積丹にあった鰊漁場建築物を解体してこの小樽の地に移設されたそうです。
鰊漁最盛期には「網ひとお越し」千両とも万両とも言われた明治大正時代、数多く鰊漁舎が建設されそうです。
見晴らしのいい高台に建っています。
写生している方がたくさんおられます。 絵心の無い私には羨ましい限りで、シャッターしか押せない自分にコンプレックスを感じます。
天気が良ければ空と海と半島がもっと美しかったでしょうね。
建築用材がふんだんに使用されていて30坪の家を建てるとしたら
20軒分建てることが可能な木材の量だそうです。
いかに木材が豊富な時代に豪快に材木を使った鰊漁親方の豪放さがうかがえます。
身欠き鰊を作るとき、エラや内臓を指で取るため
指を保護するために使用した手袋のようなものです。
全盛期は120人位の漁夫がここで寝泊まりしていて
漁期外でも仕事のため30人は常住していたそうです。
「マッサン」の風間杜夫の豪傑な親方の姿が思い浮かびます。
鰊が食卓から姿を消して何十年も経ちますが水温の影響と言われています。
今はロシア産頂くしか無く、サーモンはノルウェー産
海に囲まれているにも関わらず漁獲高に変化が出てきました。
さんまもの漁獲高も年々減っているそうです。
台湾・韓国・中国が日本から遠いところで先に獲ってるんですね。
食文化がどんどん変わっていく日もそう遠く無いような気がします。