~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

たぶん初ミュージカル

2013年03月17日 12時51分54秒 | 見る・読む

ただでさえ聴きたい演奏会の多い今月なのに、この期におよんで娘が突然「Catsを見たい」と(汗)。

私、観劇についてはほぼビギナーなので、「千秋楽まで間もないのに、チケットとれるんだろうか?」「いや、12月から延々あの大ホールでやってるんだからもしかして楽勝??」などまったく予想もつかぬまま、残席をネットで検索。やっと15日(金)夜公演をとりました。

2階席で、さすがに連番ではとれませんでしたが、2列違いで行き来できる席。

大がかりな装置、音響、ダンス、歌、・・・ワンシーズンに何回も通う方がいるのもうなずけます。客席を巻き込む仕掛け、何千回(通算公演8300回数だそう)ものステージのなかで試行錯誤し磨かれてきた型。圧倒的な力です。

クラシック音楽をやっていると、たくさん電気を使用しているステージというのはどうも落ち着かなくて(殴)、「もし停電とか配線トラブルがあったら、マイクも装置もアウトだよなあ」とそんなことがたまに頭をよぎる~。以前、素人オーケストラの中で自分ひとり電気を使う楽器を演奏したことがあり、慣れないもんだから、「音量大丈夫なのか」とか「アンプついてるか」とかもうドキドキバクバクして演奏どころではなかった(殴)ことが思い出されて仕方ない。・・・・困ったもんです。

一番たまげたのは、最初のほうで、「猫に名前をつけるのは難しい」というセリフがあって、それをキャスト全員といっていいくらいの人数で復唱というか斉唱というか、ようするにユニゾンする場面があるんですけど、

気がついたら、目の前にこてこてのメイクをしたオス猫がきていて(席の前は通路)、こちらを見ながらセリフを言っているわけです。すぐ移動するのかと思ったら、ずっとそこにいて、しかもさすが役者さん、視線がブレない。

至近距離で見るには刺激の強すぎるメイクのまま、プロの眼光でガン見され、にらめっこ状態・・・・・・負けました、降参。

それにしても、歌は歌わないといけないうえ、ものすごい運動量。マイクとおした音声だから、もし息上がってゼーゼー言ったらもろバレ。身体の鍛え方が違うのはわかりきってますけど、それにしても驚異の世界です。尊敬。

もう1回くらい、できれば1階席で観てみたいもんです。


桑田氏のピアノ

2013年03月06日 22時56分02秒 | 見る・読む

体罰についての論説を読んで以来、どうも気になって仕方がない桑田真澄氏ですが、こんなこともやっておられたのですね!

CMのピアノ演奏(演奏風景はありませんけど)

<あなたの幸せと健康を願い、一緒に人生を歩んでいく様子を表現しています。桑田さんの奏でるオリジナル楽曲は、穏やかなピアノの旋律で、主人公にそっと寄り添う“あの人”の存在を表現 しています>

 

桑田氏は、現役時代、右肘の手術のリハビリの一環としてピアノを習得したことで有名なのだそうです(知らなかった・・・汗)。個人レッスンを二年間重ね、腕前はなかなかのものとか。(・・なかなかのものです、ほんと)。

以下、ネットニュースからの引用です。

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■ 撮影エピソード

<スタッフ全員が感嘆したピアノ演奏と集中力>

ピアノ演奏の収録は、WBC日本代表の宮崎キャンプ取材で多忙を極める中、スケジュールの合間を縫って行われました。収録場所は、宮崎市内にある理想的シューボックススタイルのクラシック音楽専用ホール「アイザックホール」。収録当日、ホール始めて訪れた桑田さんは、その広さと豪華さに驚きを隠せない様子でした。しかし、ステージ上に置かれたグランドピアノに座った瞬間、顔つきはピアノ奏者そのもの。演奏収録は数時間に渡り行われましたが、桑田さんの演奏技量と集中力に会場にいたスタッフは感嘆しました。

<垣間見せるピッチャー魂>
収録の合間には、周囲のスタッフと数日後に迫ったWBCについての話に花を咲かせる場面もありました。大きなホールでの収録に、緊張感溢れる中、時折、強張った上半身をほぐすために、シャドーピッチングをするなど、現役時代さながらの「ピッチャー 桑田真澄」を垣間見ることができました。

<桑田さんらしいスタッフへの気遣い>
収録当日、桑田さんのピアノ演奏指導という大役に緊張していたインストラクター榊原明子さんからはこの様な感想が聞けました。「桑田さんのピアノのご指導という(…より横で応援させて頂いただけですが…)、大変光栄なことながら重要な役割に緊張しました。時折そんな私を気遣ってくれたのか、かけてくれる優しい言葉に安らぎました。そして、何より桑田さんのピアノに真摯に向かう姿勢やお人柄に触れることができ、とても感動いたしました。」

■ 桑田真澄さんコメント

-CMを見て
「人生の奥深さを感じました。人それぞれの生き方、出逢い。一生を終えるまでの間に経験する、喜怒哀楽を60秒の中に上手く表現していると思います。私も今を精一杯生き、いい人生を送りたいです。」

-野球とピアノの共通点
「野球にはバット、グローブ、ボールという道具が必要です。そしてピアノの演奏にはピアノという道具が必要です。いい結果を出すためには、演奏者の努力の他に、いかに道具と自分が一体になるのかがポイントなのではないでしょうか。」

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ぜひ演奏動画も拝見したいです。

 


3月の気になる舞台、映画

2013年03月05日 17時26分47秒 | 見る・読む

まずはこの舞台。「ホロヴィッツとの対話」。

以前、フランツ・モアさんの書かれた本を読みとてもおもしろかったので、期待してます。

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三谷幸喜作。ピアニストと調律師の、ある一夜の会話を描いた人間ドラマ。12年ぶりの舞台出演・渡辺謙、初舞台の和久井映見と話題は尽きない。

三谷幸喜の書き下ろし新作舞台を生中継する。2007年の「コンフィダント・絆」、2011年の「国民の映画」に続く海外芸術家シリーズ第3弾のモデルは、20世紀のピアノの巨匠、ウラディミール・ホロヴィッツ。
調律師のフランツ・モアを演じるのは、12年振りの舞台出演となる世界的名優・渡辺謙。彼の妻・エリザベスには、本作が初舞台となる和久井映見が挑む。天才ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツは舞台「国民の映画」でも好演した段田安則。その妻・ワンダには、三谷作品初登場となる高泉淳子という豪華キャストが出演

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行けないから見られない~~と思っていたなら、なんと3月30日(土)5時50分よりwowowで生中継があるという(驚)。

詳細はこちら→http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/102962/index.php

 

もうひとつは、映画「愛 ラムール」。

こちらは3月9日(土)より全国公開。広島ではたかのはしのサロンシネマ。

<あらすじ>パリの高級アパルトマンで悠々自適の生活を送る音楽家の老夫婦、ジョルジュとアンヌ。しかしその生活はアンヌの急な発病で暗転する。入院したアンヌを、本人の希望により自宅に連れ帰ったジョルジュは、家で介護する事にするが、アンヌの病状は悪化する一方。看護師に加え雇ったヘルパーに心ない仕打ちを受けた二人は次第に孤立していく。娘のエヴァが心配してアパルトマンを訪ねてみると、そこには憔悴したジョルジュがいた…。

 


都炎上なう

2012年10月31日 20時10分46秒 | 見る・読む

今年はドビュッシー生誕150年とか、ジョン・ケージ生誕100年&没後20年とか、いろいろあるのだけれど、

文学の世界では、実は『方丈記』(鴨長明)成立800年であるらしいです。ということは1212年に書かれたということになりますか。

先日テレビで延々特番らしきものをやっていたので、いったいなんだろう??と思っていたのですが、どうもそういうことのようです。

先日買った某週刊誌に、「800年記念 マンガ方丈記」なるものが11ページにわたって掲載されていました。

 

ババーン!(以下某週刊誌より)~~~~~~~~~~~~~~~~

<鴨長明は、京都下鴨神社の最高責任者の子として生まれたが、18歳のころ父親と死別し、あとを継ぐことはかなわなかった。以降和歌や琵琶などに深く親しみ才能を発揮したという。

そんな長明が生きた平安末期から鎌倉という時代は貴族から武士の世へと変わる過渡期。

さらには、度重なる災害の時代でもあったのだ。>

<もし当時ネット環境があったらきっとリアルタイムで発信していたに違いない。ツィッターで現場からつぶやいていたかもしれない。>

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・・・・という具合で、つい最近『方丈記』全文を読んだばかりの息子も爆笑。「いやあ、ウソ書いてないし。まとめちゃうとそういうことだし」と。

鴨長明は1155年生まれ。1185年、31歳のころに賀茂川のほとりに移住(「三十余りにして、さらに、わが心と、一つの庵を結ぶ」)。方丈記は1212年、58歳のころに執筆。

なので、実際はツィッターというよりは、回顧録のような書き方でありますが、非常にリアルに描いてあるのは、その時々に書き留めたものがあったのかもしれません。

800年記念にぜひご一読を!


「地獄変」を読む

2012年08月17日 01時48分14秒 | 見る・読む

夕方くらいに(日付変わったので昨日になります)、真空パックされた白玉ぜんざいを食べたら、

白玉を食べたとき、舌にぴりぴりっ、てきました。これって、炭酸入りか?と思ってもう少し食べたら(そんなわけない・・・)やっぱりぴりぴりして、やっとのことで、「これはおかしいのでは?」と気がつきました。

これは小袋が3つ入りでしたので、ほかのを見てみたら、そのうちひとつはパンパンに膨れ上がっていて、よーく見たらば、白玉にカビが生えてました。

これはですね、賞味期限切れのものではないんですよ。期限は、余裕で来年の4月です。

賞味期限切れのものを食べるときはそれなりに用心しますけど(・・その前に食べるなよ・・・)、さすがにノーマークでしたね。

もともと冷凍食品だったものを冷蔵庫に移して、たぶん1週間以上にはなるので解凍に問題があったのかもしれませんけど、ぴっちりパッキングされててカビというのはどうなん?・・・ってとこです。

幸いにして、今現在どうもありませんけど・・・・。

日本の各地で食中毒出てるみたいなので、みなさんもお気をつけて。

 

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さて、珍しく読書です。

娘に買ってやった芥川の短編集。・・・さすがにこれは現代語訳ではなくて、原文です。

自分所有の文庫本は、活字は小さいし、紙は煮しめたような色になってるしで、到底読む気がおこりません。子供用は何がいいって活字がデカい。・・・最近、本を読む気になれなかったのは、小さい字に抵抗があったせいだったのか・・・・orz

で、何を読んだかというと、「地獄変」です。別にお盆だから、というわけはなく、たまたま収録されていたもんで。

たしか元ネタは「今昔物語」「宇治拾遺物語」の両方に出ている、<絵仏師良秀の話>で、そちらはそちらで読んだことあるんですが、

その話に比べると、芥川の「地獄変」はすさまじく大変なことになっていて、身の毛もよだちますけど、これの登場人物それぞれ、みんな頭おかしくないか・・・と突っ込みたくもなります。

この作品は、芥川の「芸術至上主義」をよく表現しているものといわれてますし、私も子供のころ読んだ印象が強烈すぎて、「芸術家」のイメージはこの良秀に支配されていることを今さらながら感じたわけです。

 今回読んで、とくに「ええ~っ」と思ったのは、人々に慕われている一方で、信じられないような非道を思いつく堀川の大殿。為政者のタイプのひとつと言えばそうかもしれませんけど、

「オカシイ」点においては、人には嫌われ、変人の極みを尽くしている良秀の上をいくかも。

そして、その「社会性・人間性ゼロ」みたいな良秀に仕える弟子たち。「地獄変」という絵の細部にリアリティを持たせるために、モデルとして「いったいなんのプレイですか??」みたいことをさせられ、半死半生の目に遭う。

良秀の娘については、キャラクターがいまいちナゾ。・・・・・もう一回読んでみなければ。

さらに、古典文学ではおなじみ「横川の僧都」まで登場してるんですね。

でもなんといっても、この作品に書き込まれた芥川の執念みたいなものが、一番おそろしい。おそろしすぎる・・・・

 

芥川龍之介:1892年生まれ、1927年死去。享年35歳(満年齢)。「地獄変」が書かれたのは1918年(満年齢で26歳?) 

 


夏休みの読書

2012年07月28日 22時53分51秒 | 見る・読む

早起きかなわず、オリンピック開会式の録画を見たのは夜に入ってから。

遠くの花火大会をチラチラ見つつ、の鑑賞でしたが、ところどころ「おおっ、こんな人物が~」とか「こんな曲が~」とかいうポイントがあり。

ちゃんと見るのはおそらくは明日の夜になるだろう旦那へのネタバレを避けるため、いちおうここでは詳しいことはやめときます(笑)。

ニュースその他でまあバレちゃうでしょうけど、ヲタは細部に宿る・・ということで。

 

だんだん暑くなってきたな・・とは思うものの、まだ終日外を歩き回ったなどの過酷なことをやってないので、あまり実感はないです。

本日は終日娘のつきあいで終わりました。

朝からヴァイオリン、デパート(猫グッズ展)、本屋、映画の間の荷物番(娘と友人のみで鑑賞)、・・・などなどで、ほぼ一日終わり。

そういえば昨日も子供たちの不要な本の仕分けをして終わったような気がする・・・・。

さて、夏休みの読書です。すでにお兄ちゃんからのおさがりかれこれで本に埋まって生活しているような娘ではありますが、以前から私「星の王子さま」を薦めておりました。

それを覚えていた娘が、本屋で持ってきたのが、これ。

訳者も存知あげておりますし、サイバラ先生の絵はすばらしい。すばらしいのですが、・・・オモシロ過ぎる。

娘もチラ読みしてて「いい話だなあ~、と思うんだけど、絵が気になって気になって仕方ない」と笑ってます。

オリジナルは実家に新書も単行本もあるはずなのですが、娘がこのサイバラ版をインプットしてしまう前にどうしても見せたい。

・・・で、探しましたよ、本屋2軒回って。それが懐かしのこれ。

やはりこれです、原典版。内藤濯訳。それにしてもこんな鉄板の先行版がありながら、これを再訳されるプレッシャーたるや、いかに。この夏は私自身も、絵比べ、訳比べ(といっても元のフランス語がわからないので比べようもないですが)で楽しみたいと思います。

フランスつながりで買ったのがこれ↓(中古105円・・・名作で状態もいいのになんだか申し訳ない)。

「レ・ミゼラブル」でなく、いまだに「ああ無情」なのがしびれます。だれかいつ付けた邦題なのか気になりますね。

・・・・・知りたいですねえ・・・

これは1902年(明治35年)、黒岩涙香氏によって、このタイトルで日本に紹介されました。1902年ですよ・・・・まだ日露戦争も始まってない。

同じようにものすごい邦題がついているのに「岩窟王」(アレクサンドル・デュマ作)があります。この原題は「モンテ・クリスト伯」のはずなんですが、誰がこんなごついタイトルを?

実はこれまた涙香先生なんですね。「ああ無情」より前に訳されてるようです。

たしかに「レ・ミゼラブル」や「モンテ・クリスト伯」では、思わず手にとって読む人は少ないかも。

このセンスはなんといいますか・・・・週刊誌や新聞の見出しっぽい(汗)。

お恥ずかしいことに、調べるまでとんと忘れていたのですが(・・・・学生時代の師匠が存命だったら叱られそうです)、黒岩涙香は「万朝報」の発刊者、そしてこれらの小説は、そのタブロイド紙に涙香節で連載された翻訳というか翻案もの(フランス語から訳されたものなのか、英語からなのか私にはわかりませんが)であった、というわけです。

「万朝報」は当時のスキャンダルもバンバン載せていて、涙香はいわゆる「三面記事」の生みの親でもあったようですので、そうなれば、これらの邦題のセンスも納得です。

そしてそれがいまだに、小学生向けの文庫のタイトルとして生き残ってるのもすごい。楽しすぎます。

 

で、調子にのって、新本、中古本合わせて買ってしまったのがこれ。

どうです、「舞姫」。鷗外先生もびっくりの表紙です。

最近チラチラ書店をのぞくに、漱石は大人向け・子供向けともに、本文は原文のまま、注がどばーっという感じでなんとかなってますけど、

鷗外は大人向け・子供向けともに「現代語訳」のものが出ています。たしかに息子も「舞姫」を素で読んでくじけかけてました。たしかに難しい。わからない言葉が多すぎます。

ところで、こちらのファンシーな表紙の「舞姫」の訳は、森まゆみ氏。あるつながりで私以前から一方的にお名前は存知あげており、鷗外を訳されるには実に適任、と迷わず手に取り買ってしまいました。

まだぱらぱらっとしか読んでませんが、逆にいかに原作が「スジ」でなく、こてこての漢語調擬古文(?)で読ませていたのかがわかります。

「石炭をば早や積み果てつ。」 → 「燃料の石炭はすでにつみおわった。」

冒頭の一文。いや、たしかにそうなんですけどね、まったくその通りなんですけど、なんとなくやるせないような情緒が現代文ではなかなか漂わないんですね。

こちらもひさびさに楽しめそうです。

あとの2冊のうち、「怪談」は娘のリクエスト、「ビルマの竪琴」は私の好きな本なので買った次第。

 子供と一緒に、まるで「なんとかの100冊」みたいな名著を読む休みになりそうです。 


音楽について書くことは

2012年07月16日 23時31分22秒 | 見る・読む

本日の朝日新聞、「惜別」のページに音楽評論家の故吉田秀和氏についての文章がありました。

冒頭の文章を下に引用いたします。

「 音楽家は、言葉からこぼれ落ちる思いを音にする。その音の数々に追いすがり、ふたたび言葉へと導く。音楽について書くことは、永遠に矛盾を追うようなものだ。その矛盾と心豊かに戯れた、不世出の才人だった。」

・・・・・名文であります。じーんときました。吉田秀和氏はもちろん不世出の才人なのであるけれど、この文章を書いた方もまたすばらしい。そして、私はこの書き手の文章をこれまでも実は何度も拝読しております。

書き手は・・・・・朝日新聞記者、吉田純子さん。

非常に印象に残る音楽評を書かれる方で、これまでも彼女の知識・感性、そして文章力に心より脱帽していたのですが、今日はついに辛抱たまらなくなり検索してみました。

このような方でした。→ 音大へ行こう

初めて、お写真それにプロフィールを知ったのですが、非常に好感を持ちました。これまで文章から受けていた印象ぴったりな感じ。それにしても、音楽だけでなく、いろんな分野を担当されてきたのですね。

上記のリンク記事(インタビュー)のなかで印象的だったのが次の部分です。

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吉田:そう。それに音楽業界の人間よりも一般の聴衆のほうが実は時代の風を鋭く感じている時がある、と私は思うんですよ。それを感じたのが漫画『のだめカンタービレ』(※1)のときだったんですね。この漫画が1巻か2巻発表された頃、私は「これはニュースになる」と確信して記事にしました。『のだめカンタービレ』という漫画はすごい漫画で、いわゆるみんなが知っているような有名な作曲家の曲はほとんど出てこない。いきなりバルトークとかですから。それで当時、東芝EMIが関連CDを3000枚発売して、即完売したんですが、それ以上は契約上作れなかったんですね。それで私は、もったいないことをしたと記事に書きました。それから1~2年経ってブームが起こりましたが、一番反応が遅かったのは音楽業界だったのです。ようするに音楽業界は「モーツァルトを聞かせておけばお客さんは喜ぶもの」と、お客さんの敷居はいつも下げてあげないといけないと思いこんでいるんです。そこを『のだめカンタービレ』は、敷居を下げずにクラシックの魅力を真正面からぶつけてきた。そのことに業界は気付かなかった。でも読者はすぐに気付いた。業界の中に居すぎると、感度がよくなくなるんです。だから、普段業界内で言い合っているようなことが自分の常識にならないように気をつけないと、自分が書きたいものが書けないと私は思っています。

― ― そういう立ち居地のようなものは、新聞記者にとってとても重要な気がします。

吉田:どこにも寄っちゃいけないんですね。そして入れ込んでもいけない。個人的には、この人を応援したいとか、この音楽が好きというのはあるべきですけど、説得するには、客観性が必要です。そのうえで、そのうえで、対象に対する愛情もなくてはいけない。

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・・・・・なるほど。

ピアニストとしても伴奏等のお仕事をされているようで、このあたりも、印象深い音楽評につながっているのかな、と思います。

音大へ行かれたことの意味・意義もきちんと説明されていて、ひとつひとつの言葉に説得力があります。

これからも読んでいきたい記者さん、いや文章家のひとり。 


こわい話

2012年07月01日 01時14分47秒 | 見る・読む

なんと7月になってしまいました。今年の後半に突入です。

昨年にくらべると、社会的にも個人的にも、前半比較的平穏に推移してきた感じはありますけど、さて夏以降はいかに。

 

さて、今、娘は「こわい話」に目がなく、週1回の造形教室にも、「こわい話」交換に行ってるのではないかというくらい。

交換というからには、ほかにもハマっている子がいるということであり、お互いネタ仕入れに余念がありません。 

 

写真の本は、あすなろ書房から刊行されている「中学生までに読んでおきたい日本文学(全10巻)」です。

1冊1800円(+税)なので、安いものではないですけれども、メジャーなものマイナーなものとりあわせて、非常に質の高い短編が収録されておりますので、投資価値ありと見て、少しずつ買いためております。

「中学生までに」とありますけど、これは子供のためではなく、自分のための買い物です。

「こわい話」ですが、<萩原朔太郎、夏目漱石、内田百、江戸川乱歩、半村良、坂口安吾、中島敦、岡本綺堂、菊池寛、志賀直哉、夢野久作、星新一、島尾敏雄、山川方夫、太宰治>が目次に並んでます。

山川方夫あたりが入っているというのも、なかなかマニアックでいい感じです。

この本を手にとった娘、最初の作品でいきなりの「?」マーク・・・・

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蛙の死

                         萩原朔太郎

蛙が殺された、

子供がまるくなつて手をあげた、

みんないつしよに、

かはゆらしい、

血だらけの手をあげた、

月が出た、

丘の上に人が立つてゐる。

帽子の下に顔がある。

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「これって、どういうこと???」

・・・・・・どういうこともなにも(笑)。

ひさびさにたまらないです、朔太郎(いちおう卒論・・・汗)。

絵的にも、字面的にも、その他いろいろ、すごすぎます。

 

「さまよえるオランダ人」伝説をそらんじているような変な娘でも、

さすがにこれはピンとこなかったか、というかこなくてほっとしました(笑)。


筒井筒

2012年06月19日 20時35分07秒 | 見る・読む

ご存じ、「伊勢物語」の中の第二十三段。

なんだ、古文か~と回れ右することなかれ(笑)。もちろん現代語訳でいきます。

 

【伊勢物語/筒井筒:第二十三段】(第二十二段のものもあります)
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昔、田舎回りの行商をしていた人の子供たちが、
井戸の周りに出て背を比べて遊んだりしていたが、
成人し大人になったので、
男も女も互いに顔を合わせるのが恥ずかしくなっていたけれど、
男は「彼女を是非妻にしたい」と思っていた。
そして女は、「彼と結婚したい」と心に決めていて、
親が見合いさせようとするけれど、耳を貸さなかった。
そして、この隣りの男のところから、こんな歌が送られてきた。

《筒井筒井筒にかけし まろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに》

『筒井戸のその井戸枠と背丈比べをしたわたしの背丈も、
今では、その枠をすっかり越えてしまったようです。
あなたにお会いしないうちに。』

女も返しの歌を送った。

《くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき》

『あなたと長さを比べてきました振り分け髪も、今では肩を過ぎてしまいました。
あなたのためでなくて誰のために髪上げをしましょうか。』

などと歌のやりとりを続けて、とうとう念願かなって結婚したのだった。*************************************

ここまではいいですか?うるわしい幼馴染同士の愛ですね。

次いきます。

 

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しかし、結婚して何年も経つと、妻の親が死に、生活が貧しくなった。
一緒に貧乏暮らしをしているわけにもいかないので、行商に出ているうちに、
男は河内の国、高安の郡に、通って行く女ができてしまった。**************************************

当時の生活形態なのでしょうけど、女の親が亡くなってしまって、

ようやく働きだした男です。なのに、ほかに女を作ってしまったという・・・

 

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そんな状態なのに、女は男の行動を憎んでいる様子もなく、
男の身支度をさせて「いってらっしゃい」と笑顔で送りだす。
こんなにされると、男は「妻は浮気心でもあって自分を送り出しているのだろうか」と不審に思い、
河内へ行ったフリをして庭の植え込みに隠れて様子を伺っていると、
妻は綺麗に化粧をし、もの思いにふけったように歌を詠んだ。

《風吹けば沖つ白波 たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ》

『風が吹くと沖に白い波が立つ、その立つという名を持った
龍田山を、夫は一人で越えているのでしょうか。』

それを聞いた男は、妻をこの上なく愛しく思い、河内へ行くのをやめてしまった。
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綺麗に化粧して歌を歌を詠むといいのか・・・・・

それも、自分のことは棚にあげて、妻の浮気を疑っていたわけで。

 

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たまに例の高安に来てみると、女は最初は奥ゆかしくつつしんで化粧もしていたが、
今は気を許して、垂れ髪もぞんざいに巻き上げ、面長の嫌な女の姿になって、
自分でしゃもじを手に取り、ご飯を盛っているのを見て、
男は嫌になってしまい、行かなくなってしまった。*****************************************

愛人のほうは、身なりかまわず、自らご飯を盛っていたので、

男は嫌になったらしい・・・・

 

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男がこんな感じなので、女は、男の住んでいる大和の方を遠く眺め、

《君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも》

『あなたがいらっしゃる辺りを見ながら、過ごしております。
どうか雲よ、あの生駒山を隠してくれませんように、
たとえ雨が降っても。』

と歌を詠んだ。
やっとのことで男の方から「行くつもりです」と言ってきた。
女は喜んで待っていたが、何度もすっぽかされてしまったので、

《君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る》

『あなたが来ようとおっしゃった夜が来るたびにお待ちしますが
あなたは来ず、むなしく過ぎてしまうので、当てにはしないものの
恋しく月日を過ごしております。』

と健気なことを言ったが、
男は結局この女のところへは通わなくなってしまったのである。
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う~む・・・

結局、男は女にあきたというわけである。

ストーリー的には、「一時期愛人に走ったことにより、本妻の良さに目覚めて戻った」というめでたしなものですけど、

なんだか腹が立つのはなぜ・・・

当時は一夫一婦制ではないので、男の行動そのものはとくに咎められるものではないのだけれど、

古文の話って伊勢物語に限らず、突っ込みどころ満載で、「納得いかない」ことばかり。

納得いくわけもないんですけどね。

・・・・・オモテ出ろ、色男。 


過去記事リバイバル: ラヴェル

2012年06月17日 22時32分59秒 | 見る・読む

下の記事は2006年3月12日にこのブログに書いたものです。

今と違って、とてもマジメに書いてます。

暗い内容ではありますが、参考のために、今一度貼っておきます。

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録画していた「ラヴェル その病と苦悩」を見た。

ゴーゴリは叫びながら死んだ
ディアギレフは笑いながら死んだ
しかしラヴェルは生きながら死んでいった 最悪の死に方だ
               ------ストラヴィンスキー


という強烈なイントロで始まるこの番組は、
ラヴェルの晩年の病について、ドキュメンタリーと再現ドラマを織り交ぜて詳細に語る。

ラヴェルは57歳の時、タクシーに乗っていて交通事故に遭う。
その後、原因不明の脳の病に悩まされ、
62歳の時には当時ほとんど成功例のないような脳外科の手術を受ける。
が、9日後に死亡。

脳の病の主な症状は「他人の言っていることは理解できるし、自らの思考能力にも衰えはないものの、自分の意思は断片的にしか伝えられない」というものだったという。
これは作曲においても同じ症状となってあらわれ、「頭の中に曲はあるのだけれど、楽譜に表現できない」というまことに悲惨極まりない状況におかれた。

1930年代当時、脳外科手術はまだまだ発展の途上にあり、成功率は少なかった。
医者も「ラヴェルだからこそすすめる。万が一にでも奇跡が起これば・・」と弟子たちやラヴェルの弟に相談したそうだ。
一方ラヴェルも「音楽あってこその命」だったため、治療法という治療法を試し万策尽きたため、万が一にかけて手術台にのったのだという。

当時、全身麻酔は脳の手術には使われておらず、脳そのものは痛みを感じないというものの、その他の処置時に非常に苦痛を伴なったらしい。
しかし、それもむなしく・・・・・・・

ラヴェルは大変作曲に慎重で、残された作品は多いほうではない。
だが、しかし作曲した作品のすべてが今でも演奏されているのだという。
こういう作曲家は他に類をみないということだ。

そのラヴェルに弟子がたずねた。
「先生がもし亡くなった時には、どんな音楽をかけてほしいですか?」
「簡単な質問だ。ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』にしてほしい。
あらゆる曲のなかで、もっとも完璧な曲だからね」

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