アネッティワールド

日常の体験から・・・

飯の山展望台

2021年04月18日 09時18分40秒 | 山口県

周防大島にはいくつかの展望台があって

ここ飯の山展望台は本州に一番近い展望台なんです

そして急な細い勾配をクネクネしながら上っていくのですが

登りと下りで道を分けているので正面衝突の心配がありません

(ドライバーにはとても嬉しいことです

ちゃんと綺麗なトイレも付いてます。

その上この展望台は昨年改修したばかりで塗装もして床は防水加工されていました。

レオも随分老いたのかあまり動かないですね。この間の検診では成人男子に例えると13㎏くらい体重が減ってました。

食べるけど吸収力が落ちているのでしょうね。特に後ろ足の筋力が落ちています

桜の向こうに本州と結ぶ周防大島大橋が見えます。

黄砂の影響で海も山も霞んでいます

かなりの潮流のため橋脚も珍しい工法のようですね。

 

さてこれから徳山へ行き前回訪れたショットバーを覗いて見たいと思います


残念な嵩山展望台

2021年04月16日 23時29分35秒 | 山口県

周防大島(すおうおおしま)を岩国市に向って横断して行く途中に

色んなスポットがあるので立ち寄ることにしました。

「星野哲朗記念館」

周防大島はあの有名な作詞家、星野哲朗氏が生まれた場所だったのですね。

あまりにも多くの流行歌を世に出したのでここでは書き切れません。

ただ、水前寺清子の「チーター」の名付け親だったことは知らなかったですが。

前回来たときは定休日でした。

もう忘れたと思いますが、大阪の富田林警察署からアクリル板をけり破って

自転車で逃走した事件覚えていますか?

その逃走犯が検問をかいくぐってここまで来たところを

サザンセトとうわ道の駅で万引きして通報され逮捕されたんです。

サザンセトとうわの支配人は逃走犯とは知らず日本一周を装った犯人と記念撮影をしてたんですよ

なんと盗んだ自転車で1000㎞、49日間 逃げ回り

結局懲役17年の判決ですから殺人罪より重い刑が確定したんですね。

出所したら50歳。 あ~あ 勿体ない人生ですね。

ドライブ中に面白い形をした岩が有ったので、思わず車を停めてパシャリ 

嵩山(だけやま)展望台へ

お! カッコイイ 2シッター オープンカー

TAKE OFF と書かれてますね。 

パラグライダーの離陸地かな?

滑走路短いんですね

晴れてるのに・・・

残念

黄砂でこんなに視界が悪くなるんですね。

3月29日月曜日

明日火曜日まで黄砂の影響で視界が悪いそうです。

 

雨を避けて設定した旅行だったのに

黄砂のことまでは考えてなかったです

 

これも良い思い出の旅行となるでしょう


陸奥野営場でコーヒータイム

2021年04月14日 09時19分13秒 | 山口県

周防大島のなぎさパークにある

最後の紹介の施設が陸奥野営場です。

ここでは釣り・海水浴・バーベキューなど

緑に囲まれた都会では味わえない素敵な場所でした

そんな中にドキッとするような飛行機が・・・ 戦闘機と思いきや

海上自衛隊の飛行機でした。なぜこんなところに?

桜もこの時期は蕾でした。

和歌山で生まれたレオは潮の香りが好きなんですね。 海が好きです

今回は良い場所が有れば「いつでも何処でもコーヒータイム」と言うことで

お湯なども準備していました。

最近のポットの保温レベルは凄いです。

海を見ながらだれもいない所で

熱い珈琲とサンドウィッチ

最高です

 

 

 


なぎさ水族館

2021年04月10日 15時29分18秒 | 山口県

周防大島の一番端っこになぎさパークがあり

その中に「陸奥記念館」「なぎさ水族館」「陸奥野営場」があります。

小さな水族館ですが結構面白いのです

特に「ゴンズイ

このゴンズイの前で釘付けになりました。

ブロックの中にゴンズイが一斉にこっちを見て出たり引っ込んだり

髭には毒があるらしいのですがそこにヒトデが このあとどうなる

アカン 時間が無い 次に行かな

これがサンゴか  緑鮮やか

クラゲ撮りだしたら切りが無いので

クラゲは又今度どこかでね

観光客らしき人はゼロ。

地元のお子様連れの人が来てるくらいで ここのパーク独占でした

喜んでいいのやら

 

さて今からモーニングタイムです。 どんなモーニングかな


なんと無駄な死に方

2021年04月09日 12時23分50秒 | 山口県

さて松山を離れて

瀬戸内海で3番目に大きな島、周防大島(すおうおおしま)へ行くことにしました(3/29月)

三津浜港からの出港です

このフェリーは車をバックで入れるんです。

ちょっと緊張するね

1時間くらいで周防大島の伊保田港に到着し

まず向かった先が「陸奥記念館」です。

1921年(大正10年)に完成した戦艦陸奥は昭和18年にここ周防大島の伊保田沖で謎の大爆発を起こしたのです。

ちょうど昼食時間のころで船員も警泊中1471名の内、死者1121人 生存者たったの350名

戦わずしてこの周防大島沖合で謎の死を遂げたのです。

原因は解りません。

煙草の不始末、スパイ、魚雷など当時は憶測しましたが証拠となるものも見当たらなかったそうです

昭和22年に引き揚げを試みましたが、当時世界最高と言われた陸奥は大きすぎて作業困難で中止となり

昭和45年生存者の熱意が実り8年がかりの作業の末、船体の75%が引き揚げられたそうです。、

遺骨・遺品・主砲などが見つかりましたが、残りはまだ海底に沈んだままだそうです

個人を特定する写真は撮影禁止ですが

たくさんの海軍の方の顔写真が出てましたが

どなたも若い方ばかりです。20代ばかりです。

大正生まれの若き青年ばかりです。

出身地も出てましたがあらゆる地方の方々です。

 

実に勿体ない。「お国のため」」という名目で何も解らぬまま海の底だったんですね。

宇和島・鹿児島の知覧・そして沖縄 旅先で戦争記念館によく行きますが

 なんだろう?  いつも怒りが込み上がります。

誰に?

 戦争に? 

当時の幹部に?

 

米中が妙な方向に行かなければよいのだが・・・