午前中、デスクワークやらなにやらでピアノに向かうわけには行かず、かといって集中してやるほどの作業ではないので、何か「ながら」をやろうとふと思い立ったのが、HDDからのダビング。
音楽モノでDVDに落としてないものが山のようにあるので、とりあえず、バレンボイムのマスタークラス(なぜか1回目しか録っていない・・・汗)と、あと時間の兼ね合いからポゴレリチのなにかを(内容は見ずに)つっこみました。
さて、いちおう確認のため、とDVDを再生してしまったのがウンのつき。
・・・・おもしろすぎる・・・
「バレンボイムのマスタークラス第1回 ベートベン:ピアノソナタ第23番熱情 第1楽章」は以前も見たことがあるのです。
なんと生徒はランラン。そのときは、「こんな達者な演奏でもまだ直すとこがあるんだなあ」くらいの感想で、ただ感心してみていたのですが、今回は少し違いました。
自分で今取り組んでいるから、多少聴き方が変わってきた、ということは言えると思うのですが、ランランなんだか・・・・すこーしゆるくはないですか?(逃)
表情は例によって例のごとしなんですが、この「熱情」を弾きながら、どうもうれしそうに見えてしかたないです。音もあまりキリっとした感じではない。
ランランのもともとの持ち味がそうキツイ人ではないので、それも無理のない話ではあるのですが・・。
バレンボイム、「華があり、色彩感のある演奏でよかった」とたたえましたが、それに続きたくさんの指摘がありました。
<テンポについて>テンポはゆれていいと思うのだけれど、部分によっては(特につなぎにあたるところ)、緊張感が損なわれたりする。たとえば転調するようなところ。こういうところでは、きちっとテンポを維持していく。またシンコペーションの部分ではきちんとカウントする。
<音について>ランランのピアニッシモは大変美しい。美しいが気を抜かないようにする。あと単音の連打はもっとドライに弾く。
なんかわかるような気がしました。
レッスン後の質疑応答で、聴講生から「さっきランランに『一音でもクレッシェンドできるんだ』とおっしゃってましたけど、その魔術を教えてください」という質問が出、それに対してのコメント(だいたいの意味です。こまかいニュアンスの違いはご容赦ください)。
「タネあかししたら魔法じゃないよ(笑)。・・(中略)ピアノという楽器において一音でクレッシェンドができないと思った瞬間、それは不可能になる。ひとつの音を次へ続けるという意志がクレシェンドを生むんだ。クレッシェンドの瞬間に日常のすべてを忘れ、クレッシェンドの瞬間に燃焼できるかが大事なんだ。物理を超えた音の不思議ってあるんだ」
・・・・バレンボイム先生、で、弟子にしてください(笑)
なんでも、バレンボイムは14歳のときホロヴィッツのところへ連れていかれたんだそうです。ただ彼は、ルービンシュタインが好きだったので複雑な心境だったのだそうですが。
ホロヴィッツは演奏を聴いてくれたあとで感想を述べ、最後にひとことこう言ったそうです。それが今でも忘れられないと。
「君は音に『いじ』じゃなくて、『いし(意志)』をもって弾かないといけないよ」
(これ英語で<will>にかけたジョークだったみたいなんですけど、「いじ」のほうは、私聞き取れませんでした)
・・・わかりますが、大変なことですよね。
「熱情ソナタ 第1楽章」は、練習していると、なんといいますか刃物の刃の部分を歩いているかのような緊張感に襲われます(歩いたことないですけど)。もちろん大きなものに包まれるような安らかな部分もあるのですが、全体にテンションが高いので、技術面より精神面がキツイです。
そういう点から考えるに、逆にランランはこの曲から何を読み取り、どう表現したかったのか興味があります。
このあとに入っていたポゴレリチ。・・なんとというかたまたまというかベートーベンでした(爆)。
ソナタ「27番」と「32番」、それに「エリーゼのために」。
どこを切っても「意志」が出てきそうな音に卒倒いたしました・・・・
音楽モノでDVDに落としてないものが山のようにあるので、とりあえず、バレンボイムのマスタークラス(なぜか1回目しか録っていない・・・汗)と、あと時間の兼ね合いからポゴレリチのなにかを(内容は見ずに)つっこみました。
さて、いちおう確認のため、とDVDを再生してしまったのがウンのつき。
・・・・おもしろすぎる・・・
「バレンボイムのマスタークラス第1回 ベートベン:ピアノソナタ第23番熱情 第1楽章」は以前も見たことがあるのです。
なんと生徒はランラン。そのときは、「こんな達者な演奏でもまだ直すとこがあるんだなあ」くらいの感想で、ただ感心してみていたのですが、今回は少し違いました。
自分で今取り組んでいるから、多少聴き方が変わってきた、ということは言えると思うのですが、ランランなんだか・・・・すこーしゆるくはないですか?(逃)
表情は例によって例のごとしなんですが、この「熱情」を弾きながら、どうもうれしそうに見えてしかたないです。音もあまりキリっとした感じではない。
ランランのもともとの持ち味がそうキツイ人ではないので、それも無理のない話ではあるのですが・・。
バレンボイム、「華があり、色彩感のある演奏でよかった」とたたえましたが、それに続きたくさんの指摘がありました。
<テンポについて>テンポはゆれていいと思うのだけれど、部分によっては(特につなぎにあたるところ)、緊張感が損なわれたりする。たとえば転調するようなところ。こういうところでは、きちっとテンポを維持していく。またシンコペーションの部分ではきちんとカウントする。
<音について>ランランのピアニッシモは大変美しい。美しいが気を抜かないようにする。あと単音の連打はもっとドライに弾く。
なんかわかるような気がしました。
レッスン後の質疑応答で、聴講生から「さっきランランに『一音でもクレッシェンドできるんだ』とおっしゃってましたけど、その魔術を教えてください」という質問が出、それに対してのコメント(だいたいの意味です。こまかいニュアンスの違いはご容赦ください)。
「タネあかししたら魔法じゃないよ(笑)。・・(中略)ピアノという楽器において一音でクレッシェンドができないと思った瞬間、それは不可能になる。ひとつの音を次へ続けるという意志がクレシェンドを生むんだ。クレッシェンドの瞬間に日常のすべてを忘れ、クレッシェンドの瞬間に燃焼できるかが大事なんだ。物理を超えた音の不思議ってあるんだ」
・・・・バレンボイム先生、で、弟子にしてください(笑)
なんでも、バレンボイムは14歳のときホロヴィッツのところへ連れていかれたんだそうです。ただ彼は、ルービンシュタインが好きだったので複雑な心境だったのだそうですが。
ホロヴィッツは演奏を聴いてくれたあとで感想を述べ、最後にひとことこう言ったそうです。それが今でも忘れられないと。
「君は音に『いじ』じゃなくて、『いし(意志)』をもって弾かないといけないよ」
(これ英語で<will>にかけたジョークだったみたいなんですけど、「いじ」のほうは、私聞き取れませんでした)
・・・わかりますが、大変なことですよね。
「熱情ソナタ 第1楽章」は、練習していると、なんといいますか刃物の刃の部分を歩いているかのような緊張感に襲われます(歩いたことないですけど)。もちろん大きなものに包まれるような安らかな部分もあるのですが、全体にテンションが高いので、技術面より精神面がキツイです。
そういう点から考えるに、逆にランランはこの曲から何を読み取り、どう表現したかったのか興味があります。
このあとに入っていたポゴレリチ。・・なんとというかたまたまというかベートーベンでした(爆)。
ソナタ「27番」と「32番」、それに「エリーゼのために」。
どこを切っても「意志」が出てきそうな音に卒倒いたしました・・・・