N響のコンマス、マロこと篠崎史紀氏の著書「ルフトパウゼ ウィーンの風に吹かれて」を一日で読み終えた。
以下、本文より引用。
<楽員全員が自分のタイミングで入ったように感じているのに、なぜか揃っているという状態に持っていけるのは、コンマスのハンドパワーのようなものである。
もちろん、このパワーには仕掛けがある。
それは呼吸と気であると言ってよい。楽譜には、音符に対してここで必ず息を吸うというタイミングがあり、全員の呼吸と気が揃わない限り、音は合わない。全員一致の呼吸と気がオーケストラをリードしていく。音の合図というより、むしろ奏者たちの呼吸と気を揃えるための合図を出すのがコンマス・ハンドパワーの源といえよう。>
<もちろん音の出だしだけに、こうした全員の意識が集中する呼吸の瞬間があると思えば間違いである。ご存知だろうか、たとえ譜面にはどこにも書き記されていなくとも、ほんの一瞬の「ため」のような呼吸のタイミングがあることを。ドイツ語では「ルフトパウゼ」(空気の休符)と言う。例を出すとするならば、クレッシェンドが高まった後にp(ピアノ)に切り替わる一瞬のタイミングに、風がふっと静まるような「ため」を感じることである。>
マロさま、たまりません。
「呼吸と気」はここのところ私の頭を占めていたことであり、
また「ルフトパウゼ」とは初めて知った言葉ですが、私この一瞬が好きでピアノを弾いてるとも言っても過言ではありません。
クレッシェンドのあとのピアノ、フォルテのあとのピアノ、その直前の「間」・・どうしてあの瞬時の「凪」はかくも心をとらえるのか。
以下、本文より引用。
<楽員全員が自分のタイミングで入ったように感じているのに、なぜか揃っているという状態に持っていけるのは、コンマスのハンドパワーのようなものである。
もちろん、このパワーには仕掛けがある。
それは呼吸と気であると言ってよい。楽譜には、音符に対してここで必ず息を吸うというタイミングがあり、全員の呼吸と気が揃わない限り、音は合わない。全員一致の呼吸と気がオーケストラをリードしていく。音の合図というより、むしろ奏者たちの呼吸と気を揃えるための合図を出すのがコンマス・ハンドパワーの源といえよう。>
<もちろん音の出だしだけに、こうした全員の意識が集中する呼吸の瞬間があると思えば間違いである。ご存知だろうか、たとえ譜面にはどこにも書き記されていなくとも、ほんの一瞬の「ため」のような呼吸のタイミングがあることを。ドイツ語では「ルフトパウゼ」(空気の休符)と言う。例を出すとするならば、クレッシェンドが高まった後にp(ピアノ)に切り替わる一瞬のタイミングに、風がふっと静まるような「ため」を感じることである。>
マロさま、たまりません。
「呼吸と気」はここのところ私の頭を占めていたことであり、
また「ルフトパウゼ」とは初めて知った言葉ですが、私この一瞬が好きでピアノを弾いてるとも言っても過言ではありません。
クレッシェンドのあとのピアノ、フォルテのあとのピアノ、その直前の「間」・・どうしてあの瞬時の「凪」はかくも心をとらえるのか。