~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

小学校卒業式

2015年03月20日 14時13分03秒 | 家族・友人等

 

暑くもなく寒くもなく、いかにも春らしい日、娘(小学校)の卒業式がありました。

どうも、7年前の息子のときは、春の嵐だったもよう。ひさびさにその時の記事を読んでみると、

当時幼稚園年少だった娘はいちいち超絶リアクションをかましていたようでありまして、

その娘が、このようにちゃんとおすわりして卒業証書をもらう日がくるとは・・・・

こうしてみると、子供がこの世のものと思えないようなオモシロさを発揮するのは、長い一生からみるとほんの一瞬、光陰矢の如しでございます。

 

さて、卒業式です。

1週間くらい前になって、慌てました。・・・・服がない。

いや、厳密にいうとお古やら手持ちやら、あるにはあるんですが、どうやら周囲のチョイスとずれている悪寒。

ネットでいろいろ見てみたら、基本的にAKBっぽい服っていうんですかね(おばさん、よーわからん)、えっと短めのチェックのスカートに紺系ブレザー。

そもそもが年中ベージュか茶系の服ばかりの娘、紺系なんか着るんか?

私だったら、「別になんでもいいじゃん」と袴でもなんでもカマすんですが、今の小学生女子のこういう横並び的シバリは想像を絶する。荒れ荒れ学級であまりいい思い出もないだろうに、最後の最後、親の手でトドメを刺すわけにもいかない。

・・・というわけでですね、14日(土)、バイオリンのレッスンと夜のコンサートの隙間時間、デパートにGOです。

でも某デパートにはなかった。というより「もう」なかった。

仕方なく、そのデパート近くの専門店の大人向けのお店に入ったら・・・・ありました、ありました!! 娘が一発で気に入るやつが。あってよかった、お金とお店(涙)。

そんなこんなで迎えた当日ですが、服装に関していうと、「世間並みにしてよかった」です。2~3人、ワンピースとか柄のはいった服とかいましたけど、あとは紺系ブレザー上下か、たまにベージュ系ブレザー。もともと私服の学校なのに最後は制服??って突っ込みたくなるくらい、似てました。男子もほとんどがスーツにネクタイ。息子の時は、次に入る中学校の制服とか、セーターにベストとか、セーターにブレザーとかいたように記憶してますし、実際写真みてもそうなんですが、今回はフォーマルでちょっと早い成人さんみたいでした。

それから、「息子のときはそんなのあったっけ?」ということがもうひとつ。

娘が「ランドセル背負っていく」というんですね。「なんで?」ときいたら、「寄せ書きしてほしいから」というわけです。私はてっきり色紙と筆記用具をランドセルに入れていくんだと思ってましたら、違うんですね。式後帰宅する子供たちの背中には、耳なし芳一状態のランドセルが(笑)。男の子の黒のランドセルはどうするんだ?と思ってみてみたら、こちらは白等で書いてある。なるほどね~~。6年くらい前に女の子で何人かそういう事をする子がいて、それがどうも広まって、今では多くの子がやるようになったみたいです。

式そのものは、入退場時に5年生が演奏するリコーダーがよかったですねえ。「よろこびの歌」「ラヴァーズコンチェルト」「つばさをください」「カノン」「威風堂々」(・・・だったと思う)、など習った曲を吹くんですね。なかなか上手でした。  

証書をもらう間には「トロイメライ」「カヴァレリアルスティカーナ間奏曲」「ふるさと」「バッハのシチリアーノ」「主よひとの望みの喜びよ」などなど流れましたけど、一番長時間かかってたのが「アルビノーニのアダージョ」で、なんかもしかしてこれって7年前も流れてなかったっけ?と思って日記をみてみたら、やはり・・でした。しめやかで(?)、やたら印象に残るんですよね、この曲。(ちなみに開式以前には「ジークフリート牧歌」が流れてました)

とにもかくにも、無事に終わってよかった、卒業式(泣)。

私も、息子6年、1年おいて、娘6年、12年お世話になった小学校ともこれでおつきあいが終わりです。

委員も3年やったし、十分お世話になったし、お世話もしたし、思い残すことはございません(笑)。ほんとにありがとうございました!!


ゴールデンウィーク終了

2014年05月06日 23時37分33秒 | 家族・友人等

あっという間にゴールデンウィーク終了です。

私は27日(日)に弾き合いをやったあと、5月10(日)に本番を控えてまして、そう遊んでもいられなかったのですが、映画はなぜか2本観に行きました。

ひとつは「テルマエ・ロマエⅡ」で、娘のバイオリンのレッスンのあとにふたりで。

もうひとつは「アデル、ブルーは熱い色」(2013 フランス)を一昨日ひとりで。

後者はたまたま、Youtubeで映画予告をランダムに見てましたら、アンテナに引っかかりました。「おお、見てみたい」と思って探してみたら、なんと今現在市内で上映中だという。

昨年のカンヌ映画祭でパルムドール受賞だそうですが、3時間の作品でかつR18。

女性同士の恋愛の話で、かなりのシーンがありますので、「みなさんぜひご覧ください」とは申し上げにくいですが、

授業でふっと『クレーヴの奥方』が出てきたり、どうってことない女の子同士の会話でサルトルが出てきたり、「画面いっぱい顔」のカメラ使いとか、ひさびさに見終えてからも引きずってます(笑)。

昨日、今日と、これ関連の動画を探して見ているのですけど、日本語字幕のものなんかほぼない。インタビューのフランス語のものがわからないのは当然としても、英語のものくらいわからないかな(でも30分ある)と思うのですが、これがほんと雰囲気しかわからず・・・悔しすぎる(泣)。あんまり悔しいので、ヒマがあったら流してますけど、20年以上英語やってないに等しいので、おいそれとは回復しません。・・・・・というくらいある女優さんに惚れ込んでます(笑)。

 

さて、娘のほうは3日から本日6日まで、関東の祖父母のうちに行ってまして、これはこれでずいぶん楽しんだもようです。

これは娘からの私へのお土産。グソクちゃんです。

本物はなかなか手放しで「かわいい」とは言いにくいですけど、これならいけるかも。よく見ると、けっこう細かい作りになってます。(デカく見えますけど、掌にのるくらいの大きさです)

 


3→5→8

2014年04月01日 22時19分33秒 | 家族・友人等

なんだかどんどん日が経ってしまい、なにをしたんだか自分でもFBやmixiを振り返らないと訳わかんない状態。個人のメモがわりに使われているSNSもいい迷惑です、すみません。

今日から消費税が8%になりました。

それはよーくわかっていますし、別に駆け込みで焦ってなにかを買ったということもないのですが、今日電話でお水を頼んだら、「本日より消費税が8%となりましたので、〇〇〇円となります」と言われたとき、「・・・ちぇっ、昨日頼んどけばよかった」という心の声が勝手にでましたね、・・・しょせんコモノです。

日本で初めて消費税というものが導入されたとき、私デパートに勤めておりましたが、それから、年月を経て5%、8%・・と。

「3%の消費税が明日から始まるって前の晩、それはもうプライスカードの書き換え、並び替え、貼り札の付け替えなどなど、大残業でね~」というような話を、子どもたちはまるで、明治維新の話でもきくような顔(・・ってどんな顔?)できいておりましたけど、彼らからすれば、たしかに歴史の証人みたいなもんなでしょう。

そういう話に感銘を受けたのかどうか知りませんが、日付も変わろうという頃、子供ふたり連れだって近所のコンビニに行ってきたもよう。

そしてゲットしたのがこれらしい。

税抜き価格100円のコアラのマーチをそれぞれが手に取り、0時をはさんでレジに並んだ模様。

片方が23:59ならわかるけど、なんでふたりとも0:00で値段違うん?ときいたら、どうも0;00以前に並んだ人は5%の税だったとか。大変ですね、コンビニも。

しかも、歴史的瞬間(?)に立ち会いたいがために、仕事増やす子供までいるし・・・。

というわけで、とりあえず今日は消費税アップの話題のみで。

室内楽セミナーの記事やダイオウイカの写真も忘れないように近々にアップします(・・する予定、いやしたいな、と)。

では。

 


3月半分すぎたっ

2014年03月15日 17時16分27秒 | 家族・友人等

今日はそこそこ暖かいですけど、昨日までの1週間はおおむね寒かった。種類によってはサクラも咲いてますけど、まだまだお花見という気候ではないような気がします。

ところで、この1週間、私はなにをやっていたのでしょう・・・。8日以来のことを走馬灯のように(?)振り返ってみましょう!

・中学生~大学生の弾き合い会に参加し、

・(打ち合わせと称した)飲み後の二日酔いで2キロ減量、

・息子入試の合否の否がわかり、

・10日間1ミリも練習が進んでいなかった娘を防音室にて大説教、

・連弾の合わせは結構進み、

・震度4だか5だかの地震が深夜にあり、

・調音パネルの取り付け完了、

う~ん、なんて平凡な1週間(笑)。

1週間としては平凡ですけど、単品でみると、長期的なことの起点であったり転換点であったり、帰結であったりしてます。(二日酔いは関係ないですけど・・・・。)

まあ、春ですからね、時期的にいろいろあります。(二日酔いは関係ないですけど・・・。)

 

さて、今日15日(土)の午前中は、娘たっての希望で、近くの公民館での「神楽教室」に行ってまいりました。

対象は小学生で、16名限定。15&22日の2回講習。低学年は保護者同伴。

うちはもう5年生なので、送迎だけの予定だったのですが、ちょっとおもしろそうなので半分くらい見てきました。

「天岩戸」を、(これまでに修得した)子供たちがまずはお手本として演じて見せてくれて、その後、今回の受講者が役に分かれて練習し、来週は衣裳をつけてやってみよう・・ということらしいです。

娘は昨年、小学校で神楽の公演を見てから、どういうわけか「かぐらかぐら~~」と言うようになり、

学校での調べ学習でも神楽をやり、そして学校から今回のチラシをもらって「行きたいから申し込んで」と言ってきたんですね。

・・・・・娘、なにに取り憑かれた?(笑)

娘はアメノウズメの役をいただいたんですが、3時間とても楽しかったらしい。

保存会のおじさまとちょっとお話ししたんですが、「何年生?」「5年です」「5年か~、遅いよ。うちなんか幼稚園からやっとるよ」

すみません・・うちの子、昨年まで神楽知らなかったもんで(汗)。というか神楽団へ勧誘されてる?

 


しゅぷれひこーる

2014年03月07日 03時21分28秒 | 家族・友人等

深夜、突然思い出したので・・・・書いておきます。

私、大学生の時に学生寮に4年間おりました。4人部屋だし、汚いし、300人もいるしで「ふつうの生活」とは言い難いですが、でも寮費が月300円とか500円とかだし、寮食が月5000円くらいだったので、卒業時まで居ました。

寮生活のことを書きだすと短編小説くらいの長さになりそうなので、そちらは省きますが(というかいまだに書けないこと多し・・・汗)、その寮で私1年間副寮長、1年間寮長をしておりました。

当時、まだまだ大学自治会長とか寮長という役目はちょっとアブナイ感じというか、「・・で、政治的にどうなん?」というかほりが残ってまして、当時、某大学の自治会長に初めてノンポリ(政治的主張がない、もっというとヒダリでない)の人が就任したらしい・・という時代です。

ちょうど私が寮長の時分に、国公立大学学生寮で次々と寮食堂が廃止になっていってました。予算の関係によるお取り潰しです。

個人的に寮食を毎朝晩食べるかどうか別として、学生の立場としてはこれはなんとか死守しないといけない。・・・・で、大学側と話し合いが始まったわけです。

そういうある日、いきなり女子寮にひとりのオトコが乗り込んできた(玄関というか公共のスペースまでは入っていいんです)。
これが、どうみてもかなりの年上、でもどこかの大学生らしい。頭ボサボサ、ヒゲぼうぼう。「ふだんはもしやヘルメットとゲバ棒ですか?」みたいな(当時でもさすがに<ゲバ棒>は死語に近かった)雰囲気で、「いまや、K寮の寮食堂も潰された!ここが最後の砦です!一緒に戦いましょう!」とかなんとかいってやたらアツい。

別に一緒に戦う気もなかったし、彼がいたからといってなんとかなるような感じもなかったですけど(・・失礼・・)、とりあえず、こちらが学生寮の連盟みたいなものに所属している義理もあり、「よろしくお願いします」みたいな挨拶はしました。

そうしたら、一度、連盟の集会に連れて行かれました。(当時カルト系宗教のホームにさらわれるという事件も多発してましたので、ちょっと構えてしまいましたけど・・・)

そもそも、男子学生(・・・・年齢からしてほんとに学生なのか?という話はおいといて)をこれだけ大量に見ることはないわけですが、もっとびっくりしたのは、今どき(じゃなくて<当時>ですが)、「シュブレヒコール!!」とか「♪ がんばろう~」とかやってること。

(今の若い方たちにはちょっと時代感つかみにくいと思いますけど、私の学生のときは、基本的には、そういう雰囲気ではなかったんですね。300人の寮生のなかで政治活動しているのが1人か2人という感じ。学校によってそれなりに差はあったようではありますけど。)

大学と交渉するのに、くだんの連盟と連帯(?共闘?)するのはあまりプラスにならないような気がしたので、以降はうちの寮役員数名のみで大学と何回か話し合いを重ねて、条件付きで(炊婦さんの雇用費を学生もいくらか負担する)ということで寮食堂はとりあえず存続することになりました。・・・めでたし(笑)。

 

当時いらした寮の事務のおばさん(仲良しでよく飲みにいったりしてました。世話になりすぎて、亡くなられた今でもまったく頭が上がらない・・汗)が、「あなたたちの年代までよ。あんなに寮生が悪かったのは」に言われましたが、いったい何をやっているのかわからないアヤシイ学生もごろごろしていて、でも、妙なエネルギーがそこここに満ちていた、ヘンな時代でした。

・・・・・・と思ってるのは私だけかもしれないですが・・・・


 


卒業式

2014年03月03日 22時51分10秒 | 家族・友人等

どんどん日が過ぎてしまうので、ここで3月1日(土)の卒業式のことを少しばかり。

2次試験が終わってすぐのせいか、なんだか情報が不確かで、何時集合なのか、午前で終わるのか、どうなのか・・・とにかく始まる時間さえわかればなんとかなるであろう、といういい加減さ。

10時開式。入学式のときちょっと出遅れたら、1階席がなく2階に上がることになったので(近所に住んでいて時間ギリギリに出てきた同じ小学校の人たちが固まってました)、今回はそんなことのないように、とかなり余裕で出たのですが、拍子抜け。余裕ですわれました。体育祭などはおじいちゃんおばあちゃんとかまでこられるうちも多いので、それなりに覚悟してたのですが、ほとんどが親のみで、ということは大部分が付き添い二人以内。一家につき人数制限があったのだろうか・・それすらもわかりません(汗)。

キリスト教の学校なので、式の前半では聖歌とかお祈りとか祝福とかあるわけですが、・・ごめんなさい、私聖歌とか全然知りません。そうなることは入学式の時の経験でわかっていたので、同じ系列校出身の主人にも行ってもらってました。そのへんはさすがに昔とったなんとからしく、そつなく隣でやってました。アーメンのタイミングすらわかりません、私(・・恥)。

卒業証書はクラス全員の名前を呼んだ後、各クラスひとりずつ代表が壇上で受け取ったので、4人上がれば終わり。小学校のような延々上がっては下るのを想像していたので、あっという間。簡潔でよろしいです。

6年前の入学式のときはまだまだ黄色い声でしたけど、さすがに子供っぽい高い声はありません。でも本人たちは「受験終わったばかりで(まだこれから後期もあるし)ここのところろくに声なんか出してないし、練習もなしだしで、これで本番声裏返ったりしたらどうしよう」という不安もあったとか(笑)。たしかに、喉がからからになってて「ひゃい~」とかいったら失笑をくらいますよね。

幸いというか残念というか(違)、そういうこともなく、滞りなく式は進み、卒業生代表あいさつもなかなか印象深い。最後近く、「記念品贈呈」。

「ゆるキャラの着ぐるみ一式を贈ります」

「ありがとう。大切に使います」

私たち母親はうすうすきいていたので噴きませんでしたが、さすがにかなりの笑いが起こりました。このゆるキャラは今回の卒業生が高2のとき、文化祭のために考案したもので、ネーミングもデザインもなかなか秀逸なんですが、高3のときの文化祭ではそれの着ぐるみが突如出現したわけです。

「あれ、どうしたの?どこからお金でたの?」ともちきりで、「卒業記念品の前倒しらしいよ」という噂はきいてましたが、さすがに厳粛な式の中で「ゆるキャラの着ぐるみ一式」はだいぶくだけたワードで、インパクト大でした。

卒業式後はクラスごとに外で記念撮影、再び体育館に入って「思い出の映像」上映。これがよくできてました。先生が作られたそうですが・・・。「鮨二百人前事件」も映ってたし(笑)。

その後、体育館内でのサンドイッチと飲み物の立食で、謝恩会がわり(?)。

 

なにはともあれ、中・高校卒業しちゃいました。・・・6年間、あっという間。 


14年ぶりに着た

2014年03月02日 00時05分39秒 | 家族・友人等

3月1日(土)、息子の卒業式。

10日ほど前、「はて、なにを着ていくことか・・」と急に不安になり(というのは、先日父の一年祭で着たブラックフォーマルがちょっときつめであったということから)、友人に「なに着るの?」とメールしてみたわけです。

たまたまその友人が「着物にしようかと考えてます」と言ってきたことで、「おお、そういうテもあったか」と思ったのではありますけど、

前回着物を着たのはいったいいつ???とつらつら考えるに、それは今をさかのぼること約14年前、息子の七五三(五歳)のときのことであったわけで、着物・帯・小物かれこれ、もうなにがどうなっているやら・・・ほぼ発掘に等しい。

それに今から美容院予約できるのだろうか・・・

確定申告と国立2次試験のモンモンにまみれた2月の25日、えいままよ、と美容院予約。

鹿児島に、「泣こかい、飛ぼかい、泣くよかひッ飛べ(泣こうか飛ぼうか、泣くくらいなら飛んでしまえ)」という、一見、勇気を奨励するかにみえながら無鉄砲きわまりないことわざがありますけど、まあ私、基本精神はこれです。

そして、昨日(2月28日)、自分の桐箱と母の桐箱&タンスの発掘作業。

これが・・ない、ないわけです。目指す着物がない。なぜか足袋もきつい、以前使った帯揚げ、帯締めは若すぎる。もうさんざん探して、ついでということもありほかの着物や帯もいちいち畳紙から出してチェックしてみて、やっといろいろ揃った。そして、こんなときに役に立つじゃないか、80超えた母。

今朝は7:50に美容院に行かねばならなかったのにもかかわらず、起きてみたらなんと7:43。前の人が押してましたので結局は待たされましたけど、心臓に悪いったらないです。

着付け師さん、私よりはひとまわりくらい(?)お姉さまとお見うけしましたが、ツボを心得た締め技がすばらしい。緩まず締めすぎず、かつて着付けを習っていたものとしては、もうほれぼれと見とれるばかり。

うっかりタオルを忘れていきましたら、それも都合してくださり、帯も全然苦しゅうないです(笑)。

帯と言えばですね、自分でこう脇の下あたりにくるぞくるぞ~と思っていたら、思っていたよりだいぶ下で、それはそうなんですよね、私が自分自身で着ていたのは弱冠二十歳の頃、まだお嬢さんの着付けだったわけです(14年前たってそれは30代半ばでありますし)。今や、おばさんというか、押しもオサレもせぬミセスであることを実感。

というわけで、卒業式については、また。

 


自分の顔が映るほうがいやだが・・・

2014年02月27日 22時51分47秒 | 家族・友人等

最近気づいたことなんですけど、娘のあとに防音室に入ると、ピアノの譜面台にずらずら~~と楽譜が並べてあるんです。

ピアノを弾いたあとでなくて、ヴァイオリンの練習のあとでもびっしりと置いてある。

私は、練習したあと自分の楽譜をそのままだらしなく置きっぱなしにするタイプ。ほかのことならそういうことは娘は許さないというか大苦情を言ってくるはずなんですが、こと楽譜が置きっぱなしなことについてはなにも言わないどころか、自分の楽譜をその上に置いていたりするわけです。

・・・これはなにかおかしい・・・

というわけで、ある日、わざと譜面台の上をきれいに片付けておいて、練習する娘について入ってみたわけです。

すると、「えっと、譜面台に楽譜をおいて、っと」とやっている。

これから練習するのはヴァイオリンだろうに、なぜピアノ譜をピアノの譜面台に敷き詰めてる?

でなぜなのかたずねてみたところ、「なにか映るのがこわいから」というんです。・・・そういえば、いつもでっかいクマのぬいぐるみを抱いて入ってますねえ、5年生にもなるというのに。

(振り返れば、このマンションに越してきて防音室を作ったとき、息子は4年生でしたけど、これがさっぱり練習しなくなりました。前の家では練習つつぬけで文句も言われてたわけですが、防音室は文句も言われないかわりに一人ぼっちでもある。・・・・これまたビビりでしたから、怖かったのであろうと推察(笑)。)

そういう娘の話を、ある学生さんにしてみたところ、なんと、彼女も譜面台に楽譜を敷き詰める・・という(驚)。

理由は娘と同じ。蓋の裏に手が映るのが怖いのも、ピアノの下が怖いの同じ。

ええ~~、そうなんだ。そんなことあるんだとびっくり。

そりゃ私だって、だれもいないホールで練習してるとき、なにかの気配がしたり、建物がビシビシっと音たてたらびくっとしますけどね。うちの中では別に怖いことないです。

なんかかわいいですねえ~(本人は必死なんだろうけど)。

 

怖かったというかびっくりしたことと言えば・・・昔こんなことありました。

ある病院に勤めていたとき、夜、医局でスタッフと話しこんでおりました。

すると、なんかガタガタっというわけです。でもそこは2階なんですよ、なんだろう・・・

と窓を見上げたら、なんと人が張り付いてたんです。ほぼスパイダーマン状態。

「誰?」とたずねたら、「・・・・患者です」と。

窓といっても、廊下側ではないので、どうやってそんなところにやってきたのかわけわからんです。

さすがにこれにはビビった・・・・おもしろかったけど(笑)。


領土拡大??

2014年02月23日 13時58分57秒 | 家族・友人等

だいぶ暖かくなってきました。これでほんとに春の向かうのかはわかりませんけど、受験生(本日から行きました)には、ありがたいことです。

今日午前は娘のヴァイオリンレッスン。ピアノ弾きにはまず経験のないことですけど、楽器を持ち歩く者はたまーに、交通機関内で見ず知らずの方に声かけられます。

「・・・・それってなんの楽器ですか?」

娘は慣れているからなのか相手が知らないおじさんだからかなのかわかりませんけど、顔色ひとつかえずに「ヴァイオリンです」としれっと応える。

「へええ、バイオリンの形しとらんね。そんなかに入っとるんじゃね」

から始まり、「そういえば、この前テレビ見とったらストラディヴァリの番組やっとって、科学的に分析しても音色の違いはわからんとか、そのまま設計してそっくりに作っても同じにはならんとかいっとったけど、なにが違うんかね~~」という話。

その番組は私も見てましたので、おおいに盛り上がり、そのあとはオーディオ機器の話。スピーカーの中の木材の種類だとかその木材の合板のやり方とか、あと音源ソフトの話だとか。。。こうなるともう私はついていけないのでありがたく拝聴するのみ。そして「オーディオの世界もいなげなもんよ」

・・・いなげ・・・?

そういうば、そういう方言をきいたこともあったし、友人が書いていたこともあったような気がするのですが、思い出せない。娘にきいたら、「きいたことあるし雰囲気はわかるけど説明できん」。・・・えっと、<変な>とか<変わった>とかでいいですかね?

そしてヴァイオリンのレッスン。

今日は、ヴィヴァルディのソナタの全楽章通しだったので、伴奏がてらこの曲には今週私もつきあっていたのですが、カイザーのほうは何をやってるのだかさっぱり。

途中から「えっ?初見?」という感じになってきて(汗)、案の定先生にも「どこまで練習したの?」と止められると、「全部練習しました」というわけですね、これが。

ありがたいことに(というか、申し訳ないというか)、先生「せっかくやったのに、その成果がでてないねえ」とおっしゃり、2小節くらいずつ区切って反復して練習するように言われるわけです。

6年も習ってて、まだざーっと最後まで通すだけの練習しかしてないのは、親も知ってるんですが、本人の自覚がないことには、せいぜいもって三日です(殴)。

なぜか、娘、今日は「ほうほう」と思ったらしい。そして言う事が、

「つまり、発表会前のピアノみたいに『今日はここまで』って、きっちり攻めていくわけね。大和朝廷が領土拡大していったみたいに」

大和朝廷うんぬんのたとえはどうだかわかりませんけど、「今日はここまで」はなにも発表会前だけのハナシじゃないのよっ。でも、今までは言われても言われても逆ギレするばかりだったのが、最近弓だけ持つ練習したり、「こうやったときに音が悪くなる」とか言い始めたのは評価しよう。・・・・長かったよ、ここまで(泣)。 


一年祭

2014年02月03日 10時34分51秒 | 家族・友人等

昨日(2月2日)、鹿児島日帰りしてまいりました。

昨年の2月4日に父が亡くなって早一年、一年祭(一周忌)ということになります。

そうはいっても、もう鹿児島の家は処分してしまいましたし、親戚はいても家族はいない。その親戚も高齢者ばかりで、出かけるのも大変という方がほとんど。

さて、どうしたものか・・・・

神棚のあるこちらで行うということも考えましたけど、墓参り兼ねてやはり鹿児島がよかろう、ではお墓で一年祭やりますか・・・と思ってましたが、寒かったり、雨だったりしたらいったいどうしたいいんでしょう??

とさんざん考えた揚句、2週間前くらいに神主さんに電話でご相談。「では、うちの神社でやりましょう」。

おお~、そういう方法が。てっきり神社というのは、弔い関係は境内立ち入り厳禁と思っておりましたが、1年過ぎて個人があの世に行きついたら神社でも可能ということなんでしょうか。(神社によってそれぞれかもしれません)。

そしてこの写真でおわかりのとおり、この神社はお稲荷さんなのです。今回は母と娘と私の三人だけでひっそり行ってきたのですが、娘はもう大喜び。狛犬でなくて、左右におきつねさまが向き合っておりますし、鳥居も御社も朱が入ってます。

写真奥の建物で祭詞をあげていただいたのですが、新築の御社のようで、白木や金属部分がまぶしいばかり。太鼓はちょっとロックなリズムでしたし、金ぴかの鈴にもびっくり。・・・・さぞかし父も楽しんだことでありましょう(笑)。

その後、デパートでの昼食を経て、お墓参りしてきましたが、全国的な気温上昇のなかにあって、さらに鹿児島暑い暑い。朝着て出たコート3人分が大荷物になり、それでも汗ばむほど。軽く20℃は超えていた模様です。雨にも降られず、ほんとによい一日となりました。

ということで本日は節分、明日は立春です。明日はまた寒波が襲ってくるという予報・・・