~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ピアノ曲は多し、されど・・・

2006年07月31日 23時53分35秒 | ピアノ
またまたご近所のピアノ仲間のお宅に数人が集まり、午後のひとときを過ごした。
最近では、どうも練習会よりこういうオフ会がの方が盛り上がっているのではないかと思われる(笑)。

なにしろピアノ(IN 防音室)に、メンバー持参のお手製ケーキ(玄人はだしの腕前)に、コーヒーと揃っている。楽しくないはずがない。
私は子供二人つれてお邪魔し(最近、練習会にしろ2次会にしろ母子3点セットが多い)、大変騒々しくみなさんにもご迷惑、自分も落ち着かないのだが、周囲のご好意に甘えさせていただいている。

ほんとにピアノからウォシュレットまで(爆)話題は限りなかったが、
興味深かったのは「(次に)どういう曲を弾くか」ということ。
最近、私はなぜかこういうことにあまり悩まないので、どういう方向に曲を進めていくか、という話はちょっと新鮮だった。
「名曲や大好きな曲を、たとえ技術が及ばなくても弾いてみたい」
「不得意な技術を身につけるために弾いてみたい」
「自分に合う曲をさらに深めるため弾いてみたい」
「とにかくいろいろな曲を弾いてみたい」
個人個人でいろいろな考えかたがありそうだ。
私にしたって、そう長い間弾いているわけではないし、レパートーもたいしたことないので、今でも手当たり次第といえばそうもいえるのだけれど、
それでも少しは<変遷>みたいなものがあったような気がする。

子供のころ(中2)までは、もちろん先生の言われるがまま、
技術を固めるためのオーソドックスな曲が中心だった。

学生時代(4年間)は、練習するピアノもなかったし、時間もなかったので
年に2~3曲、好きな曲ばかり。連弾も年2~3曲くらい手がけた。
この時期に弾いたものは、ショパンの「バラード1番」「幻想即興曲」「スケルツォ2番」、
ベートーベンの「熱情(1楽章)」、ムソルグスキーの「展覧会の絵(より数曲)」と脈絡がない。

その後、30半ばを過ぎてからはベートーベンのソナタの2巻にある比較的短い曲の数々、
平均律1巻を1番から22番まで、ショパンのプレリュード集(1曲をのぞく)、
単発で、シューマンやらベートーベン、モーツァルト、ショパン、などなどでこれといってポリシーもなにもない。

しいていえば、「技術向上のための少し難易度の高い曲」と「余裕をもって音を聴ける少し易しめの曲」を組み合わせてきたということくらいか・・。
↑をご覧いただいてもわかる通り、技術的には、たぶん専門の方がご覧になったら目を剥かれるような難曲にも挑戦してきた。
それはそれでしつこくしつこく練習して、そこそこは(曲として聴けるかどうかは別として)弾けるように頑張ってきた。
その原動力はひたすら「弾いてみたい」にあったと思う。ただ、いくら無謀とはいえ、いちおう常になんらかのレッスンは受けていたので、たぶん大間違いはやらかしていないだろうと思う。

これからやりたいことは決まっていて、
平均律を2巻までやりとげることと、ショパンのエチュードを(人前で弾くことは考えずに)地味に練習していくことだ。
それとこれまで無縁に近かったフランス、ロシア、近現代を年1曲ずつでも弾いていくこと。

たぶん一生かかるな。。。。。。

「そこは歌って!」というけれど

2006年07月30日 17時05分44秒 | ピアノ
5~6日前に、あまりにもピアノのコンディションが悪く、
オクターブずれまくり、戻りの悪い鍵盤あり、全般に鳴りが悪く、
もうどうしたもんか・・と調律をお願いして、今日の午後に来ていただける予定だった。

ところがその後除湿を24時間かけまくったのと、雨が上がったのとで、
今日は信じられないほどのすばらしいコンディションだった。
なぜかオクターブ、5度もぴしっと戻っており、鳴りもよく、
おおこんな状態なら調律いらんいらん・・と申し訳ないがキャンセルさせていただいた。

ピアノは楽器のなかでは安定した部類に入ると思うのだが、
やっぱり天気や室内の湿度や温度で別物のように変わる。
良い楽器を選ぶのも大事だが、それ以上に環境のコントロールが大事だなあ、と思う。
そういうえば、Mの里のスタンちゃんの部屋も湿度40%、温度23℃にぴしっと保ってあった。

「安定した楽器」ということとの連想からなのだが・・・
かねて「シューマンは歌の部分をよく歌うように」といわれて、ここのところボーっと考えていたこと。
声とピアノの違いはなんだろう。
もちろん音の持続時間とか呼吸の使い方などなど違う点は多いのだが、
私がまず思い浮かべるのは、音域の違いだ。
ピアノは低音だろうが、高音だろうが同じように打鍵して同じように音が出る。
しかし声は(自分にとっての)高音や低音になると、いろいろと工夫したり、
コンディションを整えたりしないとうまくいかない。
それは管楽器だって弦楽器だって似たようなところがあって、
高音や低音を出す際の緊張や慎重さとほぼ無縁なのはピアノくらいではないだろうか?
そうすると、作曲者がことさら歌を感じてつくっている部分というのは、
こういう「音が上がる際の緊張や気持ちの高まり」「音が下がる際の慎重さや気持ちの深まり」といったものをより意識しなければならないということだろう。
ほんとに歌ってみればわかる、実によくわかる。
そういえば、ツィメルマンもリサイタルでずーっと歌っていた。
ポリーニのCDにもグールドのCDにも声がはいっていた。

私も歌うぞ!(爆)

求む、ガマの穂

2006年07月29日 20時44分16秒 | 家族・友人等
今日はシューマンの命日だったので、
朝から「春」と「ライン」を聴き、プールへ行きました(なんの脈絡もなし)。

こちらへ越してきてもう6年目なのですが、ファミリープールへ行くのは実は初めて。
こういうレジャー系のプールは、かつて<としまえん>の「流れるプール」で水じゃなくて人が大量に流れているのを見て以来、ちょっとカンベン・・・な気分だったからなのです。
さすがに今日は水面が見えないくらい人がいる・・ということはありませんでしたけど、ここのプールとしては大変多かったらしいです。

特に多かったのが、おとーさん。
たぶん「今度の土曜プール連れていってよ」「いいよ」という約束があったものの、
「雨が降ったら家でのんびりできるのに」的気分のノリだったことは容易に想像のつくテンションで(笑)、
滝のように水が流れ落ちるところで、全身これスキだらけのおとーさんが、
打たせ湯よろしく数人並んでは肩に流れを当ててました。
一方おかーさんたちは、小さい子がいる人は別として、小学校くらいの子につきそってきた方々は、
水着にならず、大きい帽子かぶって、パラソルの下でひたすらおしゃべり。
あ~いいなあ・・・
こちらは3歳児がいるのでさすがにそういうマネはできず、水着にならざるを得ません。
それにしても、この日差し。日焼け止めを塗ることは塗ったのですが、相当にいい加減。
一方、息子の方は、しきりと気にしていて、休憩で塗りなおしたりしている。
「若い娘さんじゃあるまいに、気にしすぎ!」と一喝した報いは、すぐにやってきました。

帰ってみたら・・・・
エライことになってました。
水着のあとが付くとかそういうレベルではなく、もともと焼け加減だったところはいっそうクリスピーに、今日初めて焼けたところは真っ赤赤に。
しかもしかも大マヌケなことには、浅いプールで長時間瞑想(!?)にふけっていたもんで、顔とフトモモあたりが特にいい感じに焼けまくっていたのでした。
3歳児は日焼けというものを知らないので「お母さん、赤いのついてるから落としてあげる!」と熱いお湯をジャージャーとかけ、あかすりでごしごし。
・・・・イナバのしろうさぎの気持ちがひしひしと・・・・・・

こんなんで、本選は上半身ズル剥けなのでは・・とデュオの衣装を着てみると、
水着のあとが出るということはありませんでしたが、
まさに「アニトラ」ならぬ「赤トラの踊り」

みなさんにお願いです。
しばらくは、私をみかけても背中とか肩とかたたかないでください


ほんとに無料サイト?

2006年07月28日 21時41分53秒 | ピアノ
これまでも時々遊びにいっていた、海外在住の方のブログ(一つ前の記事にコメント書いてくださった方のものです)をたまたまのぞいたら、大変なことになっていた(笑)。

公開講座や公開レッスンの記事がドドっと書かれていたのだった。
しかもクリスチャン・ツィメルマンや、国際的に有名な指導者による貴重なもの。
ど、どうしよう・・・
どのみち今日は子供がピアノ弾かせてくれそうにないし・・・
と楽譜まで詳細にUPされている日記をむさぼり読んだ。

すごい・・・
ツィメルマンの公開レッスンは「バラ4」と「幻ポロ」。
あのツィメルマンが、椅子の高さのキメ方とかを懇切丁寧に指導しておられる。
しかも、床にすわりこんで「鍵盤をつかむとはこういうことです」と鍵盤ぶら下がり(?)実演までされている。
うお~~~~~こんなん、ただで読んじゃっていいんですか?(嬉泣)

別の公開レッスンには、私もいまやっている(曲は違うけど)シューマンが含まれていて、
曲自体は私もよ~く聴き込んでいるものなので、指摘されている点はすぐにわかる。
わかります、わかります・・繋留音の弾きかた、ハーモニーの複雑さ、音跳びのむちゃくちゃさ、そしてオクターブの弾き方、肩の力の抜き方、などなど。
わあ~~~~~ほんとにただで読んじゃっていいんですか?(感涙)

それにしても、すごいたとえされる先生っていらっしゃるもんですね!
「空手チョップ」に「わさび」に「トロ~」ですか。
国は違っても、やはり指導には言語表現の豊かさやさまざまな動作が必須なんだなあ、とあらためて感じた。

今日はほとんど練習できなかったけれど、
実に楽しく有意義な時間が過ごせた。
行き詰っていたところに関してのアイディアも湧いてきたし。
Pさん、ありがとうございました

今日も本の話

2006年07月28日 01時18分10秒 | 交響曲・管弦楽曲等
楽器店に売っていた本、
「知ってるようで知らない 指揮者おもしろ雑学事典」を買ってぱらぱらと読んでみた。

若手指揮者の下野竜也氏のインタビュー記事がおもしろかったので、ちょっと抜き書きを。

大フィルの朝比奈氏にレッスンをしていただいた時の話。
下野氏がモーツァルトの「交響曲40番」他を2台のピアノを相手に指揮をし、
朝比奈氏がそれについていろいろ言われたとのこと。

<・・・・面白かったのは、とにかく「振りすぎだ、振りすぎだ」って言われたこと。「左手いらないからポケットに突っ込んどけ」と言われて、右手だけで振ると、また「振りすぎだ!」。
そう言われて、暴れるような動作が少なくなってくると耳がどんどん開いてくるから、ピアノの演奏が聴こえてくるんです。それをおっしゃりたかったんじゃないかな、と思うんです。
オーケストラが聴こえてないと指揮は出来ないんだ、風景が見えないと運転出来ないのと同じことなんだと。>


コンサートについての聴衆の評価について。
<・・・僕の経験で言うと、わりと冷静に大脳が動いて指揮しているとき、本能の方が勝ちそうになってくることがあるんです。「暴れろよ、おまえ」みたいに。
でも「暴れないで、このままいくぞ」っていったときのほうが、お客さんが喜んでくれることが多いかなあ。
逆に、感覚的にワーッてやって、「いい汗かきました」みたいなときに限って、意外にシーンとしてたりして(笑)、わかんないですよ。
音を出している人たち、演奏家が「ウオーッ!」ってなるのはいいと思うんですが、リヒャルト・シュトラウスが言ったように、指揮者は「お前が汗をかくな」って感じですかね。そこの兼ね合いというのはまだ分かんないです、正直いって。
知と情のバランスを演奏会で作っていくのは非常に難しいですね。
練習というのは、わりと知の部分が多いと思いますけど、逆もあるかもしれない。すごく情熱的な練習をして、本番はクールにやって、すごい演奏になったりする人もいるでしょうし・・・。つまり、練習で焚きつきけておいて、旅に出るときの船長さんみたいに本番は冷静に見守ってるみたいな感じのほうがいいんじゃないですかね、最終責任は俺がとるみたいなボスのほうが。・・・・。>


「感覚的にワーッとやって、『いい汗かきました』」
↑どっきりしますねえ、これ(爆)。
ほんとに本番での知と情のバランスは難しいです・・・・

    

弾き手・作り手変われば

2006年07月27日 00時59分22秒 | ピアノ
夏休みになって、毎日毎日子供たちの喧騒の中で、私も小爆発大爆発を頻発し、
6日目にして「夏休み、はよ終わってくれんか・・・」の気分だ。

こういう時ピアノ室にこもっても、どちらかが入ってきてケンカの報告やらになるので、しかたなく珍しく本に逃避した。
愛読書「吉田秀和作曲家論集 4 シューマン」

今回興味をひかれた部分を書き出してみる(長くてすみません)。

<ポリー二/交響的練習曲>の章から。
ポリー二の演奏について絶賛しているのだが、それとは別の部分(ポゴレリチの演奏について)を・・・
「ポゴレリッチのは、出だしの主題からして、すでにすごい演奏だった。聴こえるか聴こえないか、すれすれのかすかな音と、それに劣らないくらい衝撃的で、常識外れの遅いテンポで、あの嬰ハ短調の和音が上から下に下ってくるのを聴いたとき、私は思わず、息を飲んだ。これは、音楽というより、厚い黒幕にすっぽり覆われた音楽の棺を肩にして歩き去ってゆく葬送の行進を、目の当たりにするような心地がした。そのあとも----もちろん、いろいろな対照や変化は数多くありはしたけれど-----結局、音楽を聴くより、音楽の亡霊が歩いてゆくのを見ているような気持ちは、最後まで、つきまとっていたのだった。葬送行進曲としての『交響的練習曲』なんて発想は、私にとってばかりでなく、この曲の演奏史上でも、破天荒のことではなかったろうか。
この主題の最初の4小節は----調性こそ嬰ハ短調から別の短調に移されているけど-----マーラーの『大地の歌』の第1曲《大地の苦難についての酒の歌》でリフレインとなって何回も繰り返される<人生は暗く、死は暗い>のモティーフとぴったり重なっているので、私など、どちらの曲を聴いても、もう一方を思い出さずにいるのが困難なくらいだ。ポゴレリッチが、そういう連想から、こういう演奏法を考えついたどうかは知らないが・・・・・・。」


さっそく、マーラーの『大地の歌』を聴いてみた。
「ド♯・ソ♯・ミ・ド♯・ラ」(嬰ハ短調のままで表記)まではまったく同じなのに、こちらは世紀末ななんとも絶望的な響きだ。
『交響的練習曲』の方は私はポリーニ命なので、それしかほぼ聴いたことがないのだが、
印象としては短調にも関わらず、冒頭の和音は「輝きを持って冴え渡るよう」に感じている。
同じ音列で、ここまで世界が変わるとは思ってもみなかった。
しかし、ポゴレリッチは「葬送行進曲」のように弾いているという。
・・・・・なんとなく想像はつくのだが、誰がこの冒頭を弾いてみて「葬送」の可能性を感じるだろうか?
そのように弾くことが可能でありまたマーラーがそのように作曲しているということは、この下降する和音にデモーニッシュなものがひそんでいるということだ。

専門的に分析すればいろんな意見も出てくるのだろうけど、
まずは、「楽譜からひきだされる可能性」について柔軟でありたいと思う。

なれない練習をすると・・

2006年07月25日 15時39分56秒 | ピアノ
今日は脚が筋肉痛。
ピアノの練習をしたから(爆)。

昨日は結局、娘によって最近の日課にされている
「<アンパンマンベストヒット>全曲」と「<とっとこハム太郎>の伴奏」を弾いただけだった。
<アンパンマン>は初見で弾ける程度なので、じっくりペダルの練習などさせてもらったが、
<ハム太郎>はなめちゃいけない。グリサンドあり、複雑なリズムの和音の連打ありで、
「音がかすった」と思ってちゃんと弾こうと思うと、ひじに力がはいってますます音が出なくなるし、ついついムキになってしまう。
しかも、<ハム太郎>だ。必死でピアノばかり弾いていると「ちゃんと歌ってよ、お母さん!!」となる。
こうして毎日毎日1時間は、この2冊を弾かされていて、いつ保育園やイベントからお声が掛かっても役に立つ状態だ。

昨日は、こうしてペダルの角度だけを修正したので、今朝は脚はまだなんでもなかった。
午前中、昨日のレッスンの復習として、姿勢(おもに脚の使い方)について細かく考えていっていたら、弾き終わるころには相当キテいた。
しかしながら演奏に関しては、一昨日の録音と比べると、
特に大きなフレーズでフォルテに持っていくとこなどに明らかに違いがみられ、
これまでの弾き方はバイオリンにたとえると
「アゴで十分支えずに、手と指で持ちつつさぐりつつ弾く」ような、
鍵盤にもたれかかった弾き方だったのだなあ・・とあらためて思った。

だいたい私は、先日予選のあとの写真撮影で、
中腰の姿勢を何十秒かとらされただけで泣きの入った、下半身軟弱体質なので、
たったこれだけの練習をしただけで、脚はすぐにまいってしまうのだ。
上半身に関してはおそらく半日弾き続けてもOKだと思うのだが・・。

ついでに腹のあたりもなんとか締めたい 

レッスン三たび

2006年07月24日 18時11分35秒 | レッスン&セミナー
1ヶ月半以上あいてのレッスン。

今日は予選2回分のコメントを持参したので、それにそって実に細かい注意を受けたのだが、
私自身ずっと苦労している冒頭の弾き方については、ほんとに時間がかかった。
「シューマンは幻想的、夢の中の部分があります。
遠くで鳴っているように・・・自分で響きをよく聴きながら弾いてください」
つまり
「これは幻聴か?」という感じを出せばいいのだろうか?
でも、どうすれば・・・・?

「もっと遠くの響きを聴くために、体を起こして、手元を見ない。
鍵盤のゴミ拾ってるみたいに、かがみこまない

先生、私笑ってしまって弾けません。
本番の最中、かがみこんでる自分に気付いて
「ゴミ拾い」思い出したら、どーするんですか!?
手元を見ないように練習してはいるんですが、動きが細かいので
ついおびえて「ゴミ拾い」に戻っちゃうんです


<メロディーの歌わせ方について>
「シューマンには歌がたくさんあります。
ほんとに歌ってるみたいにちゃんと呼吸をして。
それもせわしない呼吸とか大きい呼吸とかいろいろなバリエーションで。
えっとですね、脚です、脚!
相撲の四股ではないですけど、脚でちゃんと支えられてないと
呼吸もできないし、姿勢もつい崩れてしまう」

脚・・・痛いところをつかれました。
今回、ペダル3本を頻繁に踏み変えないとならないので、
足がペダルの上に<そえて>ある時間が長くなっている。
昨日、友人から借りた内田光子さんの映像を見ていて、
ペダルに用のないときは、きちんとポジションを取って足場をしっかりさせなければならないなあ、と反省したばかり。


<ペダルの踏み方について>
「女性としてはお行儀の悪い踏み方かもしれませんが、
足先を外側に向けるようにしてぐっと(親指の付け根あたりで?)踏むようにすると安定します」

<女性としては>なんて考えもしなかったが、
たしかにこんな時ばかり内股モードで、なんだか遠慮がちな踏み方だった。
これも昨日、同じく内田さんの映像を見ていて反省したことのひとつだった。
なぜか内田さんは裸足でペダルを踏んでおられ、しかもそれを背中側のカメラから撮っていたので、
大変に珍しい角度なのだが、足先の動きが実によく見えた。
それによると、足裏全体がペダルに当たるくらいに構えておられて、
どうしたらあのように細かく踏めるのだろう・・・というくらい一音一音に対応している部分があった(もちろんものすごく速い部分)。
その踏み方は、かつてアルゲリッチの映像でもピリスの映像でも感じたことで、
私にはとてもとてもできることではないのだけれど、ペダルで16分音符のスケールが刻めるほどの早業だ。

今日さらにいわれた。
「ペダルだけを操作する練習もしてみてください。
踏むのはまだいいんです。みんな上げるのが難しい
そうなんだよなあ・・・・上げるタイミングが命だ。

レッスン最後に
「練習しすぎもいけませんよ。新鮮さがなくなるから。
易しい曲を弾いて響きをじっくり聴く練習をしたり、
シューマンのリートを聴いたりするとまたよくなる部分が出てくるかもしれません」
おっしゃるとおり


同感の士?

2006年07月23日 17時00分38秒 | 雑感
このブログは、設定上あまりたくさんの新規の方はこられないようで、
訪問者数はほぼ一定しており、めったに「?」というアクセス元はないのですが、
それでもたまに「どちらさま?」というものがあります。
それはごくごくマレに検索からこちらにこられている方。

昨日もどうも検索があったようで、そのワードは「クマゼミ 光ケーブル」(笑)。
おもしろいので、こちらもその検索場面にいってみたら・・・
いや~すごい。世の中この話題でもちきりなんじゃないか、というくらい。
なかには
「せっかくの産卵なんだから、光ケーブルに幼虫が育つ成分を含ませたらどうか」とか
「ケーブルから幼虫が出てくるのをみてみたい」
という、まことにご同感の士もおられて(まったく同様のこと私書いてますもんね)、
世の中捨てたもんじゃない(爆)と思いました。

どうも、ケーブル自体はカラスやこうもりやその他いろいろの小動物に狙われるようなのですが、
ある方が書いておられたように「産卵、というのはまた別のインパクトが」
というわけで、みなさんビビッドに反応なさったのでしょう。

それにしても・・なんですが、
これだけ音楽のこと書いているのに、検索でこられるのは
「のど自慢」とか「セミ」とかだけなんですよね(笑)。
どういう検索システムにのっかってるんだか・・・・



聴くほうと弾くほうの都合

2006年07月22日 12時41分55秒 | ピアノ
予選の結果が西日本に関しては出揃った。
ソロ、デュオともに今年は昨年より多い。
特にデュオに関しては、昨年7組、今年14組で完全に2倍だ。

こうなるとどういうことが起きるかというと、
本選での一人(一組)あたりの演奏時間が短くなる。
私たちの連弾はもともと相当短いので、まったく影響はないと思われるが、
曲よっては「あそこまで弾きたかった」という方々も出てくるだろう。

もっとも審査員は事前にちゃんと曲を調べて「ここまで弾いてもらう」と決めておられるようなので、
機械的に「はい、時間です」というわけではないらしい。
その点は「のど自慢」に似ている。
・・・サビの部分が・・来ました、来ました、・・・カ~ン
というあれだ。ただ、コンクールの場合はその場で結果までは出ないわけなのだが。
(話は変わるがネット上で知ったことなのだが、今年からの日本アマコン改め<国際ピアノアマコン>では
自分が弾くまえに「○番 ○○です(ひとによっては、~よろしくお願いします、も)」というそうなので、
ちょっとのど自慢テイストかもしれない)

曲によってはどうしても、5分や6分でサビがおさまりきらないものもある。
私が丸3年前に出たときは、まだコンペは2段階しかなく、
地方予選のあとは全国本選会だった。
この年、どういうわけか参加者が異常に増えた。
人数をみてもどうやってこんな人数一日で弾かせるのだろう・・と思うくらい多かった。
そして本番直前、出場者は舞台裏でいきなり告げられた。
「入退場入れて6分(5分だったかもしれない)でカットします」
そのとき、私の曲は「運命」だったので、まあ終わりよりは冒頭のインパクト命で、別に動揺もしなかったが、
こんなことをいきなり言われて怒ったコンテスタントはもちろんいた。
特に印象に残っているのは、ショパンのバラード1番を弾いた男子高校生のお母さん
どういうわけか私にいきなり
「こんなん、絶対許せません!!私、事務局や審査員に抗議します!!
あんな最後に盛り上がる曲を早々と切られて、なんのために練習したんだか。
それならそうとあらかじめ言ってくれれば、本選には6分で発揮できる曲弾きましたよ、もう!!」
とすさまじかった。
まあ、審査員は半分も聴けば最後のコーダも想像がつくのかもしれないが、
たしかにショパンの曲は「あの最後の部分さえなければ弾けるのになあ」といいたくなるようなものが多い。
当然その部分はものすごい時間をかけて練習しなければならない。
実際、リサイタルなんかでも<コーダまるつぶれ>の演奏も珍しくはない。
それを単に時間の都合で切られるのはたまらない、というのはもっともだ。

最近では、もうみんなわかっていて、
「それでも大好きなサビ後ろ系」の曲を弾くか、
「6分くらいでだいたい終わっちゃう系」を選ぶかの二者択一になっている。
ただ昨年だったかどこでだったか
「挨拶も省略してください。しないと調子のでない方はしてもかまいませんが」といわれた。
<しないと調子でない>に決まってる。前の人の立ち去る足音を聞きながら、
椅子調節してすぐ弾くなんて、ベルトコンベアもので気分のいいものではない。

今年の私の曲ですか?
いってみれば「スパイラル金太郎あめ」みたいな曲なので
どこで切られても困りませんけど、
ご挨拶はなにがなんでもさせていただきますっ!