よかったよ」といってくれる。うれしい。見ると筆記体で書いている。

●わたしはいまでも筆記体を教えている。別にブロック体でもいいのだが、学校ではまったく筆記体を教えていない。教えてはいけないということなのだろうか。それで筆記体を読むこともできなかったら将来こまるだろうということで、教えている。もちろんブロック体も教えてはいる。これはほとんど教科書の活字体をみればそのとおり書けばいいようなものだから、教えることもない。と考えている。

●ところが筆記体を教えているから悪い塾だ、なんていわれている。孫娘にきいたら筆記体でも、ブロック体で書いてもどちらでもいいの。という返事だった。うれしかった。東京でも公立校では筆記体は教えていないのだろうか。

●テレビをみていても外人教師のブロック体の文字のなんと稚拙なことか。だいたい文字に美学があるというのは漢字を書く民族固有の意識なのかもしれない。

●板書の漢字やかな文字の美しさにこだわる。流れるような英語の筆記体にこだわる。

●そんなわたしはトマソン教師なのだろうか。

●浅田次郎の小説を読んでいた。『テイファニーで朝食を』教材にした外人教師の話が出てきた。おもしろかった。わたしも高校生のとき同じような経験をしている。
長い文章を読むこと。都合によったら短編を原書で読むといい。なんて今の高校生にいっても納得してもらえない。空欄に単語をチマチマ、セカセカ埋めたり、記号で答えたりどうなっているのだろう。マークシート方式の英語の問題を見ると、長文が細切れにされているようで哀れをもよおす。受験英語だけを教える教師にはいまだになれない。

●だからわたしはますますトマソン教師だ。