10日も更新してないという、これまでにない記録を作ってしまいました。
別に心も体も病んではおりません。大丈夫です。
目下これ↓ にかかりきり。24日(月)~27日(木)が室内楽セミナーで、28日(金)が修了演奏会です。
詳しくは、カンマームジークアカデミーin呉のHP 、カンマームジークin呉のFBをご覧ください。
自分のブログは更新しておりませんが、こちらのFBは毎日更新しております。
また落ち着きましたら、こちらにも感想などつづりたいと思います。
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今日はそこそこ暖かいですけど、昨日までの1週間はおおむね寒かった。種類によってはサクラも咲いてますけど、まだまだお花見という気候ではないような気がします。
ところで、この1週間、私はなにをやっていたのでしょう・・・。8日以来のことを走馬灯のように(?)振り返ってみましょう!
・中学生~大学生の弾き合い会に参加し、
・(打ち合わせと称した)飲み後の二日酔いで2キロ減量、
・息子入試の合否の否がわかり、
・10日間1ミリも練習が進んでいなかった娘を防音室にて大説教、
・連弾の合わせは結構進み、
・震度4だか5だかの地震が深夜にあり、
・調音パネルの取り付け完了、
う~ん、なんて平凡な1週間(笑)。
1週間としては平凡ですけど、単品でみると、長期的なことの起点であったり転換点であったり、帰結であったりしてます。(二日酔いは関係ないですけど・・・・。)
まあ、春ですからね、時期的にいろいろあります。(二日酔いは関係ないですけど・・・。)
さて、今日15日(土)の午前中は、娘たっての希望で、近くの公民館での「神楽教室」に行ってまいりました。
対象は小学生で、16名限定。15&22日の2回講習。低学年は保護者同伴。
うちはもう5年生なので、送迎だけの予定だったのですが、ちょっとおもしろそうなので半分くらい見てきました。
「天岩戸」を、(これまでに修得した)子供たちがまずはお手本として演じて見せてくれて、その後、今回の受講者が役に分かれて練習し、来週は衣裳をつけてやってみよう・・ということらしいです。
娘は昨年、小学校で神楽の公演を見てから、どういうわけか「かぐらかぐら~~」と言うようになり、
学校での調べ学習でも神楽をやり、そして学校から今回のチラシをもらって「行きたいから申し込んで」と言ってきたんですね。
・・・・・娘、なにに取り憑かれた?(笑)
娘はアメノウズメの役をいただいたんですが、3時間とても楽しかったらしい。
保存会のおじさまとちょっとお話ししたんですが、「何年生?」「5年です」「5年か~、遅いよ。うちなんか幼稚園からやっとるよ」
すみません・・うちの子、昨年まで神楽知らなかったもんで(汗)。というか神楽団へ勧誘されてる?
深夜、突然思い出したので・・・・書いておきます。
私、大学生の時に学生寮に4年間おりました。4人部屋だし、汚いし、300人もいるしで「ふつうの生活」とは言い難いですが、でも寮費が月300円とか500円とかだし、寮食が月5000円くらいだったので、卒業時まで居ました。
寮生活のことを書きだすと短編小説くらいの長さになりそうなので、そちらは省きますが(というかいまだに書けないこと多し・・・汗)、その寮で私1年間副寮長、1年間寮長をしておりました。
当時、まだまだ大学自治会長とか寮長という役目はちょっとアブナイ感じというか、「・・で、政治的にどうなん?」というかほりが残ってまして、当時、某大学の自治会長に初めてノンポリ(政治的主張がない、もっというとヒダリでない)の人が就任したらしい・・という時代です。
ちょうど私が寮長の時分に、国公立大学学生寮で次々と寮食堂が廃止になっていってました。予算の関係によるお取り潰しです。
個人的に寮食を毎朝晩食べるかどうか別として、学生の立場としてはこれはなんとか死守しないといけない。・・・・で、大学側と話し合いが始まったわけです。
そういうある日、いきなり女子寮にひとりのオトコが乗り込んできた(玄関というか公共のスペースまでは入っていいんです)。
これが、どうみてもかなりの年上、でもどこかの大学生らしい。頭ボサボサ、ヒゲぼうぼう。「ふだんはもしやヘルメットとゲバ棒ですか?」みたいな(当時でもさすがに<ゲバ棒>は死語に近かった)雰囲気で、「いまや、K寮の寮食堂も潰された!ここが最後の砦です!一緒に戦いましょう!」とかなんとかいってやたらアツい。
別に一緒に戦う気もなかったし、彼がいたからといってなんとかなるような感じもなかったですけど(・・失礼・・)、とりあえず、こちらが学生寮の連盟みたいなものに所属している義理もあり、「よろしくお願いします」みたいな挨拶はしました。
そうしたら、一度、連盟の集会に連れて行かれました。(当時カルト系宗教のホームにさらわれるという事件も多発してましたので、ちょっと構えてしまいましたけど・・・)
そもそも、男子学生(・・・・年齢からしてほんとに学生なのか?という話はおいといて)をこれだけ大量に見ることはないわけですが、もっとびっくりしたのは、今どき(じゃなくて<当時>ですが)、「シュブレヒコール!!」とか「♪ がんばろう~」とかやってること。
(今の若い方たちにはちょっと時代感つかみにくいと思いますけど、私の学生のときは、基本的には、そういう雰囲気ではなかったんですね。300人の寮生のなかで政治活動しているのが1人か2人という感じ。学校によってそれなりに差はあったようではありますけど。)
大学と交渉するのに、くだんの連盟と連帯(?共闘?)するのはあまりプラスにならないような気がしたので、以降はうちの寮役員数名のみで大学と何回か話し合いを重ねて、条件付きで(炊婦さんの雇用費を学生もいくらか負担する)ということで寮食堂はとりあえず存続することになりました。・・・めでたし(笑)。
当時いらした寮の事務のおばさん(仲良しでよく飲みにいったりしてました。世話になりすぎて、亡くなられた今でもまったく頭が上がらない・・汗)が、「あなたたちの年代までよ。あんなに寮生が悪かったのは」に言われましたが、いったい何をやっているのかわからないアヤシイ学生もごろごろしていて、でも、妙なエネルギーがそこここに満ちていた、ヘンな時代でした。
・・・・・・と思ってるのは私だけかもしれないですが・・・・
どんどん日が過ぎてしまうので、ここで3月1日(土)の卒業式のことを少しばかり。
2次試験が終わってすぐのせいか、なんだか情報が不確かで、何時集合なのか、午前で終わるのか、どうなのか・・・とにかく始まる時間さえわかればなんとかなるであろう、といういい加減さ。
10時開式。入学式のときちょっと出遅れたら、1階席がなく2階に上がることになったので(近所に住んでいて時間ギリギリに出てきた同じ小学校の人たちが固まってました)、今回はそんなことのないように、とかなり余裕で出たのですが、拍子抜け。余裕ですわれました。体育祭などはおじいちゃんおばあちゃんとかまでこられるうちも多いので、それなりに覚悟してたのですが、ほとんどが親のみで、ということは大部分が付き添い二人以内。一家につき人数制限があったのだろうか・・それすらもわかりません(汗)。
キリスト教の学校なので、式の前半では聖歌とかお祈りとか祝福とかあるわけですが、・・ごめんなさい、私聖歌とか全然知りません。そうなることは入学式の時の経験でわかっていたので、同じ系列校出身の主人にも行ってもらってました。そのへんはさすがに昔とったなんとからしく、そつなく隣でやってました。アーメンのタイミングすらわかりません、私(・・恥)。
卒業証書はクラス全員の名前を呼んだ後、各クラスひとりずつ代表が壇上で受け取ったので、4人上がれば終わり。小学校のような延々上がっては下るのを想像していたので、あっという間。簡潔でよろしいです。
6年前の入学式のときはまだまだ黄色い声でしたけど、さすがに子供っぽい高い声はありません。でも本人たちは「受験終わったばかりで(まだこれから後期もあるし)ここのところろくに声なんか出してないし、練習もなしだしで、これで本番声裏返ったりしたらどうしよう」という不安もあったとか(笑)。たしかに、喉がからからになってて「ひゃい~」とかいったら失笑をくらいますよね。
幸いというか残念というか(違)、そういうこともなく、滞りなく式は進み、卒業生代表あいさつもなかなか印象深い。最後近く、「記念品贈呈」。
「ゆるキャラの着ぐるみ一式を贈ります」
「ありがとう。大切に使います」
私たち母親はうすうすきいていたので噴きませんでしたが、さすがにかなりの笑いが起こりました。このゆるキャラは今回の卒業生が高2のとき、文化祭のために考案したもので、ネーミングもデザインもなかなか秀逸なんですが、高3のときの文化祭ではそれの着ぐるみが突如出現したわけです。
「あれ、どうしたの?どこからお金でたの?」ともちきりで、「卒業記念品の前倒しらしいよ」という噂はきいてましたが、さすがに厳粛な式の中で「ゆるキャラの着ぐるみ一式」はだいぶくだけたワードで、インパクト大でした。
卒業式後はクラスごとに外で記念撮影、再び体育館に入って「思い出の映像」上映。これがよくできてました。先生が作られたそうですが・・・。「鮨二百人前事件」も映ってたし(笑)。
その後、体育館内でのサンドイッチと飲み物の立食で、謝恩会がわり(?)。
なにはともあれ、中・高校卒業しちゃいました。・・・6年間、あっという間。
3月1日(土)、息子の卒業式。
10日ほど前、「はて、なにを着ていくことか・・」と急に不安になり(というのは、先日父の一年祭で着たブラックフォーマルがちょっときつめであったということから)、友人に「なに着るの?」とメールしてみたわけです。
たまたまその友人が「着物にしようかと考えてます」と言ってきたことで、「おお、そういうテもあったか」と思ったのではありますけど、
前回着物を着たのはいったいいつ???とつらつら考えるに、それは今をさかのぼること約14年前、息子の七五三(五歳)のときのことであったわけで、着物・帯・小物かれこれ、もうなにがどうなっているやら・・・ほぼ発掘に等しい。
それに今から美容院予約できるのだろうか・・・
確定申告と国立2次試験のモンモンにまみれた2月の25日、えいままよ、と美容院予約。
鹿児島に、「泣こかい、飛ぼかい、泣くよかひッ飛べ(泣こうか飛ぼうか、泣くくらいなら飛んでしまえ)」という、一見、勇気を奨励するかにみえながら無鉄砲きわまりないことわざがありますけど、まあ私、基本精神はこれです。
そして、昨日(2月28日)、自分の桐箱と母の桐箱&タンスの発掘作業。
これが・・ない、ないわけです。目指す着物がない。なぜか足袋もきつい、以前使った帯揚げ、帯締めは若すぎる。もうさんざん探して、ついでということもありほかの着物や帯もいちいち畳紙から出してチェックしてみて、やっといろいろ揃った。そして、こんなときに役に立つじゃないか、80超えた母。
今朝は7:50に美容院に行かねばならなかったのにもかかわらず、起きてみたらなんと7:43。前の人が押してましたので結局は待たされましたけど、心臓に悪いったらないです。
着付け師さん、私よりはひとまわりくらい(?)お姉さまとお見うけしましたが、ツボを心得た締め技がすばらしい。緩まず締めすぎず、かつて着付けを習っていたものとしては、もうほれぼれと見とれるばかり。
うっかりタオルを忘れていきましたら、それも都合してくださり、帯も全然苦しゅうないです(笑)。
帯と言えばですね、自分でこう脇の下あたりにくるぞくるぞ~と思っていたら、思っていたよりだいぶ下で、それはそうなんですよね、私が自分自身で着ていたのは弱冠二十歳の頃、まだお嬢さんの着付けだったわけです(14年前たってそれは30代半ばでありますし)。今や、おばさんというか、押しもオサレもせぬミセスであることを実感。
というわけで、卒業式については、また。