~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

ある訃報

2007年11月30日 02時54分31秒 | 家族・友人等
11月も末になり、毎日といっていいほど、ポストに喪中欠礼の葉書が入っている。喪中欠礼状は毎年くるものではあるのだけれど、年によって多い年と少ない年があるような気がする。そして、今年は(うちにとっては)多い年のような気がする。

だいたいは、知り合いの親にあたる方の訃報に接することになるのだけれど、今日目にしたものはそうではなかった。
といって、亡くなったことを即知るほどの関係には今はなかった方のものであった。


大学進学で上京した私は、ほんとに多くの方々のお世話になり、その結果今日があるわけなのだが、なかでも親代わりといっていいほど親密な関係にあった方が二人ほどあり、そのうちの一人が今日の訃報の方、寮職員のAさんであった。
寮職員といっても、大学自治寮であったため、寮母さんではなく、栄養士兼事務職で9~5時勤務の女性で当時50代だったと思う。

私の通っていた大学はふたつの寮を備えていたが、私のいた方は300人の大所帯で、それだけに、ほんとにいろいろな人間がおり、一見何年生だか不詳の「○○姐さん」とか、年中黒の服でいつもタバコを手にしている上級生とか、何時に起きて何時に帰寮しているのかナゾの人物とか、某思想の下に日々活動しているものとか、いちいち気にしていたら身がもたないほどの魑魅魍魎状態(?)だった。
自分は断じてそのなかの一人ではない、と言えないところが苦しいが、ともかくそれらの学生たち、なかでも規格外の学生であればあるほど、慕いなにかと頼りにしていたのがAさんだったのだ。

私にしても、寮長としてというよりもプライベートな領域で大変お世話になり、卒業してからも、飲みにいったり、ご自宅へ伺ったり、信州の方の別荘へもお邪魔して、一度などはご子息の婚約者と間違われたほどだった。
Aさんは信州のご出身だったのだが、どこか江戸っ子のようなところがあり、親身にいろいろな相談にのってくださりながらも「あなたねえ~、それはないでしょ」とバサっと斬られることもしょっちゅうで、そこがまた自意識ばかりが高くて常識が欠落している学生たちにはありがたいところでもあった。

Aさんは、まだ息子さんが小さいころ、ご主人を急性の白血病である日突然に、ご本人の言葉をかりると「泣く間もないくらいアッという間に」亡くされ、その後は女手ひとつでやってこられたのだった。
まだ学生の頃はそういう話を、なにか物語かドラマの話のようにきいていたのだが、今になって思うとそれがどれほど大変なことであったかがよくわかる。

そういう思いなども、ぜひいつか語り合いたいと思っていたのだが、それもかなわぬこととなってしまった。
お会いしようと思えば、ほんとにいくらでも機会はあったはずなのに、10年以上年賀状だけのおつきあいだったことが悔やまれてならない。

今となっては、ただご冥福をお祈りするのみ・・・・・。
Aさん、あんなこともこんなこともお世話になりすぎました。ありがとうございました。





本日いろいろ

2007年11月27日 18時09分55秒 | 家族・友人等
今日は一日いろいろな用事があった。

午前中、塾で「出願・入試直前対策保護者会」。
塾の勉強内容は私はほとんど知らない(殴)のだけれど、さすがに出願のあれこれとか受験時の持ち物とかは気になるので、真面目にきいていた。
まずは写真を用意しなければならないのだな、ということがわかった。
そして、志望動機については「受験生本人が記入」とあっても丸投げしてはならないこともわかった。
まかせると「ぼくは、この中学に絶対合格したいです。それは、なぜかというとこの学校に入学したいからです」と書く子がいるからだという。


昼は、発表会が数日後にせまった友人の演奏を聴かせてもらった。
とても良い音で、歌心のある演奏だった。
その帰りのことなのだが、楽器店の顔見知りの男性社員さんに声をかけられた。
「某邸の女主人さんは、大変上品な方なので、仮装先生とは、合われると思いますよ」
・・・・・・真意を測りかねたのだが、冗談やブラックを言われるほどの関係でもないので、ありがたく素直にお受けすることにした。


いったん帰って、生協を受け取ったり娘を受け取ったりし、その後娘の造形教室へ。
途中抜け出して、息子の塾の先生とちょっと話をしたあと教室に戻ってみると
「・・・・・濃いなあ・・・・・・う~ん、まだ濃いよ・・・・・」
という先生の声が。
・・・・・・娘の絵の具の話だった(爆)。娘は水彩絵の具をドボっと出して、水を使わずに描くのだ。アクリル絵の具状態。
娘5歳にして、はやくも「水と光のおフランス」からは遠し



その後バス停へ向かう途中で、気になる店発見。
「歌とピアノと仲間たち~~~~○の風」
で、看板にグランドピアノの絵がかいてあった。
こんな店あったっけ?
まだできて1ヶ月たってないようだった。あまりに気になるので2階に上がって
勇気をふるって中を見せてもらったら、この写真のとおりの店内にガンガン第9がかかっていた。
もちろんカラオケもあった(・・カラオケというと、私どうしても、カセットみたいのをスナックのママがガチャッといれてくれるイメージがいまだ払拭できていないのですが、画面もきれいですごいんですね、最近は)。
そこのママ(っていうのかな?女主人)が、「どうぞどうぞ中見て」というので、
小さめのグランドとかも見せてもらった(あくまでも見ただけ)。
すると「あなたピアノ弾くの?」というので、「はあ、まあ・・・趣味ですけど」というと
「チェルニーの何番くらい弾けるの?」ときかれ
「・・・え・えちゅーど・・・・」
「?ショパンのエチュード?音大出たの?」
「いえ、出てません」
「コードみて伴奏できる?」
「それは難しいです。クラシックばっかりなんで。でも、たぶん友人たちのなかには弾ける人いると思います」

どうも、コードみて弾ける人募集中のよう。
そりゃ、カラオケかわりに生ピアノで歌の伴奏っていったら、コード見て弾けないとお話になりませんもん。
なので、私はここでは「お客さん(・・・あたりまえですね)」でしかないのだけれど、実はこの女主人、うちのマンションの道路はさんで向かいのマンションにお住まいみたいで、そこで教室もされてる様子だった。

「あなたの名刺くださる?」
「・・い、いえ私はですね、ただの主婦なんで名刺なぞは持っておりません」
というわけなのだが、カラオケがあるのに、バッハやモーツァルトの胸像がずらっと並んでいたり、かなり不思議なお店でした。

・・・ちょっと興味あるでしょ?・・・





クネクネしたのも好きかもしれない・・・

2007年11月26日 17時21分54秒 | ピアノ
今とりくみつつある曲「イゾルデ愛の死」は、ワグナーの楽劇の、リストによるピアノ用トランスクリプションです。
ワグナーはリストより2歳若いだけですが、いろいろな経緯ののち、リストの娘コジマと結婚しています。つまりワグナーとリストは婿と舅の関係というのは有名な話ですが、ここでちょっとおさらいしてみました。

さてこの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を私、観たことがありません。
観たことのないものを弾くというのもいかがなものかとは思うのですが、そういうことを言ってる場合でもないので、こういうときはどうしたらいい?・・観たことのある人、よく知ってる人にお話をきいてみましょう・・・・というわけで、先日ある先生にメールを送って、アドバイスを求めたのです。
ほんとにワグナーの楽劇もよくご存知だし、リストにもお詳しいし、なによりドイツ語がおできになる・・というわけでこれ以上のアドバイザーはありません。


今日、おすすめのCDや楽譜をお借りするために伺ったのですけど、ランチしながらもう話がマニアックな方へマニアックな方へといきまして(爆)、そこまでワグナーやオペラに入れ込んでいるつもりのない私もすっかり話し込みました。
ピアニストとかオペラ歌手というのは実演に接した人にとっては、ゆずれない「ごひいき」みたいなのがあり、特にオペラ歌手には「この声のためならいくらでもお金払う」という思いがありますが、私も、そういう気持ちはよくわかります。

オペラに限らず芝居系のものは大変不思議なことだと思うのですけど、たとえば「ストーリーはありふれている(もっというとくだらない)」「歌もしぐさも大げさで現実離れしている」のに、それなのに、観終えると現実に戻れないほど入り込んでしまった自分がいるわけです。
映画やドラマと違って、筋なんて、はっきりいって「ありえない」ものが多いのになぜかトリコになるわけです。
これはやはり総合芸術、文学&音楽&美術&演劇のなせるマジックだと思うのですけれど、なかでも身びいきかもしれないけど、音楽の力は絶大!独唱はもちろんですが、オーケストラ・合唱の大勢で作り出す力というのも底知れない。


たまにですけど、ピアノを勉強するにあたって「オペラを見ましょう」という話をききます。
これ地方にいるとなかなか難しいことです。なかなか地方には来ないし、高いし。
私が初めてオペラを見たのは、小4の時、地方の地元オペラの舞台。
これまで何回もブログに書いてますけど「ドン・ジョバンニ」でした。これにかぶれまして、オペラ歌手になりたいと思ったのですけど、やりたい役がバリトンとかバスの役ばかりで、いくら頑張ってもこればかりは叶わぬ夢ですので、あきらめました。
当時、親がいろいろと値段の高い公演(来日のバレエやオーケストラの公演)に連れていってくれて、それはそれで印象に残っているのですけれど、オペラのインパクトにはかなわなかったような気がします。地元のオペラで「フィガロの結婚」や「コジ・ファン・トュッテ」は観たのですけど、ストーリーは別として(笑)大変おもしろく観た記憶があります。


今日、その先生とお話していて、なかなか興味深かったのは、自分が特に感じる和声の動き(時代としてもある程度限定できる)があるよね・・ということ。
これは自分で思いこんでいるものとも少し違っていたりするもので、たとえば私はRシュトラウスのいくつかの曲(というよりフレーズ)が異様に好きだったりするのだけど、これがほかの作曲家にも通じるところもあって、そういうこともあって、今イゾルデなのかもしれないということ。


でも、ここまでくるのは相当な時間を要してまして、これまではやりたい作曲家も限定されていたし(ええ、もうべとべん大好きです)、自分のなかの興味の向き具合がわかったようなわからないような感じだったんですね。
ピアノそのものでやりたいことはもちろんまだまだたくさんあるのだけれど、いろんな可能性をさぐっていきたいと思います。
今までのことを振り返っても、基礎的な練習はもちろん継続してますけど、なにしろピアノは総合的な表現ができる楽器なので、その他のジャンルからの逆輸入(?)が私には必須で、特にppやpppの表現はピアノそのものからイメージしたものではないです。
それがいいかどうかは別として、私には欠かせない・・ということが今日あらためてわかったような気がします。



・・・・これからも、熱唱しながら(爆)、ピアノ練習していきたいと思います・・・・・






コネコネ中

2007年11月25日 00時58分17秒 | 家族・友人等
娘がヘンな歌を歌っていた(今に始まったことではないが・)


♪~かわらのねずみが コネコネちゅう、ちゅう、ちゅう、ちゅう~♪


これ、どうかすると


♪~河原のネズミが 子猫とチュー、チュー、チュー、チュー~♪

ときこえる。


ええっと元の歌は・・・

♪~俵のネズミが米食ってチュウ、チュウ、チュウ、チュウ~♪

でしたよね?たしか。



譜ん囲気を読む

2007年11月24日 00時04分03秒 | ピアノ
先日は、連弾の練習に友人が来るといっていたのが、人が人をよび(笑)、
結局5人のピアノ仲間が集まる人妻会になった。

ほんとにみんな、忙しい中遊びにきてくれたのだが、そろそろクリスマス会の練習もあるし、ピアノ指数上昇中
先生についている人、今はお休み中の人、いろいろなのだが、私もたくさん聴かせていただいた。

これまでもずっと聴いてきているメンメンなのだが、熱心だし、勉強してるし、先生にもよく教わっている。意見を求められればなにか言うし、ところどころ弾かせてもらったりもするけど、それは逆に私に何の責任も義務もないからやることであって、もし先生だったりしたら、そう簡単にものは言わないと思う。
・・・・・なので、何か私が言っても話半分にきいてください(笑)。


ここのところ「言うことをきかない」というのが私のなかで何かとテーマになっている。
先日バイオリンの神尾真由子さんのドキュメンタリーを見ていたら、あのブロン先生の指導でも「なぜそうなのか納得できない」からといって、チャイコフスキーコンクール本番でも言われたようには弾かなかったところがある・・といっていた。
また私の知る、若く才能あふれるピアニストさんにもそういう方いらっしゃる。
もちろん、ただの反発とか「人になにか言われるのがイヤ」がゆえの抵抗ならあまり意味のないことだと思うのだが、自分で感じたり分析したことと折り合わないので、すぐには受け入れ難い、というのなら当然だし、またそうでなくてはならないと思う。

アマチュアのなかにも、そういう人はいる。
先生の言われるがままに弾きたくないから、ある時期から先生のもとを離れ自分自身で勉強し始め、結果としてアマチュアの道を選んだという人もいる。
それがいいのか悪いのか、独善に陥ってないかどうかは別として、そういう人は知識もあるし、楽譜も細部にわたって読み込んでいたり、またいろいろな演奏も聴いていたりで、自分の演奏の根拠を築いているケースも結構多い。


私は今は基本的に先生についてないし、みていただくとしても仕上げ近くなってから伺うのでなんとも言えないけれど、言われたことは比較的受け入れる方だと思う。もちろん納得いかなければ根拠を言って「こうとも考えられませんか?」というような提示はするのだけれど。

私がたまにじっくり聴かせていただく方々(子ども大人とも)の中にも、「こういう音で、こういう風に歌いたい・・・・でも、それが技術やいろんな問題でできないでいる」というタイプと、「この曲はどういう音でどんな風に弾けばいいのかイメージがわかない」というタイプがある。もちろんそれは同じ人でも曲によっても違ってくることだし、ひとつの曲のなかでも部分的に違ってくることではある。

ほとんどの場合(時代が新しくなればなるほど)、「どんな風にどんな音で」ということは楽譜に書いてあることなのだと思う。それを「どう読み取るか」は個人個人で違うし、個人でも学習する時期によって違うことかもしれない。
でも、ある指揮者がおっしゃっていた「自分の中では<こうであろう>というより、<これでしかない>というところまで限定されていく」という言葉どおり、楽譜やその他の情報から表現はかなりしぼられていくはず・・だと私は思う。

しかしながら、それがみな同じには絶対ならないのは、世の中にたくさんの演奏会や録音があふれ、それがそれぞれ受け入れられていることでもわかることだ。

自分なりの根拠があれば「ひとの言うことをきかない」のは当たり前のことであり、またそういう根拠をともなった演奏の前には、「それはそうではなくて」という言い方ができるものでもないし、するべきでもない。


音楽をやるのに耳の良し悪しはもちろん大事だけれど、目の良し悪し・・これは近眼とか老眼とかいうことではなくて・・・も大変大切なことだと思う。
もちろん「楽譜を見る目」ということであり、こちらの<視力>はある程度日々意識しないと、漫然と上がるものでもないような気がする。

ヘンな話なのだが、(視)神経を使うことで、楽譜の「空気をよめる」ようになれるような気がするのだ。
昨日、ろうあの打楽器奏者のドキュメンタリーを見ていたら、彼女が「楽譜は人間社会と同じです。いろんな音符があって、いろんな音色や強弱があります。人間も同じ」と言っていて、それが妙に印象に残った。
人間関係と同じなら、やはり楽譜にも「空気」があるだろし、それを読むということもあるんじゃなかろうか・・・。







私はこんな子ではなかった・・と思う・・・・

2007年11月22日 14時09分18秒 | 家族・友人等
娘は5歳なのだが、反抗期なのか生来の性格なのか、なかなか言うことをきかない。
日常生活ではしょっちゅうそういう場面があって、時おり、頭の中で何かが「プチッ」とはじけているのは私だけではないはずだ(・・・少なくとも息子はなにかと大変だと思う)。
日常生活はともかくとして、ピアノでも結構そういうことがあるのだが、これは頭ごなしに叱ってばかりもいられない。


たとえば昨日のレッスン

課題となっていたはずの曲を「あたし、この曲はイヤな気持ちがするから弾くのやめた」と先生にいう。
その曲は歌詞がついていて、仲良しだった隣の男の子が引っ越して、会えなくなるけど、忘れないでね、また電話してね・・という内容だ。
たしかに実生活でも、先日同じ幼稚園の同じバス停、向かいのマンションの男の子が引っ越した。それを思い出すからイヤなのか、というとそれもあるのだが、
まず、「短調」でかかれているからイヤなようだ。次にどうも8分の6拍子がイヤようなのだ。
私もわがままばかり通させるのもどうかと思ったので、いちおう練習させようと試みたのだが、「タン(四分音符)とタ(八分音符)なのに、お母さんはどうして、123と数えるの?わけわかんない。。。こんなのイヤだ」とガンとして受け付けない。
たしかに、このレベルの教本でいきなり3曲目に8分の6拍子は難しくないか?と思い、ちょっと保留。ほかの「弾きたい」と勝手に取り組んだ曲を持っていかせた。
で、先生にこれこれしかじかで・・と説明したところ、先生苦笑い。
「まあ、順番にいかなくてもね。弾きたいのからいきましょうか。8分の6といっても、いわれるままに適当に弾けばそういう疑問も起きないのでしょうから、わかっていってるわけですもんね」
というわけで、娘が弾きたいといった曲2曲を先にやることに。

自由人カコのやりたい放題はこれだけではない。


テクニックの教則本で、曲の最後、右手が「ドー、ドー(こちらのドは1オクターブ上になる)」となっていて、左手は「ドミソ(和音)、ドー(これは先のドミソのドと同じ高さ)」となっているところがあった。
この最後の左のドをどうしても1オクターブ低く弾く。つまり右手と同じように腕を開くわけ。何回注意しても「こっちの方がいいから」ときかない。
まさかレッスンではやらないよね・・と思っていたらやってくれました。
先生はとりあえず「高さ違うよ」と指摘されたのですが、娘は「こっちがカッコいい」とそのまま。
またまた先生苦笑い。「まっ、いいか・・・・」

すみません

少なくともクラシック音楽をやっているので、楽譜はそのまま弾くように日ごろしつこくいうのだけれど、「こっちの方がいい」というのが、そうヘンな方向でもなかったりするので、そこまで大きな問題でない場合は放置しております。というより、これを強制(矯正?)したときの激しい抵抗がこちらも面倒くさい。


さきほど友人と話していたのだが、この友人のお嬢さんもなかなかガンコなところがあって、「ほんとに困るわよねえ・・てこずるわよねえ・・・腹が立つわよねえ・・・」とお互いグチを言い合った。まあ音楽や美術に関しては、多少はそういうような自己主張もなければねえ、というあたりで落ち着いた。

そういえば、ある知り合いの若いピアニストさんは、子どものころ、「先生、こっちの方が絶対きれいだと思うの」とインベンションだかシンフォ二アだかを移調してさらさら弾いてみせ、周囲をあ然とさせたという。

そこまでやれれば、ご立派なんですが・・・・・・








某マエストロの公開レッスン

2007年11月21日 21時50分41秒 | レッスン&セミナー
かつて「ウィーンの三羽烏」といわれた中のひとり、マエストロD氏のレッスンを聴講してきた。

私が聴いたのは、モーツァルト&グリーグのソナタ(モーツァルトのハ短調ソナタの2台版)、ショパンのマズルカ、ベルクの歌曲だった。
それぞれの曲の詳しいレッスンがあって大変勉強になったのだが、時々におっしゃった短いことばが心に残った。ちょっと書き留めておきたいと思う。




・・・・ペダル・タッチ・スタカートなどがうまくいかないと、これはモーツァルトというバラの花についた虫のようなものになる・・・・・


・・・うまく弾けないときはまず何を考える?そう、指使いだ・・・・


・・・・手首の動きはバイオリンのボウイングと同じだ・・・・


・・・・作曲者オリジナルの楽譜の場合はどんなに難しくてもすべての音をちゃんと弾かねばならない。でもそれが編曲されたものだとしたら、さらに手を加えるのも可だ・・・・・



・・・・古典以前の作曲家は大変忙しかった。バッハは日曜ごとにカンタータを書き、ハイドンは一月ごとにシンフォニーを書いた。なので、パターンを使わないととても間に合わなかった。そのひとつがアルベルティバスだ。これそのものはおもしろくないものだから、弾く時は表情をつける必要がある・・・・・・・


・・・・高い音(たとえば右の5の指)を安定させるには、親指でオクターブをとるように弾くといい・・・・・


・・・・暗譜というのはふたつのやり方がある。ひとつは3000回も弾いて覚える方法。これはバカでもできる。もうひとつは最初から暗譜に照準を当てて練習する方法。これをやれば5ページの曲は7日で暗譜できるはず。1日目に1ページ目の指使いを決め、2日目に2ページ目の指使いを決め1ページ目の暗譜をする。そういう風にやればできるはずだ・・・・



・・・・暗譜をするのに良い方法は、とにかく人に聴いてもらうこと。そうすれば自分のなかからいろいろなものが出てくる・・・・・



・・・・・休符というのは時代で違っている。たとえばバッハが100%休むとしたら、モーツァルトは70~80%、ベートーベン初期は70~80%、後期は50%というように・・・・・


・・・ショパンのペダル記号は、出版のためにつけられたものが多く、必ずしもちゃんと書かれているとはいえない。なので、すべて自分でよく考えてつける・・・・



・・・・・スタカートは手首を上げなければならないということはない。要は鍵盤が上がればいい・・・・



・・・・小規模な曲、単純な曲はそのように弾かなければいけない(たとえば小品のリートでオペラのような歌い方はいけない)・・・・



・・・高いレベルのピアニストが技術的にそう難しくない曲を弾くときは、パーフェクトに弾かなければいけない。ミスタッチはダメだ・・・・



・・・・いろいろな作曲家の曲のなかで、動き(指や手や身体)が美しく音楽的なのは、モーツァルトとショパンだと思う・・・・・


・・・・ペダルというのは楽器によってもきく(かかる)位置が違っている。きく瞬間を確認して、いつもその位置(深さ?)で足を使うこと・・・・・・


・・・・ただ練習するのではなく、その曲特有のキャラクターをよく理解する・・・・



・・・・ミスタッチというのは3種類ある。①遠慮深く少しずつやる②無礼に派手にたくさんやる③指がはたらいてない。③の場合、特に5の指の時は、鍵盤をグイとつかみとるように弾かないと、ミスが多くなる・・・・・・



・・・・・弾きなおしをしない。伴奏の時などは大変な迷惑をかける・・・・・


・・・・・伴奏の時はとくに難しい箇所は必ず暗譜する。でないと、楽譜、手、ソリストと三者を見なければならないので弾けなくなる・・・・・



・・・・下行のときは、少しずつブレーキをかけておりる。でないと尻餅をつく・・・・


・・・・静かな箇所もきちんと指がはたらくこと。ベースは死んでもはずしてはならない。オクターブでとるとはずしにくい・・・・・


・・・・・身体をあまり動かさないほうがいい。みんなコンピュータが頭にあるわけだが、身体をふることで、その位置認識がずれる・・・・


・・・・(伴奏で)ピアノをオーケストラのように使うときは特に打鍵音が聞こえないように。押すだけ・・・・・


・・・・・三連符というのは自分が思っているよりゆっくりしているものだ(たとえばブルックナーリズム)・・・・



・・・・ピアノというのは、右の4か5でメロディー、左の4か5でベースというように、弱い指で大事なものを弾かなければならない楽器だ・・・・



D氏のリサイタルは、咳、子ども、その他の物音、すべてご法度らしいのだが、レッスンではそこまでの緊張は強いられなかった。
しかし、一回指摘したことをきちんと直さなかった場合、いきなりドイツ語の集中砲火(でも通訳の段階でかなり柔らかい表現になっていたと思われる)。
「日本人は、練習練習というが、一瞬のうちに命がけでやらなければならないこともある。たとえば私が猟銃でもって狙っているとしよう。全力で逃げるだろう!」と言ったあと、日本語で
「やれ!!」と怒鳴られた。
「次、このフレージングを間違えたら撃ち殺す」とか「あそこに吊るす」とか真顔でいっておられたから、レッスン生は相当な緊張だったことだろう。
なかなか過激だと思ったが、このフレーズ、どこかできいたことがある。
ポーランドの有名な先生(ツィメルマンの先生だった方)のレッスンを聴講したことがあるのだけれど、そのときも「今、あなたは命拾いしました。○○○~という弾き方をしたら、私はあなたを殺そうと思ってました」とこれはニコニコしながら(それもコワイ感じだが)おっしゃっていた。
どちらもかなりの高齢、そしてお元気。
「(プロというもの、またははプロを目指すなら)失敗したら殺される覚悟で弾け!」ということなのだろう、そしてその緊張感のなかでこのお年まで生きてこられたのだろうと理解した。


レッスンは個人の先生宅であったので、聴講生は数人だったが、みなさんプロとしてお顔を存知上げている方々だった。
かなり場違いだったけれど、いい経験をさせていただいた。

「自分に厳しくなれ!やれ!」というのは、ピアノに限らず、だ。


ナゾはとけた

2007年11月20日 11時17分50秒 | 雑感
さきほど、またCメールが入った。

内容はあることを頼んでいたことへの返信で、送信者がわからずとも十分通じた。
そこで気になった・・・・もしや・・・・
そうだったのだ!昨日のCメールと同じ番号。
彼女とは、しょっちゅうEメールのやりとりをしているのだが、なぜか携帯の番号は私は登録しておらず、なのでCメールがくるとそのまま番号表示されるのだ。


<今落としました
について、昨晩うちではさまざまな憶測が飛び交った。
私は「夜7時半ということからして、これは、どこかの男が女の子を口説いていて、やっと落としたぞ~~、という喜びのメールを友人に送ったものだ」と固く信じ、
息子は「なにかに、いじめの末、学校にこさせなくなることを<落とす>っていうって書いてあったから、たぶん誰かを不登校にさせたんじゃないの?でも夜の7時半に、しかも<今>ってどういうことだろう」といい、
主人は「これはなにか貴重な画像を送ってくれてそれがダウンロードできたっ、という感謝のメールでは」といった。
それぞれがそれぞれの妄想をたくましくし、しかもそれぞれの関心事とごビョーキをさらした趣だった。

・・で、さっきピンとわかったことなのだが・・

「落とした」のは、写真(フォトアルバム)だ。
どこにかというと、うちのマンションのポストにだ。

ようするに友人が
「例の写真を今おたくのマンション1階のポストに落として(入れて)おきました」ということだったのだ。



すぐそこにある異次元

2007年11月19日 20時42分16秒 | 雑感
さっきCメールが鳴った。

知らない番号だったが、同じ会社の携帯を使っている人が、Cメールを送ってくることもたまにあるので、とりあえずあけてみた。


今落としました


絵文字は少し違っているけど、ニコニコ顔がついていた。

・・あやしすぎる・・・
ロクでもないことだという推測はつくけれど、どういうジャンルなのかわからない。
このあやしさは、15年くらい前、新宿駅で
「・・・・・あるよ・・・・」
といきなり声をかけられたことに匹敵するレベルだ。
このときも、ロクでもないことだということは推測ついたし、だいたいクスリ方面であることは間違いないが、なんのクスリだったのかはナゾだ(殴)。


やはり同じ頃、新宿の本屋(これは大通りに面した大きな本屋)にふらっと入ったら、なかには男性しかおらず、しかもいっせいに私に突き刺すような視線を浴びせかけた。
よくみると、店内には男性同士に限られた嗜好の専門書(?)のみが並んでいたのだった。
別に新宿○丁目だったわけではないし、そうあやしい雰囲気でもなかったし、しかもバス停のすぐ近くだったのに、なぜかそういう店があったのだ。
当時私が勤めていたIデパートの本売り場にも、そういうコーナーがあり仰天したものだが、地域が地域だけにお客様のことを考えればそれも当然といえなくもない。



・・・で、Cメールの送信者は、何を落としたのだろうか?



11月練習会

2007年11月18日 00時18分28秒 | ピアノ
夕方近くに練習会に顔を出してきました。

この前の練習会がたしか10月の末でしたし、その翌週がステップ、その翌週は友人宅に集ってましたので、あまりひさしぶりな感じがしなかったんですが、考えてみたら、ステップの前とはまったく違う曲ばかり弾いているので、やっぱり時間たったのだよな・・先日はチェロとも合わせたことだし・・と思ったことでした。

おくれていったので、あまりメンバーの演奏を聴くことができずに残念。ほんとは4時間やってるんですよ、練習会。でも、娘が4時間ももたないので、だいたい後半の2時間か1時間半で参加してます。

練習会は本番前の肝だめし・・じゃなくて度胸だめしに利用することもありますけど、本番にかけるほどでもない状態の曲を弾く良い機会でもあるので、今日はどちらかというとその後者の動機で弾きました。
ショパンのソナタ2番の第3楽章を弾いて、そのあと第1楽章。
この曲好きなんですよ、自分としては。で、1楽章のほうはいちおう2年前に人前で弾いたことあります。
その当時はエチュードもさらってないのに、ソナタに手を出してました。今少しはエチュードやってはいますけど、うまくなったわけではないです。
でも、ソナタなので、どうしても全楽章を通したくもあり、このたび2年ぶりにぼちぼちやることにしました。どこかで弾くとかそういうことはまったく考えてません。

練習会のあと、食事兼飲みに行ったので、みなさんから感想などもいただきましたけど、超有名曲ですし、もともとインパクトがもの凄い曲なので、たぶん誰が弾いてもドキッとすると思うんですよね。でもあのような(まだまだ練習中の)演奏でもそれなりに聴いていただけたみたいなので、続けて全楽章やっていくよう背中を押してもらえたように思います。
ここのところ、いろいろとリクエストをいただいて、自分ではまず手をつけないだろうな・・みたいな曲に取り組むきっかけもできましたし。

・・・・・という話を帰ってからダンナにしましたところ、「コワイもの聴きたさ?」と。
たしかにコワイかも(笑)

コワイといえばですね、飲み会の時、Hちゃんが「ずっと前に仮装さんと、あるステージで演奏順が並んでたことがあって、そのとき挨拶したんですけど仮装さんは<・・???・・>な感じで、・・・・」と話はその時の演奏そのものの話になったのだけれど、演奏の話はおいといて、その<・・・・????・・な感じ・・>というのに私含めてみな結構ウケてしまいました。
ピアノを弾く前後は本番でも練習会でも、どうも私、愛想が悪いことがあるみたいで、あちこちでたぶん失礼をかましていることと思います。
弾く前はともかく、弾いたあとも別に失敗とかしたわけでなくても、いわゆる「モドリが悪い」状態がどうも多々あるようです。
「もどったら」イイ人(殴)なんで、ひとつよろしくお願いいたします。