-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

隣村の山の神

2014-09-04 17:29:21 | 近況報告

 畑沢の隣と言っても、幾つもの村があります。荒町、細野、五十沢そして中沢です。今回は中沢です。背炙り峠を越えて平地に降りると、最初の村が中沢です。峠を通る県道29号線は、中沢の中を通りませんが、村の入口を通過します。あえて寄り道をして、中沢の集落に入ってみました。丁度、昼食時ですから、道に出ている方はいませんでした。何とはなしに奥へ奥へと進みますと、人家が無くなり大きな鳥居が現われました。どこに神社があるのかと探してみましたが見当たりません。しかし、山の斜面を登っている狭い石段でできた道が見えました。折角ですから登ってみましたが、結構な長さです。小高い山の途中が平らになっていて、とてつもない大きな石の祠が建っていました。今まで見た石の祠の中でも最大級です。全体の高さは、2.4mは十分にありそうです。土台と屋根だけが石で、真ん中の御神体を納めている部屋は栗材でできています。畑沢では、このような造り方を「万年堂」と呼んでいます。

 さて、これは果たして何の神社でしょう。実は至極、簡単に分かります。祠の中には、長い木の棒があるものに形どられて立てられていました。それだけで、「山の神」であることが分かります。これは、一般的な山の神の形ですが、畑沢出身の私にはかなりの戸惑いがあります。畑沢の山の神は、これほど露骨な表現をしません。上畑沢の山の神沢と小柴沢の間にある山の神も、背中炙り峠にある山の神も御神体らしきものはありません。

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畑沢中が黄金色

2014-09-02 09:58:42 | 近況報告

 昨日の畑沢は、稲も稔り(みの)り出して、田んぼが黄金色に変わっていました。稲刈りは今月の下旬になりそうです。この黄金色の風景は、昔と違うところがあります。昔の黄金色には、混じり物がありませんでしたが、今の黄金色には混じり物があります。稲の中に雑草が沢山入っているのです。その雑草は畑沢では「へ」と呼ばれていました。正しくは「稗(ひえ)」のことかと思います。稗は元々、日本人の重要な食物だったそうですが、稲作が始まってからは邪魔者扱いになってしまいました。それでも、稗の丈夫さは飢饉の時には大変に役立って、村人を飢えから救ってくれたこともあるそうです。今は、やはり邪魔者です。稗が田んぼいっぱいに蔓延(はびこ)りますと、稲は稔ることさえできないようです。恐るべし、「へ(稗)」です。「へ」という発音には、かなりの憎しみが篭っているように聞こえます。従いまして、稗が蔓延らないように、丹念に「へぬぎ(稗抜き)」をしなければなりません。ところが、そのような労力が無くなってきましたので、稲の中に稗が共存している姿が見られるようになりました。

 稲刈りの時期には、よく常盤小学校での運動会が開かれていました。大変忙しい時期なのですが、どこの母親たちも無理をして応援兼弁当運搬してくれました。昼になると、応援してくれてる母親の所へ行って昼食になります。当時はブルーシートがありませんでしたので、薄縁(うすべり)だったか蓆(むしろ)だったかを拡げての昼食会です。知っている人がいれば、合流します。畑沢村の人に集まったような気がします。さらに嬉しいことには、運動会場の隣には出店が店開きしていました。青年団の競技もありました。もう完全な常盤村全体の「お祭り」です。

 私は小学校のほぼ全期間を通して、走れば後ろから数えた方が手っ取り早い位置にいました。それでも、運動会にはめげることなく楽しそうに参加しました。「授業がない」ためです。私は上記のとおり「遅い」のですが、妹は飛びぬけて早かったので、自分ことよりも妹の「速さ」を楽しみにしていました。今でも、妹は吹っ飛んでいればと期待しています。

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